第27話 地下倉庫ふたたび


 携帯がない


 気がついたのは池から離れ、本館に上がってからだった。あまり慌てないのは場所が分かっているからだ。幹也さんのジャケットの中、ポケットにしまった記憶まではある。なぜ返す時に気が付かなかったのか。

 温室に戻って取りに行くのは気が引けた。持っていかれたら困るが、携帯はそれなりの大きさだし、向こうが気がついて外出前に置いていってくれると思いたい。


 これから本館で寝泊まりと言われたが、どこの部屋を使えばいいだろうか。親戚が出ていったし、空き部屋はいくらでもあるが……


「おかえりなさいませ」


 いつものメイドではなく、初老の男性が迎えてくれた。たしか曾祖母の付き人で使用人のまとめ役の方だ。彼は幹也さんから僕の部屋のことを事前に聞いていたらしい。

 案内されたのは二階の角の広めの部屋だった。窓からは表の芝生の庭と裏の池がどちらも見える。

 ……あまり窓の外は見ないことにしよう。


「昼過ぎに我々も帰宅します。今夜と明日の朝のお食事は用意しておりますので、恐れ入りますが夕子ゆうこさまのお部屋に運んで頂けますでしょうか」

「わかりました」


 三階に住む都築夕子、僕の曾祖母は足が悪いため一人で階段を降りることが難しい。

 いざという時に一緒に逃げてほしいと幹也さんに頼まれたのだ。彼の心配をするなら、余計な行動ではなく頼まれた役割を確実にこなすべきだろう。

 不安はぬぐえないが、僕は自分を納得させるしかなかった。


 部屋には備え付けでテレビも含めて一通りの家具はあった。まずはPCや服、勉強道具などを持ち込めばいいだろう。早速取りに行こう。


「我々で運びますので、正城さまはこちらでお待ち下さい」


 なるほど、この本館から出る事自体が望まれていないらしい。

 

 離れから運んでほしいものを彼に伝え、僕は部屋で一人になった。テレビの電源を入れて、昨日の晩に市内で殺人事件があったかを調べようとしたが、あいにくこの時間は芸能やトレンド商品の話題しかない。少しイラッとするくらいどうでもいい。

 

 テレビを消してベッドに仰向けに倒れ込む。 

 幹也さんが言っていたのは、迫水先輩の家の近くであった事件と同じなのだろうか?

 一人でひまになると思考が止まらなくなってしまう。さっきの嘘のような光景、街の地下の化け物の跡、その力を借りるための生贄……

 

 コンコンとノックの音がした。

 やけに早いが荷物が届いたようだ。

 

「こちら幹也さまから預かりました」

 

 ドアを開けるとさっきの使用人がいて、僕の携帯を持ってきてくれた。


「幹也さんはもう出かけましたか?どこに?」

「はい。予定の詳細はうかがっておりません」

「そうですか……」


 彼はどこにいって、いつ帰ってくるのだろうか。



 使用人が立ち去ってからスマホで調べ直すが、殺害を疑われている事件はないようだった。死亡事故の報道もない。まだ表沙汰おもてざたになっていないのか、自殺として処理されているのか?


 情報が足りない。昨日の事件だけじゃなく、この梅雨の一連の騒動、その原因らしい都築家の裏の歴史。このまま何もわからないで、幹也さんに全てまかせて、自分は部屋で暇な時間をくつろいでいいのか?


 いいわけがない。

 

 館の中にいたまま、手がかりを見つけるなら、あそこしかない。僕は立ち上がり、ドアを開けて階段へと向かう。

 幹也さんは地下室の何から手かがりを得ようとしていたのか?


  

 地階に着くまでは誰ともすれ違わなかった。最後の段を降り、身構えてから暗い廊下の奥を見る。この階の不気味さは、あの暗闇から感じていたのだ。

 

 そして、やはり居た。これまで見えなかった生き物が。それは黒い大型犬の形をしていて、じっと僕を見つめている。

 僕が目線を合わせていると、犬はその場にお座りをして動かなくなった。地下室に入ろうと廊下へ踏みだし、ドアノブに手をかけても大丈夫なようだった。

 僕はこの部屋に入る資格がある、そういうことなのだろうか。

 


 見慣れた地下室の中で、まず探すのは幹也さんが読んでいた資料だ。棚へ足早に向かう。なぜ自分は最初から、資料の中身をもっと気にしなかったのだろう。

 その共通点は都築家が関わる市内の防水施設についてだった。そして特に多いのが、

 

「上川ダム計画……」


 都築家はその経済力でつちかった県や国との繋がりを活かし、こちらの要望をかなり通す形で、市の整備を推進していた。特に力を入れていたのは八淵川の治水と洪水対策。これは僕も知っている話だ。

 しかしダムを作ろうとしていた事は知らなかった。一連の水害対策の締めとされていた上川ダム建設計画は、上川地区住民の反対運動と、1990年代に全国的に公共事業見直しの気運きうんが高まったことにより、世論に従う形で中止になったという。

 その資料の中、特に物騒ぶっそうなタイトルの一冊がある。


「調査員の失踪しっそう……?」


 社外秘と書かれたファイルには、住民との対話や反対活動との衝突についてが記されていた。議会は裏から手を回して案を通したものの、地質事前調査の段階で住民の強硬な反対運動があり、複数の調査員に怪我や盗難の被害が何度もあったと書かれている。

 

 そしてとどめに調査員が1名、謎の失踪を遂げた。県外に住む新婚の男性で、自分から消える前兆はまったくなかった。すぐに警察に通報し捜索するも手がかりはなし。気になって年代が新しい関連資料をあたったが、5年後でも彼は行方不明のままだった。


 他の地方でもあることかもしれない。強硬な反対運動による被害も、それに負けた大規模公共工事も。

 しかし『現在の事件の資料として』幹也さんがこれを調べていたことから、別の可能性が浮かび上がる。


「同じ犯人……ってことか?」


 もしこのダムの完成をもって、水害が止まるのだとしたら。都築の家がずっと捧げていた生贄がいらなくなるのだとしたら。

 僕も自分が生まれた家を信じたかった。やりたくてやっていたわけじゃないのだと。悪行を止めるため手を尽くしてきたと。


 それが不都合な何者かが、ダムの建設を妨害した……?



 地下室には窓がないから、時間の感覚が消える。必死に資料を読み続けて、一段落つくと昼はとっくに終わり、もう時刻は17時になっていた。


「やっぱり、行くしかないかな……」


 ここで読める資料はこれでおしまい。

 だからこの先に踏み入れるには、昔のこと、一族のこと、街のことをもっと深く知る者に問い詰めるしかないのだ。

 裏側にある全てを受け入れる覚悟を決めて。

 

 都築一族の意思決定の頂点は、ちょうどこの館の三階にいる。



 

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