適性
そんな小さな体格をした犬がティアへ襲い掛かる。持っている体力のすべてを使って、無理やり腕を使って回避する。視界から外れたため、牙が空振り一瞬周りをキョロキョロする獣だったが、すぐに見つけた。
そんな光景をとらえながらも、ティアの脳内は別のところへ飛んで行った。どうしてこんなことになったのだろう、という思考。まだここに来たばかりということもあるから、周辺の地域を知らない。
とはいえ、村のような安全地帯だと思っていたからこそ獣なんていないと高をくくっていたわけだが、そういうわけでもなかった。
実際はこんな小型の獣ぐらいはどこにでもいる。それこそ村の中にでも。彼らが襲い掛かってこない理由は人になついているから、というのもあるが自分の力がかなわないからというものもある。
この獣も本来だったらそういうものだった。たまたまティアのことを芳しい香りのする獲物だと認識したから襲い掛かった。どうやら彼は獣に好まれる体質でもあるのかもしれない。
とはいえ、今の満身創痍の彼ではこの場から逃げるのも難しい。ここにきて体力の過剰消費が体に響いてきた。
そも、今まで走ることができた理由は彼が呼吸による興奮状態の賜物である。本来は足の疲労が溜まったせいで足を止めたのだ。しかし、あの無茶な呼吸をしたおかげか足が軽くなったティアは、体の不調を無視して走り出してしまった。
だが、転んだ時の痛みによって興奮状態が覚めてしまった。そして、次に覚えたのは途方もない疲労感。動くことはできるが、立ち上がることはできない。
もう一度呼吸をして同じような状態になろうと、急いで先ほどのような呼吸をしようとする。だが、何度やってもむせるだけでやればやるほど体内から空気が漏れていくような気さえする。
目の前には獣。後ろには大樹。
逃げ場を失ってしまった。
幾度も立ち上がろうとしたが、肉体疲労が激しい。
しまいには脇腹部分がねじれるように痛みはじめ、呼吸さえまともにできない。痛みと呼吸困難によって、頭がもうろうとしたその時。自身の身体がふわりと浮かんだ。
「もう、ただ走りこむだけでどうしてこんな厄介ごとが舞い込んでくるのよ!」
いら立ちを隠さないサラの声がティアの耳へ届く。気づけば太ももと胴体の部分が支えられた。すなわち、サラがおぶっていた。
身体を彼女へゆだねていると、自らの身体に異変が起きた。なんと、彼女の身体から何かが自らの身体へ入り込んできた。無形物だが、これを使えば再び足や手を動かせるもの。
ティアはこの感触を嫌でも体が覚えていた。頭で忘れていても、体は忘れられない。
思い出すは、友達のカタを見殺しにした時。彼へ自分は手を伸ばしてつかんだ時、同じような無形物が自らの身体へ入り込んできた。それと同じ現象が今の状態でも起きている。
だからこそ支えられている手を外そうとする……が思った以上に力が強く、不可能であった。むしろ、固定が外れると思ったのかよりしっかりつかまれる結果に終わる。
「あんた! 今運んでいるから邪魔をしないで頂戴」
「手を離せ……俺に触れると、あんたまで殺してしまう……」
「うるさい! 黙っておぶわれていなさい!」
そういいながら、ティアの手を自らの首元へ近づけ固定する。絶対に離す気はないようだ。このおんぶされる感覚になつかしさを覚えながら、彼は夢の世界へと旅立った。
気が付くと、ここ数日で不自然さを感じなく始めた天井が目に映る。最初見た時は見知らぬ天井だったが、人の順応速度は速い。あるいは実質一か月もこの天井を見ているからかもしれぬが。
体を起こそうとしても、全く動かない。どこか既視感のある状況だ、とティア自身が思ったところに横から高い声が聞こえてきた。
「ここは貴方の部屋です。倒れたと聞いて、ここで看病していましたが無事でよかったです」
「メルク先生……あれ、サラさんは?」
「あなたを負ぶってここまで連れてきた後、看病していましたよ。私に事情説明した後は自分の部屋に戻りましたが」
メルクは本を置きティアの額に手を当てる。疲労した体からすうと、冷たい手が無性に気持ちよかった。
「熱はないそうです。ただの魔力消耗でよかったです。しかし、事情は聞きましたがまさかサラに追いつくために魔法を使うとは……私としても予想外です」
「……ごめんなさい。体力もない癖に、無茶なことを言ったせいで迷惑をおかけしました」
「全くです。この走り込みの目標は何ですか? 走って体力をつけることです。一度もサラを追い越せなんて私は言っていません。ヤレヤレって感じです」
メルクがここぞといわんばかりにティアを責める。
そんな正論にシュンとして再び謝ると、メルクは少し慌てた様子で説明する。
「ああ、ごめんなさい、冗談です。私がいつもの癖で説明を省いたことも原因です。それにサラが貴方を置いていくような走り方をするのも予想外でした。私がきちんと指示しなかったのが悪いので、そんなに謝らなくていいですよ。
……ただ、今回の反省点としてマクロな目を養うよう意識してください」
マクロな目という聞きなれない単語を聞いたため、ティアがそれをオウム返しすると
「要するに、どんな目標のために今努力しているのかを明確にすることです。例えば今回のことでしたら、体力を増やすためのトレーニングです。この目的にサラは関係しませんよね?」
ティアを諭すような説明を始める。それについて頷きはするものの、まるで頭に疑問符を浮かべたような状態。それについて聞いてみると、
「先生、なぜ体力が増えると魔法が使えるようになるのですか? さっきの話からすると、体力と魔力は別物のように思いましたが」
「……そうでしたね、今まで魔法について勉強していなかったのですね。そうなると、早めに座学に入りますか」
「座学ですか?」
「ええ、予定よりもずいぶん早いですが魔法について教えます。そこで体力と魔力の違いを教えます。あと、体力を増やすことで魔力が増える理由についても述べます。おそらく、貴方は理由を持って取り組む方がしっかりやってくれそうですし」
本来であればティアに魔法を教えるのはもっと後の予定だった。具体的には魔法を教えるに値するという段階ぐらいから、座学と実践を一緒に行う予定である。しかし、ここで問題が生じたのだ。
彼女はマクロな目の形成を目標に指導している。きちんと目標を理解したうえで努力しなければ形にならないからだ。そのために生徒たちに考えさせて行動させる傾向にある。
そしてティアにも同じようなことをした結果、今回のような事態を招いた。いろいろ予想外な点もあったわけだが、一番の理由はきちんと目標を理解させていないのに修練をさせてしまったからだ。
そもそもの話、普通の子供であれば幼少期から走ることで魔力が増える、というのは一種の常識になっている。もちろんそれは正しい常識だが、肝心のティアにそれがない。だからこそ走ることに意味を見出せず、追い抜くという別の次元の話になってしまった。
きちんと魔法について理解させなければ、別のことをさせても一人で勝手に理由を見出しそして変な方向に努力を始めてしまう。その個性自体は好ましいものだが、今の段階では悪手にしかならない。
だからこそ、座学のタイミングを速めることにした。理解さえすれば目を離しているうちにも成長するだろうという意味も込めて。
後はもう一つの問題についても言及する。
「後、貴方の呼吸のやり方にも問題があります。ただ、これは理屈で分かっても誰かがそばにいないとわかりづらいでしょうから……。仕方ない、私が一週間に一回指導します」
「え!? いいのですか? やった!」
「ただし、教えることは魔法ではありません。呼吸法です。正しい呼吸を身につけなければ、また今回のような事態になりかねませんから」
魔法にとって呼吸というのは非常に重要である。なぜかというと、魔法を使うのに空気……厳密にいえばちょっと違うが、とりあえずそれが必要になるからだ。とはいえ、それは現実世界でいうスポーツでも同じ。
要するに呼吸が変な体勢、またはやり方では、体力を無駄に消耗し余分なコストを消費してしまう。だからこそ今のうちに強制しなければならないという判断の元である。
そんなことをつゆ知らず、先生からようやく直接指導を受けられることに喜びを見せていたティア。実際は受けられるというより受けなければいけないのだが、それを知る余地は今の彼になかった。
「っと、その前にあなたにはやってもらいたいことがあります。それが適性試験です。魔法を教える前に、貴方に適性があるのかを調べるものです。試験内容は現地で話します」
その言葉を聞いたとたんに彼は固まった。適性試験。
まだ大して勉強もしていないのに試験。
今の状況で受かるとは到底思えない。
「いつからその試験を行いますか?」
「あなたが治ったらすぐ行います。もちろん、治療中は勉強とかは禁止ですよ。この試験は勉強しても意味がないものですし」
そういってメルクは出ていった。どうしよう、どうしようと気が気でないティアだったが、徐々に頭が働かなくなり、眠りについてしまった。
そうして一週間後。
ついに体が全快してしまった。
試験対策をやろうにも全く本を読ませてもらえず、何も対策をしていない状態で試験へ挑むこととなる。
試験というのは現時点の実力を問うものである。だが、そもそもの話、この一か月強で何か成長できたかと言われると否。少なくとも目に見えて成長したものはない。
なんせこの一か月強の間、一か月近くは寝込んでおり残りの日数は家事を勉強したぐらいである。そんなので何を修行したのかという話だ。
ティアもそれを根拠にして反論したが全く受け付けてもらえなかった。
「別にあなたが成長した、成長していないは合格に関係ありません。たとえあなたがこの期間バリバリに修行したとしても、落とすときは落とします。
だからこの試験で問うのはあなたの本能についてです。本当に魔法師に向いているかのね」
この返答の一点張りだった。ちなみにサラへ聞いてみようと思ったティアだったが、この一週間目も合わすことがなかった。よって全くの情報なしという状態である。
そして集まったのは修行場。
周りは木々に囲まれているが、この広場は半径十メートル程度のの真っ新な地面しかない。ぽっかりと空いた穴のような場所である。そこに二人が対面している。
「では試験の説明をします。私と闘ってください。その戦闘内容、判断を採点します。ただし、ここから外に出てはいけません。具体的には、森の中へ入ることを禁じます。それ以外であれば、何をしてもかまいません。説明は以上ですが何か質問はありますか?」
「……え? その採点基準とか何をしたら合格か、ということも教えてくれないのですか?」
「そうですね、それを教えたら試験になりませんので。貴方の判断を試す試験ですから。……まあ、一つ言えば、私に攻撃するのはお勧めしませんよ」
「???」
そんな意味不明なヒントを提示するメルク。
闘うことが試験なのに、攻撃しないことがおすすめというのはどういうことだろうか。もしかしてなぞかけの試練なのか、なんて変な方向に思考がずれるティア。
この試験は何を問うているのか、等々考えているとメルクから試験はじめという合図が聞こえた。その瞬間、立つことができなくなり尻もちをついてしまった。
その理由は、目の前の人物から放たれるものが明らかに生物としての格が異なるものだったから。そして、今まで相対した中でもトップクラスの気配。
自分が何をしても絶対にかなわないと思わせるには十分な密度だった。
人は常々気配なるものを発している。だからこそ、視認せずとも何となく人がいるとわかる。そして、その気配というのは感情で左右される。喜びの場合はそれ相応の気配を持ち、怒りの時は周りの人にもそれが伝わる。
メルクはその気配を人為的に操作した。言うなれば、闘気。
目の前の敵を全力で攻撃するという感情に他ならない。それを察知した彼は、急いで立ち上がり全力で逃げ出した。
最近無茶ばかりやっているティアだが、生物としての本能は割と強い。でなければ、村の襲撃で強い魔獣と出会ったときにソロンやカタを置いていって一人で逃げたりはしない。理性が本能を超越したときは無茶をしでかすが、本能が訴えているときは別。
そんな背中を見た瞬間追いかけるメルク。ティアを追い抜いた瞬間突風が舞い、その先には再び若草色のローブがあった。逃げ場を一瞬でふさいでしまうほどの速さ。
つまり、遊びはなし。
追い詰められた彼が行った行動は、迫る先生の姿へ地面にある砂を蹴って土ぼこりを発生させた。先生がそれに戸惑っている隙に再び反対側へ逃げ始める。
汚い戦法であるが、割と効果があり数秒間足を止めることに成功した。
だが、そんな数秒はあっという間に消えた。
少し逃げたと思ったら、頭に一撃をもらい地面に衝突するティア。
もっと逃げなきゃ……なんて思っていたが、すぐに気を失ってしまった。
「ア、ティア! 大丈夫ですか、ティア!?」
そんな高い声に呼応して瞼が開いていく。若草色のローブと年齢がわからない若々しい顔が真っ先に目に入る。そこには先ほどのような敵対する相手へ向けるような禍々しい気配はなかった。
「あ、起きましたね。良かった。ごめんなさい、ちょっと強くやりすぎちゃったようで」
「えっと……負けちゃった……。先生、俺って不合格ですか!?」
「まあ、ちょっと待ちなさい。まだ試験中です。これからあなたに二つの質問をします。一つ目、貴方は前世の存在を信じますか?」
そんな訳の分からない質問をされて一瞬フリーズするティア。
なにせ試験の中なのに、いきなり宗教の勧誘のような質問をされた。文脈も意味不明であり、正直気味が悪かった。
あまり常識のないティアだったが、一応ソロンから教育は受けている。具体的には「変な勧誘に乗っかってはいけない」というものだ。
そして、今がその変な勧誘であった。
先生から徐々に距離を取っていくティア。それを見て焦ったのか、先生はいいから早く答えてください、とせかし始める。正直、ふざけるなと言いたいところだが何とか我慢して
「よくわからないけど、信じる人の中にはあるんじゃないですか。宗教なんてそんなものですよ」
中立というか、どっちつかずの返答を聞いてメルクは一瞬眉を顰めるものの、すぐにため息をついてですよねぇ、と独り言をつぶやいた。だったら聞くな、と思ったが口に出さないだけの分別はあった。短気のティアにしては頑張ったといえる。
「二つ目、私と闘うときにあなたはずっと逃げていましたが、その理由は何ですか?」
「そんなの決まっています。今の自分では絶対に勝てない存在だと思ったからです。そういう相手と戦う趣味はありません」
その返答を聞いて、大きく頷いた。
なにやら納得したようなそぶりなものの、ティアのほうは全く納得していない。そのため再び距離を取り始めていたが、彼女が手をパンパンと叩くといったん止まった。
「試験は終了です。まず、こんな質問をした理由について説明します。一つ目ですが、これはあなたが転生者か否か、のチェックでした。五歳児にしては異様な賢さが感じられるため、転生者かどうか鎌をかけてみましたが外れでした」
転生者、という単語を聞いてビクッとするティア。正直な話、単語の意味ぐらいしか分からない。その意味もこの世界から知ったものではなく、物心ついた時に持っていたよくわからない知識から知ったものである。そんな反応を気にせず彼女は話し続ける。
「あなたが転生者でしたら適性試験を終了させ教会に行ってもらうつもりでした。そこで転生者専門の教育を積んでもらう、という感じです」
「専門ってどういう感じですか?」
「私も正直噂でしか知らないですが、転生者にしかできないことをやってもらうとか、転生者限定の食事がある等ですかね。なんだか味覚が違うらしいので」
なんだそれ、ずるいというのが率直な感想だった。
価値観や味覚はこの世界据え置きの物のため、食事に困ったことはない。だがその知識の中にはおいしそうな食事がたくさんある。
言い方は悪いが、質素な食事しかしていないティアにとっては、この食べ物たちは宝物のように思えた。とはいえ、嫉妬の心は沸いてもそれだけで終わった。教会に行けば食えるかということを頭の片隅でメモするのみである。
ぶっちゃけ、そんなにおいしいものを食べたことのない彼からすると食に興味はあっても執着まではしない。異世界の知識があるだけの少年の価値観なんぞそんなものだ。
「それで二つ目についてですが、これが合格の決め手ですね。
貴方がきちんと本能で私と闘うべきではない、と理解した行動をとっていたため適性があると判断しました」
「……? どうして、先生から逃げたら魔法の適性があるとみなされますか?」
普通ならば、逃げるということは恥。
特にソロンを置いて逃げたティアからすれば、今回の行為も恥ずべき行為だった。しかし、それが逆に評価されている。
「その理由は単純です。魔法師になると自分よりも強い魔獣に遭遇することはしょっちゅうあります。その時に魔法師が行うことはただ一つ。その場から逃げること。魔法師が全滅すれば情報ゼロですが、生き残ればその人たちよりも強い人が討伐してくれます。
だから、貴方をテストしました。てっきり攻撃してくるかなーなんて思っていましたが、まさか一目散に逃げるとは思いもしなかったです。
そういう意味で、貴方には才能が有りますよ。自分の実力をしっかり理解しているという意味でね」
そんなフォローをされても彼の胸中はモヤモヤしていた。逃げることなど、だれだってできるだろう。それを評価されても困る……というのが現状だ。とはいえ、これから修行をつけてもらえる、それだけでも徐々に実感がわいてくる。
「まあ、逃げることを覚えたらあとは強くなるだけです。逃げれば少なくとも時間は生まれます。その時間内にまた強くなれば良いのですよ。では来週からビシバシ行きますから頑張りましょう」
「はい! ぜひともお願いします!」
と頭を下げてお礼を言った。こうして、ようやく適性試験が終わるのであった。
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