第10話 声が届かない遠い世界
リッカを見送り、ピットに戻る。
部屋には既にステラが座って待っていた。
目の下の深い隈は、手に入れたあの白い片腕の研究が捗っている……いや、逆か?
どちらにせよ、まだ途中なのは分かった。
できることならすぐに研究室へ戻りたいと思っているのが、ひしひしと伝わってくる。
「気持ちは分かるが、仕事はしてくれよ……リッカの命がかかってる」
「分かってるから。…………片腕以外も欲しいのよね……」
「余裕があれば回収するか。……いや、余裕なんかあるわけねえだろ!」
やっぱり、余裕があるわけじゃなく、気が抜けているだけだ――しっかりしろ。
俺がヘマをすればリッカに負担がかかる……、緊張感を持て!
今から向かうのはあの迷宮なんだぞ!?
「よし――リッカ、聞こえるか?」
ナビぐるみとの通信を繋いだ瞬間だった――鼓膜が吹き飛ばされたような叫び声が響き、俺とステラは椅子から転げ落ちる。
頭にはめたヘッドホンを床に叩きつけるように投げ、なんとか耳を守るが……、まだ視界がチカチカしている……。今の……怪物の雄叫びか……?
ヘッドホンを手繰り寄せ、マイクに向けてリッカに問いかける。
「リッ、カ……?」
マイクを通して、俺たちでこれなのだ。
なら、その場にいるリッカは、今の雄叫びを聞いてどうなった?
多少の頑丈さがあっても、でも……、
いくら怪童でも鼓膜が破壊されたら……治るとは言っても時間がかかる。
暗闇の中、なにも聞こえない世界で、リッカは誰を頼りに動けばいい……?
深い深い闇の中。
一人きりのリッカは視覚を潰され、聴覚を奪われた。
残されたのは嗅覚、味覚、触覚だが……、蔓延する血と獣の匂い。触れても岩壁ばかりがある迷宮内部。味覚を頼りにすることができないなら、今のリッカに打つ手はなかった。
聞こえた雄叫びは近距離だった……リッカのすぐ傍にいるのか?
怪物が。
リッカという餌を目の前にして、立ち去ることなどするわけがない。
聞こえていないことを分かっていながらも、俺は叫ぶ――叫んでいた。
「――リッカッ、逃げろ! 頼む逃げてくれッ、そこには怪物が、」
その時、雄叫びではないものの、まるですぐ傍にいるような、巨大な怪物の息遣いがヘッドホンから漏れてくる……、
高性能な音質は臨場感を伝えてくれていた。……ナビぐるみのカメラ映像が破壊されていて良かったのかもしれない……、音だけでこれなのだ。
実際に映像で見てしまえば、俺たちは離れた場所にいながら動けなかった可能性がある。
頑丈に作られているナビぐるみを、一瞬で破壊する力。
怪物の中でも特に広範囲の縄張りを持つ個体に出会ってしまったのか……?
考えられるとすれば、迷宮に潜ったリッカが最初に降り立った場所こそが、この怪物の巣の中枢だったなんてことは――あり得る。
そういうパターンは、なにも珍しいことでもないのだから。
『……先輩? ねえ先輩っ!? どうしてなにも言ってくれないんですかぁ!?!?』
リッカ……? まさか鼓膜が破れたことに気づいていない? 今もあいつは俺からの指示を求め続け、縋っている。命の危機に、まず俺を、頼ってくれていて……。
「違うリッカ、お前は耳が……クソッ、この声も届いてねえんだよな!? どうすればッ」
背後で立ち上がったステラへ、視線を向ける。
俺の視線を感じ取ったステラが、ぼそっと、
「もう無理ね」
なにが、と聞かずとも、俺は理解していた……だからこそ、彼女の胸倉を掴んでいた。
「私たちにできることは指示を出すことだけ……リッカの耳が機能しない以上、私たちにできることはなにもない――。どれだけあの子を助けたくても、手が届かない上に声まで届かない状況なら、打つ手がないでしょ……? やる気だけがあっても方法がない。
それともあなたが――いや、いいわ。無茶を言ったわね、ごめんなさい」
「いや、そうだな……それだ」
ステラを離し、俺はピットから出るため、ドアノブに手をかける。
「ねえ、まさか……いくつもり? リッカを助けに、迷宮内部へ」
「ああ。お前が言った通りだ。手が届かない、声も届かない……ここにいても俺たちにできることはなにもねえだろ……、手も声も届かない遠い場所にいるのが間違ってんだ。
あいつに届かせるためには俺がいけばいい。
どうして距離を取った上で、リッカを助けなきゃいけないんだ?」
「……死ぬわよ?」
「リッカが今も助けを求めているのに、見捨てろって?」
『せんぱ、……うぅ、たす、け…………――ザッ、ザザ、ジ……ッッ』
最後に聞こえたリッカの声。
そして、ナビぐるみから聞こえてくる音声は、雑音だけになった……。
――迷いはなくなった。
もしも、リッカが怪物に食べられたのだとしても。
……怪童であるリッカは、胃の中で完全に消化されるまで時間がかかるはずだ。
噛み砕かれてぐちゃぐちゃになっていない限りは、丸飲みにされて怪物の腹の中にいるのなら――まだ助けられる。
先輩先輩っ、なんてやかましく呼びかけられる声を求めている。俺とここまで長続きした怪童はきっと、これまでもこれからも、あいつ以外にはいないだろう――。
リッカ以外は、考えられない。
『先輩、今日の分を言い忘れていました……大好きです』
『いつあたしを恋人にしてくれるんですかー?』
『秘宝を回収したら、先輩のおうちに遊びにいきますからね!』
『男子の手作りお弁当じゃなくて、女の子の愛妻弁当の方がいいでしょう?』
『……先輩なんて大嫌いです、もう知りません……――嘘です嘘です! ごめんなさいあたしが悪かったですからっ、見捨てないでください先輩のことが好きなんですぅっ!』
『――返事はどうしました、先輩?』
――からかわれていただけだったが……それでも俺はあいつの声で安心していたのだ。
毎日、そのセリフを聞くことで確かめていたのかもしれない……。
リッカは俺の傍からいなくなることはないってことを――。
コミュニケーションの一環なのだから、他の男にも言っている可能性もあったが……、出会った時こそ一人だったが、ペアを組んでから明るくなったあいつに引き寄せられる奴は多かった。
今では多くの人に愛される存在になっている……――失うわけにはいかないな。……いいや、そんな言葉で誤魔化すのはやめよう、リッカを前にしているわけじゃない、あいつに知られないのであれば、自分の心の中で本音を言うくらい問題ないはずだ。
ああ、そうだ。リッカを失いたくない。
長続きしたペアだからじゃない。
扱いやすい怪童だからじゃない――リッカだからだ。
俺はあいつを――。
「……ちゃんとした、返事をしねえとな」
「はい、これ。持っていきなさいよ……迷宮内部を、まさか目も耳も頼らずに進む気?」
「……ステラ」
「フクロウ型のナビぐるみ。私が指示してあげるから――でもいい? 私はマッピングや現状から打開策を発案するのが得意なだけで、リアルタイムで変化する迷宮内部の指示に長けたわけじゃない……、あなたと同じ技術を求められても困るからね――いい?」
羽ばたいたフクロウが俺の肩に乗った。
ぐるり、と首を回す仕草は本物そっくりである。
「……ちょうどよく、事前に申請しておいたあなた専用のユニフォームがあるから……使いなさいよ。理由なんか聞かないで。
あなたを試しに迷宮へ落としてやろうとか、考えていたわけじゃないから」
「怖ぇよ。……お前ならやり兼ねないんだよなあ……、だけどまあ、今は助かった」
ユニフォームのありなしは大差ないが、しかし些細な差はあるのだ。
その差で拾える命があるなら、着ておいた方が得である。
高威力の銃があると知りながらも、鉄板を腹に仕込んでおけば、多少は安心するようなものだろうか? ……貫かれることは承知で、だ。
気持ちの問題、だ。
「ねえ、グリット。リッカのことが好きなの?」
「その答えは、行動に出ていると思うが?」
「……そうね。なら、どうしてこれまではぐらかしてきたの?
あれだけリッカからの告白を受け続けていながら――」
「冗談にマジになる気はなかった……、だけど、受け続けたこっちが本気になったんだ、笑われてもいいから返事をするべきだと思った……だから死なせねえよ」
そして、俺は捻ったドアノブを押し――扉を開ける。
「今、そっちへいくから――待ってろよ、リッカ」
声だけで助けられる命は限られている。声では助けられないけど、絶対に助けたい女の子が危機に陥っているのなら、足と手を使って拾い上げる――それしかないなら進むだけだ。
怪童の世界へ――。
俺は初めて、足を踏み入れる。
―― ――
「冗談にマジになる気はない、ね……本気で言っているのかしら?
あいつ、リッカが冗談で言ったことなんてないってこと、理解していないのね……」
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