第7話 皇后候補
ルカルディオ皇帝陛下の女性嫌いは、噂で聞く以上にひどいものだった。しかし陛下は、幻覚魔法で弟になりきってる私には全く無反応でいる。
つまり私は正体がわからないよう、こっそりみじん切りにしてハンバーグに練り込まれたピーマンみたいなものだ。正体を明かせば陛下の女性嫌いが治りそうだけれども、陛下を欺いた罰を受けねばならないから、私は黙っているしかなかった。
昼休みを迎えたので陛下の警護をベラノヴァ団長と交代して、修練場までバレッタ卿と回廊を歩く。
――皇太子時代、私たちとパーティーで会ったときは普通だったのに、その後何かショックなことがあったのかしら?
「うっ」
前を歩いていたバレッタ卿が突然立ち止まるので、私は顔面を彼の背中にぶつける。
「し、失礼しました」
「きちんと前を見て歩けもしないのかフォレスティ卿」
「ごめんなさい、以後気をつけます」
振り返ったバレッタ卿は、切れ長の瞳をもっと細めて睨んでくる。そんなに怒らなくてもいいのに。バレッタ卿なんて背中まで筋肉モリモリなんだから、私の鼻の方が痛かった。
「確認したいのだが……フォレスティ卿は、本当に後ろめたいことはないのか?」
「は、はい?」
「女性関係だ」
「ないですよ」
後ろめたいことと言えば、私が本当は、女であることくらいだ。
「……陛下は、女性がとにかく苦手でいらっしゃる。不埒な行動を取って陛下にご迷惑をかけないよう、私生活であろうと慎め」
「はあ」
信じられないことに、バレッタ卿はまだサーシャがあのメイドを何とかしたかもと怪しんでいるらしい。そんなに人を疑うってことは、バレッタ卿自身が後ろめたいことしてるんじゃないの?と思ってしまう。嘘つきは猜疑心が強い。今の私のように。
まあそれより、聞きたいことがある。
「バレッタ卿は、ルカルディオ陛下がなぜあのようになったか、原因をご存知なのですか?」
「大きな声では言えぬが、皇太后陛下と関わりがある。言いふらすなよ」
「皇太后陛下……」
皇太后陛下、つまりルカルディオ陛下のお母様と関わる何か。それは根が深そうで、大変厄介な話だ。
「それでは、私が陛下に出来ることは、やっぱりないですよね……」
「お前の双子の姉を早く連れてこい。それくらいだ」
「え、でも」
「近衛騎士希望者名簿のお前の名前を見たときに、陛下が彼女を思い出されたのだ。彼女には良い印象があるからもしかしたら平気かもしれないと。女性に好意的な感情をお見せになったのは、即位後初めてと言えるくらいだったぞ」
「……」
その件については、ルカルディオ陛下からも若干内容は違うけれど聞いた。でも、今は無理って話だ。
「姉は今、体調が悪くて寝込んでいるのです」
双子の
「それは心配だな。治るのか?」
「ええ、もちろん治しますよ」
「ふむ? 実際に、陛下とサーシャの姉が会ってみなければどうかわからぬが、もし会って陛下の具合が悪くならなければ、皇后候補だぞ。早く治るといいな」
「はっ?! こ、皇后候補?! 私が……私の姉が?!」
バレッタ卿の飛躍しすぎた妄想と思いたい。バレッタ卿は私の顔を舐めるようにじっと見てくる。
「なぜお前がそんなに顔を赤くするんだ? 家柄的にもフォレスティ家なら問題はないし、彼女は浮いた噂ひとつなく、3ヵ国語が堪能な教養高い淑女だそうではないか。丁度良い」
「私の姉に随分お詳しいですね。調べられたのですか?」
「……まあな」
修練場に向かう足を止めていたが、歩みを再開してバレッタ卿は頷く。私も置いていかれないようについていく。私の知らないところで、とんでもない話が進んでいたらしい。
「あの、陛下が私の姉について述べられたとき、バレッタ卿と陛下のほかに誰がいましたか?」
「ベラノヴァ団長と、ジルだが」
「そうですか」
――何だかわからないけど、私の存在がサーシャの身の回りを不穏にした可能性がある。というのは考えすぎだろうか。
特に侍従のジルは怪しい。何もかも見透かしているかのようなあの微笑み。陛下の全幅の信頼をいいことに、好きに動いているように見える。
◆
夜になり、私は与えられた個室でサーシャ宛の手紙を書いていた。
近衛騎士の制服にまで呪いがついていたこと。それによって陛下の側近になれたこと。だけど思ったより忙しくて調査は進んでいないこと――
「ううー、これは書いちゃいけないかな?」
いい報告でもないし、もし手紙を誰かに盗み読まれたら大変かも。私は魔法で手紙を燃やす。
「フォレスティ卿、夜分にすみません。今よろしいですか?」
扉を叩く音と共に、声がした。この優しい響きは、ジルの声だ。ジルはいつも柔和で、親切そうな雰囲気を崩さない。そういうとこもまた怪しい。
「はい、何でしょうか」
ジルなんかに手紙を読まれたら大変だったなと内心焦りつつ、扉を開ける。そこには、ジルとルカルディオ陛下が揃って立っていた。悲鳴が出そうになってぐっと呑み込む。
「……っ!ルカルディオ陛下、いるなら先におっしゃって下さい」
「はは、驚かしたくてつい、な」
私はもうお風呂に入って夜着に着替えていた。一応男性ものではあるが、あまり陛下に見せられるような格好ではない。ルカルディオ陛下は笑顔を弾けさせる。
「もう夜だし、格好は気にしなくて良いぞ。私も着替えた」
陛下は、昼間用の豪華で装飾的な衣裳ではなく、シンプルな紺色の、襟の低いシャツだった。
「ですが……」
「サーシャが痩せてしまっているのが心配で、寝る前の飲み物を持ってきた。体に良いんだ」
ジルが、死角になっていたところからワゴンを押してくる。蓋付きの珍しいティーカップが二つ、乗っていた。私は招き入れるしかなく、ドアを大きく開ける。ジルは、ひとつしかないソファ前のローテーブルにカップを二つ置いた。
「それでは、お二人でごゆっくり」
またも、何もかも見透かすような微笑みをさらけ出してジルは退室した。何だって言うんだろう彼は。陛下はソファに座って手招きをする。
「冷めないうちに、さあ」
「あ、ありがとうございます。気を遣って頂いて光栄です」
「そんなに堅苦しくしなくていいから。飲んでくれ」
昨夜と同じように、陛下と並んで座った。陛下の横顔は変わらず凛々しくて美しいし、こんな人がもし私を望んでくれるなら、なんて考えてしまった。
陛下はかっこよくて優しくて、魔力も高くて考え得る最高のお人だ。子どもの頃に会って以来、少しでもお近づきになりたいと憧れ続けていた。でもそれは皇宮のどこか、文官とかになって遠くから眺められたらいいな、というささやかな願いだ。もし結婚なんてしたらどんな風に過ごせばいいの――つい捗ってしまう想像を振り払うように、カップの蓋を取った。湯気を立てているのは、想像を超えた、薄青いミルクだった。
「これは……」
「
「おいしいです……! 夢みたいに」
絹のような舌触りと、全然しつこくない、さらっと消える甘さ。花のシロップの華やかさに負けないミルクらしい香りはあるのに、獣臭さは微塵も感じられない。
「それは良かった。サーラ嬢も喜ぶだろうか? もし良ければ送るよう手配するが……」
「よろしいのですか? ありがとうございます。すごく喜ぶと思います」
陛下は自分でも一口飲み、ふうっと息を吐いた。
「例のメイドだが……」
「彼女、何か言いましたか?」
「いや、まだ口を割らぬ。だが恐らく皇太后の差し金だろう。私のせいでサーシャに迷惑をかけてしまったな」
ティーカップをテーブルに戻して、ルカルディオ陛下は両手をきつく組んだ。
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