第21話 小さな虚栄心
その年の夏は延々終わらなくて十月になっても昼間は半袖でいられそうだった。
学校では校則で衣替えの時期が決まっているので、美波の開襟は閉じられ、代わりに襟元に赤いリボンが付いた。額にうっすら汗をかいている。
実を言うと美波の通ってる学校は偏差値こそうちより少し低かったものの、お嬢様学校として有名だった。
リボンの付いたブラウスにセーラーカラーの紺のジャケット、同色のプリーツスカートはだから俺たちの憧れだった。
「え? 無理。意味ないんじゃない?」
「俺もそう言ったんだよ。だけどアイツら、紹介しろってうるさくて」
そりゃそうだ、付き合う前から美波のことは俺たち知ってた。『読書の君』なんて冗談で呼びあって、どんな子なのか想像してた。
全体的に色素薄め。日光に透けてしまいそう。その透明感は外見だけではないように見えた。
やわらかそうなくせっ毛の髪は夏の間は結ばれていることが多くて、嫌でも目はうなじに向かった。
その美波とあんなきっかけで付き合うことになった俺をみんなラッキーだと言った。――特に、フリーだった時に知り合えたことも加えて。
「お願い! 代わりになにかお願い聞くから!」
美波は思案顔になった。代わりのお願いを考えてるに違いない。
「わかった。じゃあ代わりに別の日にわたしの友だちにも会ってくれる?」
「いいの?」
「······知らない男の子ふたりに会うなんて緊張してわたし、おかしなこと言っちゃうかもよ」
「いつも気にしすぎ。美波はおかしくないって。それよりヤツら、すごい楽しみにしてるから喜ぶと思う」
「お世辞はいらないの。ただちょっと興味があるだけなんでしょう? ほんとに一度きりだからね」
「恩に着る」
俺は大袈裟に手を合わせて頭を下げた。
だって本当に自慢の彼女だ。誰にも見せたくないくらい。小さな瓶の中にしまってそっと大切にする。そういうことを考えるくらい。
「瑛太くんの親友なら嫌われないようにしなくちゃ。わたし、がんばるね」
だからそういうことじゃ、と言っても美波の心はもうそっちを向いてしまって戻ってこなかった。もっともそんなところもかわいいのだけど。
「え!? 美波ちゃん、会ってくれてるって?」
「美波”ちゃん”言うな」
「美波さん」
佐山と奥寺は部活も一緒の友だちだ。ずっとつるんでる。だから俺のくだらない女性関係にも詳しい。そこんとこは美波には黙っててほしい。
「あーあ、声かければ付き合えたかもしれないなら俺が声かければよかった」
「奥寺ってそういうとこあるよな。変な自信みたいなの」
「
奥寺はつまらないという顔をした。
つまらないと言われても、美波はもう俺のものだ。大体いくら美波が天然だからって、声をかけられたら誰とでも付き合うというわけじゃあるまい。王子様にキスされたお姫様のように。
俺は美波と俺の間にあるものを信じてる。あの時感じた特別な感じを信じてる。
「ま、当日が楽しみだな」
部活のない日の放課後を当てることにした。
あの日――ラケットを落としたあの日と同じ電車に乗る。美波の姿が奥に見える。
今日は本を読んでいない。俺たちに気づくと小さく頭を下げた。
「初めまして。坂口美波です。今日はよろしくお願いします」
実際に美波に話しかけられると佐山も奥寺さえ緊張が見て取れた。
奥寺はさっと手を出した。こいつ握手を求めるなんて、なんてヤツだ。
今度は美波が真っ赤になった。見ていてかわいそうなくらいに。
「奮発してスタバとか行っちゃう?」
「オッキー、いきなり気が大きくなってない?」
「なってねぇよ。女の子いるんだから、オシャレな店の方がいいだろう?」
「え!? わたし、百円マックでも全然構わないです。お気遣いなく」
「美波さんの方こそ」
というような感じでぞろぞろスタバに入った。見えないところで美波は俺の制服の裾を握りしめていた。
美波を座席にすわらせて、三人でオーダーに向かう。
「かわいい。緊張してるところがかわいい。うちの学校の女子とは全然違うな」
「あんまりそういうこと、美波に言わないでくれよ。普通の女の子として見てほしいんだって」
「なんで?」
「特別って嫌な時もあるだろう?」
「なろほど。そういうタイプなんだ。ますます奥ゆかしい」
カウンターから目を離さずにいると、美波はぽつんと深刻そうな顔をして座っていた。今にも大きなため息がこぼれ落ちそうだ。こんなに重いものをあの小さな背中に乗せて、俺は何をやってるんだろうと思った。
小さな虚栄心を満たすためにここに来たんじゃないかと疑わしくなってきた。
「ちょっとごめん」
列を外れて美波の元に向かう。美波がパッと顔を上げて、思いの外、明るい笑顔を見せた。
「大丈夫? 気分悪くない?」
「悪くない。緊張しちゃってるだけ。だって知らない人だし男の子だし」
「そうだよな、俺の配慮が足りなかった。美波を見世物にするなんて」
「······それでもやりきるもん。わたしだだっていつまでも知らない人とお喋りもできないようじゃダメだと思うの。ちゃんと気に入ってもらえるようにがんばるからね」
最後の変な気合いはよくわからなかったが、美波なりに自分のコンプレックスと対峙する機会だと捉えていることはわかった。それじゃあ変な気を回すのはやめよう。
「美波、今日もかわいい。俺以外のヤツに笑顔を見せる必要はないから」と囁くと、背中を叩かれた。元気な証拠だ。
その後の美波はがんばった。まるでバイトの面接を受けているかのように、背筋を正して矢継ぎ早に来る質問をやり過ごした。
俺はそれを彼女の知らなかった側面を見たような気持ちで眺めていた。こんな美波もいるんだなと、いつでも守ってあげるだけじゃダメなのかもしれないと彼女を見つめていた。
何より、一生懸命質問に答える姿がとてもかわいらしかった。
『今日はお疲れ様』
家に着いてからLINEする。あれじゃ相当疲れただろうと心配して。
『瑛太もお疲れ様。わたし、ちゃんと瑛太の彼女、できてた?』
『百点! どこも気に病むところはないよ』
『瑛太はやさしいからそうやって言うけど』
他の誰でもそう言うと思うぞ。
『ワガママを聞いてくれてありがとう』
『これくらいのことで瑛太のお友だちの信頼を買えるなら安いものです』
にっこりウサギのスタンプが押されてきた。
『やっぱり俺の彼女は美波しかいないよ』
だって美波は言ったんだ。アイツらにどうして付き合う気になったのか聞かれた時に。
――初めて会った時、もう瑛太のことしか考えられなかったから。
そんなの美波が男慣れしてなかったからってだけかもしれないのに、美波は運命を信じてる。
だから俺も、この星が終わるまでこの運命を手放さずにいようと決めたんだ。
特別なのは美波だけだ。
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