土方歳三の異世界血風伝
鈴片ひかり
第一章 異世界転移
第1話 函館政府 陸軍奉行並
寝床の固さに違和感を感じ目覚めてみれば、見慣れぬ服を着せられていることに気づきはっとなった。
「俺はたしか腹を撃たれて落馬したはずだが」
上着をめくり腹を見てみると、何やら癒着したような痕跡がわずかに見られるばかり。
「……」
腹を撃たれたら助からない。肺ならばまだ助かる可能性が残っている、というのは常識ではあったしこの傷の具合から一か月は経過していそうだ。
「どういうことだ……」
その独り言に対する返答が帰ってくるとは、まさか思いもよらなかった。
「お目覚めになられたのですね。よかった」
びくっと反応し声のほうを見やると、西洋式の使用人が着る洋服を身に着けた少女が、頬を赤らめながら恥ずかしそうに微笑んでいた
「二日も眠っていたので心配していたのですよ? お加減が悪いところはございませんか?」
「いや、大丈夫そうだが、そなたは?」
「あ、申し遅れました。私、使用人と看護を任されておりますシルビィと申します」
「しるびぃ殿……すまんが俺の服を持ってきてもらえぬだろうか。フランス式の軍服なのだがやはり落ち着かんのでな」
シルビィは小さい声で「はい」と頷くと小走りで駆けて行った。
ベッドから身を起こし、わが身に起きたことを思い返してみるも、辻褄が合わないことだらけであった。
腹の怪我も順調であるし、かかとに受けた銃創もすっかり完治しているようだ。
だいぶゆっくり寝られたおかげで体調もすこぶる良い。
体の動きも問題ないようだが、やはり腰にあるものがないとどうにも落ち着かない。
考えられる事態としては、フランスの軍事顧問団に保護され異国で療養を受けたのではないか? 重傷を負った後では記憶が混濁することもあると聞く。
よもや自分がそういった目に遭うとは思ってもみなかったが、また命を拾ってしまったということなのか。
生き延びてしまったという自責の念と、後悔の感情が噴き出す直前にシルビィが戻ってきた。
両手に抱えられた懐かしいあの軍服が、きれいに洗濯された状態で血の汚れすら見られない。
「シルビィ殿すまない。手間をかけるな」
「そんな私みたいなただのメイドに殿なんて、もったいないです」
「いやそれはまあ、えっとだな。少し着替えをしたい」
「あ、すいません」
シルビィが部屋を出ている間、着慣れた軍服と軍靴に着替えるとさすがに身が引き締まってくる。あの戦闘に塗れた日々が数秒前のように思い起こされていく。
「シルビィ殿、いくつかお聞きしたいことがあるのだが時間はよろしいか?」
「あ、はい! わたしで分かることでしたら」
椅子をすすめると、シルビィはアッシュブロンドの金髪のおさげを揺らしながら、ちょこんっとかわいげに座った。
「俺を保護したのは砲兵教官のブリュネあたりだと思うのだが、経緯を存じないか?」
「え? ブ、ブリュネさん? 初めて聞きますけど、えっと、転移者様、あなたのお名前をうかがってもよろしいでしょうか?」
「あっこれは失礼した。拙者は函館政府 陸軍奉行並 土方歳三と申します」
「ヒジカタ トシゾウ様ですね。やはり転移者は変わった響きのお名前が多いのですね」
「さきほどからたびたび口にする 【 転移者 】とは何なのだ?」
「そう、ですよね。転移者って言われても困りますよね。えっとですね、えっと、うんと……上司に聞いてきまーす!」
部屋を飛び出して行ったシルビィの天真爛漫な仕草に、歳三は久方ぶりに笑った気がする。
江戸ではあまり見られぬ女子のふるまいではあるが、フランスであればあまり問題ないのだろう。
部屋を見回すと窓ガラスにベッドや椅子とテーブル。洋式軍艦の内装で見かけるようなものだが、どこか違和感がつきまとう。
何気なく窓の外を見てみると、月明りが差し込み今が夜であることを告げている。
「どこにいようと月は同じ光を……じゃねえ、なんだこいつは!?」
夜空を埋めつくす満点の星空の中に、月が煌々と浮かんでいたのだが、その数がおかしい。
「月が4つ!? 狐狸に化かされたとでもいうのか」
シルヴィは一人で戻ってきた。
「御待たせしました土方様。転移者についてですよね」
「シルビィ殿、それもそうなのだが、なぜ月が4つもある?」
相当に渋い表情をしていたのだろう。
シルビィは軽く「ひぃっ!」と悲鳴をあげつつ、恐る恐る説明を始めてくれた。
「ああ、お月様ですね。この時期は4つしか浮かばないんですよ。冬になると銀の月フェルタールが……って土方様?」
「すまん、俺は正気を保っているのか?」
「多分ですが、転移者だからだと……思うのです」
戸惑う土方に対し、シルヴィは丁寧に転移者、つまり強制拉致召喚現象というこの世界に起きている特有の現象を説明してくれた。
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「つまり、俺は別の世界に呼ばれたということだな」
「はい」
「そして呼んだ奴も、原因も不明」
「はい! その通りです」
土方の脳裏に真っ先に浮かんだのは、自分が消えた函館の、日本のことだった。
それは苦楽と生死を共にした試衛館の仲間と、新選組の隊士たち。彼らの魂と永遠に離れてしまたっという壮絶な孤独感。そして……
函館はどうなったのだろう。恐らく新政府軍に抗せず戦った後に降伏するしか道はないだろう。部下たちの安否は、自分が指揮を取れずに崩壊してしまった戦線はどうなるのだろうか。
様々なことが荒波のように押し寄せ、ごちゃ混ぜになっていく感覚。
ふと、別の思考が頭の端を掠めた。
なぜ俺は他人のことばかりを考え、心配し心を砕いているのだろう。
こんなに人情ともいうべきものがある人間だとは、ついぞ思わなかった自分である。
冷徹で近藤さんをどうやって盛り立てていくかを第一に考えていたし、それで犠牲になった、してしまった奴らからすれば俺は嫌われて、憎まれて当然の人間だ。
何をどう、思考を前に進めたら良いのかが分からなくなってしまった。
むしろ、狐狸に化かされていたほうが楽だと逃げたくなる。
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