フタリゴト
詩音
フタリゴト
思い返すと、それはどうやらりんごの様な夏だった。それも、青リンゴの様な。別に、彼女が青リンゴを好んでいたからこう言っている訳ではない。
どうもチープな言い回しと言うのはその多くが言い換えが可能な様なのだが、僕はこの言葉のしっくり来る同義語が思い付かない。使い古され、これを使うとどうも安っぽい感じが出てしまう言葉。けれど僕はこの言の葉を使うしかないのだ。甘酸っぱい。
青リンゴの様に甘酸っぱく、何だか馴染みがあるけれど口にする事は案外少ない。それに、そのまま齧り付くには少しだけ躊躇する。飲み込んだ後には清涼感と少々不快な甘さ、青臭さなんかが残る所までそっくりだ。もしかすると「青リンゴの様」ではなくて、この夏は「青リンゴそのもの」だったのかな、もしそうなら早く歯磨きしないと虫歯になっちゃうな、彼女がそう言ってたもんな、なんて残暑でまだ少しバテ気味の脳で考える。僕は一体何を考えているんだろう。もう終わったことなのに。未練だってある訳じゃないのに。そうやって我に返るくせに、気付けばまたこの青リンゴのことを考えている。やはり誰かの言う事なんて6割がた信じなくていいな。だって自分の事でさえ分かってない事が多いんだから。
ああ、ここまで僕の話を聞いてくれた君、そう、そこの君。残念だけど彼女と僕の話、この青リンゴの話は教えないよ。彼女と約束しちゃったからね。その代わり、好きに妄想してくれて構わないからさ。この青リンゴの間の出来事は僕のこの小さな胸の中に仕舞って、鍵を掛けておくんだ。パスワード式よりもダイヤル式の南京錠なんかの方が雰囲気出るかな。なんてね。夏の間、毎日青リンゴ片手に僕の所へ来て、それを食べながら色んな話をしてくれた黒髪ボブの女の子のこととか、その子は青リンゴ以外にもオニオンスープが好きだってこととか、僕がオニオンスープを食べたことがないって言ったらそれはそれは悲しそうな顔をしたこととか、僕がその子の名前も知らないのに恋してしまったこととか、僕が生物学的に雄じゃなかったって事とか。それに夏が終わるとほぼ同時に毎日入院着で来てた彼女がぱったりここに来なくなったこととか。君には教えないよ、彼女と僕の秘密だからね。
いやあしかし、ここはいい場所だよねえ。水に入るのは嫌いだけど、この海沿いは好きだよ。堤防の上なんかはいつ歩いても楽しいよね。心地良い潮風が僕のヒゲを撫でていくから。降りるのは少し怖…いや、何でもない。
あ、ねえねえ。君ってさ、オニオンスープ、食べた事ある?まあ大抵のヒトはあるのかな。あれってさ、どんな味?羨ましいな、彼女と同じものを食べれてさ。
「みゃあう」
…僕が人間だなんて、誰も言ってないよ?
フタリゴト 詩音 @shi_on
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