第4話 イチローが凄い! 親子野球談議
2004年12月30日
父・史矢が子供の時からひいきにしていた巨人(ジャイアンツ)だが、あの強力打線をもってしても上原16勝、工藤7勝、木佐貫10勝、高橋尚成4勝と新4本柱のピッチャーで37勝止まり、シーズン3位というのもうなずける。
麻矢との共通の話題は野球だった。10月4日の横浜戦で阿部が33本目をかっ飛ばして工藤が10勝目となった時点で2位に浮上したのだが、それから3連敗、強力打線が火を噴かないままで3位に転落した。
麻矢が野球をすることに興味を持ち始めたのは中学に進学するころ。小学生の時は町内会の子供ソフトボールチームに兄・郁矢が参加していたので、コーチとして協力していた父・史矢に誘われて嫌々参加していただけだった。
麻矢が先に夢中になったのはファミコンの野球ゲーム。パワプロなどの野球ゲームの初期はプロ野球選手の本名を表示していなかった。巨人の選手なら「ぬわた(桑田)」「くどい(工藤)」など。それが誰のことなのかテレビでナイター中継を見たり、父・史矢が毎年春に買ってくる「選手名鑑」も参考になったようだ。
麻矢はピッチャーにも興味があるようで~「工藤は防御率4点台で7勝もできたのは強力打線のおかげね」「木佐貫はルーキーで頑張ったけどね」「河原が今年ダメなままで守護神と呼べるストッパーを作れなかったのは200勝投手の堀内監督としては無様だったよ」
麻矢がバッターとして注目していたのはメジャーリーグに渡った松井とイチローだ。松井はメジャー2年目でマークが厳しくなったのにホームラン31本打った。「1年目が16本しか打てなかったのが悔しくてパワーアップのために100㌔オーバーに肉体改造したのよ」「スーパー・ゴジラになったのかな」
イチローはメジャー4年目の30歳。1年目から3割5分の高打率で、2年目、3年目も200安打を続けていたが打率は落ち気味。一部で限界説も出始めていたのに~「イチローが凄かった、スボーツニュースで見るたびに毎日のようにヒットを打っていたし」「5月と7月は月間50本打ったし、8月は1日で6本打ったりして月間56本」「7月と8月の打率は軽く4割超えだったよね」「そうなるとメジャーのピッチャーたちも勝つための敬遠が多くなってきたし」「足も速すぎるから内野安打阻止の前進守備になってきたよね」「そうそう。ジョージ・シスラーの257本を日本人に更新させてたまるか的な」「そんな逆風をもろともせず、あっさり打ったよね新記録の258本目」「凄かった~」
イチローはその後も記録を伸ばして262本でシーズンを終えた。
年末のテレビ特番で放送された「イチローの262本」も、もちろん親子で楽しんだのだった。
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