第10話 断ち切って

 僕は父さんと母さんにも謝って、半ば無理やりに納得してもらった。

 この意志だけは、どうしたって曲げられない。この先ずっと弟のことで後悔して生きるなんて、絶対に嫌だ。僕は僕たちの幸せに水を差されたくない。


 両親が目を抉る準備をしてくれている間に、僕はレンファと一緒に宝物のところまで行った。

 広い家に長い時間1人きりにされて、外では絶えず人が争う怒声。寂しくて、怖かったんだろう。エルトベレは僕たちの顔を見るなりピーと泣き出して、短い足で駆けてきた。


 僕は笑顔で小さな体を抱き上げたけど――このずっしり感、オムツがパンパンになっているぞ。可哀相に、こんなの虐待だ!

 思わず「だから、傍に居てあげてって言ったのに」って目でレンファを見たら、キツネ目をサッと逸らされた。


「パパ、おかえりなさいー」


 鼻をグジュグジュ言わせながら、必死にしがみついてくるのが可愛い。小さな頭を撫でて「オムツ変えようねー」って机の上に座らせる。

 エルトベレは本当に母親似だ。黒々とした髪にキツネみたいな釣り目。真っ白な肌は――まあ、僕もそうか。

 新しいオムツを持ってきて、小さなズボンを脱がせながら語りかける。


「エルトベレ、パパの左目をよく覚えていてね」

「目?」


 不思議そうな顔をしている男の子に笑いかけて、僕は長く伸ばしている前髪を左耳にかけた。

 相変わらず、暗いか明るいかぐらいしか分からなくて、モノの色も形も分からない。両目で見るなんて言ったって、結局は右目でしか見えてない。


 僕の左目はもうずっと、ただの飾りだった。いや、いつも髪か色付き眼鏡で隠しているんだから、飾りの役割すら果たしていないな。

 だから本当に、ただの――なんて口に出すと、またレンファたちが怒り狂いそうだから、もう言わないけど。

 アルビノの身体の一部ならどこでも良いとは言ったって、指は問題なく動くから大事なモノだし、捨てられない。

 たった1本、指の先でも欠けたら困る。僕は全部の指で皆に触れて、なぞって、形を確かめたいんだ。


 その点、どれだけ見ようと思っても皆の姿を写してくれない左目なんて、僕のからすれば捨てて良いモノだよ。

 例え目玉が欠けたって今まで通り髪で隠せば良いし、街では『義眼』っていうものもつくれる。どうせただの飾りなら、義眼で十分さ。


 ――ただ、正直言ってジェフリーを救うのにで良いのかなって思いはある。

 無意識のうちに呪っちゃうんじゃないかな、とか、病気よりももっと酷い死に方をするんじゃないかな、とか。

 でも右目は渡せないし、他にあげられるものもない。それに、例え右を渡したって彼の身体が治ることはない。


 なんだか、レンファと一緒に爺ちゃん婆ちゃんの孫を演じていた時と同じだな。

 こんなことをしたって何にもならない。僕にとってはただの自己満足で、ジェフリーの気休めにしかならない。

 だけど、少なくとも彼にとっては僕の左目がの薬で、生き残るための確かな希望だ。


「どうか心安らかに――「兄さんは許してくれた、助けてくれた」って……せめて、明るく楽しく死んで欲しい」


 エルトベレのオムツを交換し終わった時、僕は無意識にそんなことを漏らしていた。

 小さな宝物は言葉の意味が分からなかったんだろう。やっぱり不思議そうに首を傾げたあと「オムツさらさら!」って笑った。


 レンファの細い両手がお腹に回されて、背中にぬくもりを感じる。僕はその手を撫でてから「今度こそエルトベレの傍に居て」とお願いした。

 どうしたって彼女にはストレスを与えてしまうけれど、せめて目を抉る瞬間だけは見ないで済むように。


 それに僕、たぶんこの後父さんと一緒に街医者行きだしね?



 ◆



 父さんと母さんが用意してくれたものを持って、僕は家の外へ出た。

 もう辺りは夕日で赤く染まっていて、冬が近いからあっという間に暗くなるだろう。

 馬車もなしにカウベリー村まで歩いて帰るのは、なかなか大変だろうな。あの村がどれくらいの位置にあるのか、僕はいまだに知らないんだけどさ。


 ――セラス母さんには、レンファとエルトベレを見ていてもらうことにした。

 母さんに押さえていてもらわないとレンファはまた飛び出してきそうだし、やっぱり僕が自傷するところなんて見せたくない。

 ゴードン父さんはすぐ街へ行くつもりなのか、馬車の準備が万端だ。御者席に座っているし、いつでも出発できるように馬が街の方を向いている。


「じゃあ、今から左目を抉るね?」


 痩せた男女、その間に支えられて立つジェフリーに向かって淡々と説明する。

 スプーンで目をかき出して、ナイフで神経を切る。とった目玉は水を入れたビンに詰めて渡すから、受け取ったら帰って欲しい。

 そして、二度とこの森に来ないで欲しい。


 ――僕はジェフリー許すことにした。

 だから大事な目玉を1つあげるけれど、その代わりそれ以上を求めないで。


「僕が許すのはジェフリーだけだ。おじさんとおばさんについては、正直二度と関わりたくないと思っている――復讐したいくらいなのを我慢しているんだから、むしろ感謝して欲しい」

「な、なんだと!? 親に向かってそんな……!」

「親なら、僕のことを守ってよ。今まで僕に何をしてきたか――今何をしているか、本当に分からないの? 2人はジェフリーさえ生き延びればそれで良いんだよね? じゃあ、僕に向かって恩着せがましく「親だ」とか「恩返ししろ」だとか言ってくるのは、金輪際やめて」


 グッと言葉に詰まった男と女に、僕は「それが約束できないなら目は渡せない。ジェフリーが助からないのは君たちのせいだ」と告げた。

 ジェフリーを引き合いに出されると弱いのか、渋々頷いたのを見て安堵する。


 どうせジェフリーはダメなんだ。

 ダメになったあとに「よくも呪ったな」なんて言ってこられたら、目も当てられない。

 ――渡すのがだけに? 面白くないこと言っちゃった。


 スプーンの先を左目に当てると、男たちが息を呑むのが聞こえた。

 抉り出す瞬間はとんでもない痛みと熱さに襲われて、脂汗が噴き出してくる。そんな苦痛に耐えるために考えたのは、どうしてか親だったに人に対する〝復讐心〟だった。


 僕みたいなヤツのゴミのような左目に縋って、大事な一人息子の命を託して――こんな意味のないことに必死になって、本当にバカで憐れだな。

 2人が何よりも大事にした宝物は死をまぬかれない。だけどそれは自業自得だ。

 秘薬を独占しなければ――増長して村で横柄に振舞わなければ、もっと長生きできただろうに。僕はならないように、気を付けなきゃな。


 ジェフリーの心を救ったのは、最後に生きる希望を見せてあげたのは、2人じゃなくて僕だ。

 彼はきっと両親にじゃなく、僕に深く感謝しながら――僕を想って「これで治る」と、幸せなまま死ぬだろう。

 ここまで大事に大事に育ててきたのに、最後の最後にジェフリーの心を僕に奪われて、何も残らない。

 心の底から絶望すれば良いんだ、


 僕は血まみれになった顔で、嬉しくなって笑った。

 ――ああ、やっぱりレンファに見せなくて正解だ。こんな醜い僕の本音は絶対に見せたくない。

 あれだけ母さんから「ざまあみろ」には気を付けろって言われていたのになあ。まあ、僕が許せるのはジェフリーだけだから仕方ないよね。


 目玉を入れたビンの水は、瞬く間に真っ赤に染まった。

 それをジェフリーに押し付けて「早く元気になってね」と気休めにしかならない嘘を吐く。

 ――いや、ジェフリーにとっては真実だな。これで治ると本気で信じているんだから。


 ジェフリーはボロボロの顔で泣きながらビンを両手で抱き締めた。


「助けてくれて、許してくれてありがとう……! 体が治ったら、サーシャの家に謝りに行くよ……本当にありがとう――!」

「……きっと、サーシャにも許してもらえるよ。でも、謝るなら家族全員で行った方が良い。あの村では「個人」じゃなくて「家全体」を見られるんだからさ」


 ジェフリーは何度も頷いた。そして、気まずげな表情の男と女に体を支えられながら帰って行く。

 ――両親だった2人は最後まで僕にお礼を言わなかったから、本当に安心した。いやあ「ざまあみろ」して大正解だったなあ。


 そうして森の邪魔者が帰るのを見届けたら、僕はゴードン父さんに抱えられて馬車に乗った。

 タオルで押さえて止血しているんだけど、すぐ真っ赤になって頭がフラフラする。少し寝ようかな、きっと街につけば父さんが起こしてくれるから。


 僕は過去のしがらみを断ち切った達成感と、これで家族皆が幸せに暮らせるんだって安堵感に包まれながら、目を閉じた。

 ――真っ暗な意識の中、最後にもう一度だけ「ジェフリーが幸せな気持ちのまま死ねますように」と祈った。

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