第9話 弟

 ジェフリーの大声に、僕だけじゃなくて痩せた男と女まで目を丸めている。

 彼は小さく震えながら、ようよう顔を上げた。

 その顔はどうしてか肌色じゃなくて、全体的に黄色くなっている。白目の部分も赤と黄色で濁っていて、目の下には濃い影。頬はこけているし、顔や首筋には引っ掻かれたような生傷も多い。


 なんだか僕は、改めて「あれだけ人気者だったのに」って寂しく思った。

 ――寂しく? 体のどこかが少しだけチクリと痛んだ気がして、慌ててをする。


「ジェ、ジェフリー、いきなり大きな声をどうしたんだ? 安心してくれ、父さんと母さんがお前を助けるから……」

「そうよ、アルの呪いだって――」

「――違う! 呪いなんかじゃない、僕がこうなったのは、父さんと母さんのせいだろ!!」


 ジェフリーはボロボロ泣きながら、まるで最後の気力を振り絞るように――恨みがましい目をしながら吠えた。

 ただ不思議なことにその〝恨み〟は、ひとつも僕に向いていない。


「村八分にされたのは、2人が『魔女の秘薬』を独占したからだ! サーシャが高熱を出した時、彼女のお父さんが薬を欲しがっても足元を見てなかなか渡さなかっただろ! そのせいで嫌われたんだよ、本当は心当たりがあるくせに全部兄さんのせいにして――僕が何も分からないと思っているのかよ!!」

「そ、それは――」


 レンファは、僕の父さんだった人に『魔女の秘薬』だと言って解熱鎮痛剤を処方していたらしい。とりあえず高熱が下がらないって依頼されたものだから、それを1か月分まとめて渡したんだって。

 本当は、そんなにまとめて薬を渡すなんて――もし大量に摂取したら大変なことになるし――違法だ。

 でもレンファは〝魔女〟だし、村の人間にあまり頻繁に森を訪ねて来られるのも面倒なんだろう。


 だから渡した薬の扱い、保管方法については客に委ねるしかない。

 薬を取り扱う者としては無責任かもしれないけど、街医者にかからずに薬を入手しようなんて甘い考えをもっているんだから、仕方がない部分もある。

 よっぽど酷い病気じゃない限り、2、3日解熱剤を飲めば熱は下がるだろう。だからひと月分もらったとしても大量に余るし、その後は熱が出るたびにそれを飲めば良い。


 秘薬は貴重なものだし――いくら代金がゴミだとしても――魔女なんていう得体の知れない存在と何度も顔を合わせるのは、村人からすれば怖いだろう。

 もしかすると秘薬は、村で一番価値のあるものだったのかも知れない。

 ただ、あくまでも価値があるのは秘薬であって、決して所持者じゃない。価値あるものを手にしたことで、それをもつ自分まで価値のある人間だと勘違いしたのかな。


 ジェフリーが言うには、この2人は余った『魔女の秘薬』を独り占めしようとしたらしい。

 まあ、魔女に〝ゴミクズ代金〟を払ったのは2人だし、村の人たちは秘薬と直接関係ないし、所持する権利は間違いなくあっただろう。

 ジェフリーだって体が強くないし、次いつ熱を出すか分からない。手元から秘薬がなくなれば困るし、そんなに薬が欲しいなら自分で魔女のところへ行けば良い――そう思う気持ちも、分からなくはない。


 ただ、高熱で辛い思いをしている子が居るのに、薬代を吹っかけて足元を見るのはまずい。特にあんな閉鎖的な村では自殺行為だと思う。

 サーシャの家はカウベリー村の歪な逆三角形の、平らなてっぺんだ。そんな家の子を敵に回して、平気で居られるはずがないじゃないか。


 村ではサーシャの家が一番裕福で、人気で、強かった。力をもつ者に逆らえばどうなるか――村全体でジェフリーたちを排斥するしかない、当然のことだ。

 誰だって自分の身が大切で、そして権力に逆らえばどうなるかなんてことは、考えるまでもなく理解している。それがカウベリー村なんだから。


 ――結局、ケチで強欲な父親と母親のせいで、息子のジェフリーまで酷い目に遭ったんだ。

 村全体から無視されて、好き合っていたはずのサーシャとも引き離されて。食べ物はなくなり、着るものはなくなり、生活だけでなく体調までダメになった。挙句の果てには性的搾取か。


 僕と彼では、どっちがより酷い目に遭っている? そんな物差しはこの世に存在しないと思いながらも、考えずにはいられない。

 最初から何も持っていなかった僕の方が酷い? それとも、持っていたものを全部親のせいで奪われた彼の方が酷い?

 少なくとも両親の愛情があるだけ、僕よりはマシなのか? こんなに自己中心的で醜いモノでも? あとはもう、死ぬだけなのに。


 僕はかける言葉を失って、ただジェフリーを見つめた。彼の両親も黙りこくって、何も言い返さない。そもそも返す言葉がないんだろう。

 何も答えない両親に痺れを切らしたのか、ジェフリーはしゃくり上げながら僕を見た。彼が呼吸するたびに、まるで喉に穴が開いて空気が漏れるみたいな、おかしな音が混じる。


「ごめんなさい……!」

「え……」

「ごめんなさい、許してください……! 怖かったんだ、兄さんを無視しないと僕まで化け物になる、子供2人が化け物だと父さん母さんまで――全員呪われているってなったら、村で生きていけないと思った! 僕が〝普通〟じゃないと、村人に気に入られないと、家が終わると思ったんだ! それに気付いたら、兄さん1人を生贄にするしかなかった、ごめんなさい……! 助けられなくて、ごめんなさい……!」


 ジェフリーはボロボロの身体で、大粒の涙を零しながら言った。

「死にたくない」「ごめんなさい」「助けて」「許してください」「お願いします」――こんなことになっても、まだ生きたいのか。

 僕に、僕のに、助けて欲しいのか。


 この子はたぶん優しくて、周りをよく見て、気配りができるんだろう。だから両親に恨み言をぶつけながらも依存していて、突き放しきれなかった。

 僕が村を出たことも――いや、もしかしたら村を出る前からずっと、僕に対する罪悪感を抱いていたのかも知れない。


 今更そんなことを聞かされても、正直困る。彼が裏切り者だってことに違いはない。

 でも、どうしようもなくだ。だってこの子、もう死ぬしかないんだから。

 なんて憐れなんだろう。気付けば、僕まで泣いていた。

 命は無理でも、弟の心だけは助けなきゃ。このまま突き放して寂しく死なせたら、僕はこの「ざまあみろ」に一生後悔するだろうから。


「――ゴードン父さん、ビンに水を半分ぐらい入れて持ってきて。セラス母さんはスプーンとナイフ……あと、タオルとお湯を」


 僕は手で涙を拭って、大好きな家族に指示を飛ばした。

 父さん母さんは怪訝な顔をしたけれど、僕がやろうとしていることをすぐさま理解したのか、レンファが「アレクシス!!」って声を荒らげる。


 ああ、本当に胎教に悪い。僕が怒らせるから悪いんだけどさ。

 僕はジェフリーとその両親に「ここで少し待っててね」と言い含めてから、レンファのところへ行った。そうして彼女の手を取ろうとすると、パシンと振り払われる。


「レン――」

「考え直しなさい! アレクがそこまでする必要はないでしょう!」

「……レンファ、お願いだ。冷えてきたし家に入ろう、君とお腹の子が心配なんだよ。エルトベレだって、寂しくて泣いているかも知れない」

「絶対にダメです! ……もしもみなさい、私は君のことを嫌いになりますよ! 結婚だってお断りです!!」

「――――本当に? 結婚しないの?」


 あまりにも必死な顔をして言うから、なんていうか、逆に説得力がない。

 どれほど僕のことが大事か、好きか――結婚したいと思っているか、レンファの顔を見れば分かった。ただの脅しだ、思ってもいないことを口にしている。


 思わずくすりと笑って首を傾げれば、レンファはグッと口を噤んだ。黙るのがすごく可愛くて、細い肩に手を添えて家の中へ導く。今度は手を振り払われなくて良かった。


「ごめんね、あの人たちのことじゃなくて、僕の心を助けて欲しい。確かに僕がここまでする必要はないのかも知れない。大事に育てられた記憶はないし、恩義だって感じてない。でもね、ジェフリーを無視して死なせるのは無理だ。僕の心まで死んでしまう」

「アレクの一部がなくなれば、私やエル――次に生まれてくる子の心が死ぬとしても?」

「うん、ワガママだよね。だけど、家族を守るためでもある。僕たちにそんな気がなかったとしても、彼らにとっては「薬を出し渋ってジェフリーを見殺しにした悪党」だ。逆恨みされたくない、〝ゴミ〟ひとつで納得してもらえるなら、それが一番いい」


 レンファは何も言わなかったし、手も足も出してこなかった。だからふわふわの頭を撫でて、もう一度「ごめんね」って謝る。


「……エルトベレが見たいし、見せたい。これが最後だから」

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