第9話 水の鏡を見つめて

 僕はニコニコしてレンを見たけど、向こうはやっぱり無表情だ。女の子にもっとたくさん笑って欲しい時には、どうすれば良いんだろう?

 父さんはどうしていたかな――よく母さんに花をあげていたかも? でも、たぶんレンは花じゃダメだろうねえ。だって、この森にいくらでも生えているんだから。


 レンにあげられるものなんて、持ってないんだよなあ。僕には何もないけどレンには家があって、食べ物があって、服も、ベッドもある。お金は要らないみたいだし、レンが欲しいものと言えば――やっぱり、〝ゴミクズ〟かな。

 そう、レンのためにゴミクズを集めたいと思ったけど、そもそもどんなゴミを集めているのか、どうして集めているのかも分からないんだよね。


「ねえ、レン。レンはどうしてゴミクズを集めるの?」

「……必要だからです」

「ゴミが? 不思議だね、もしかして秘薬の材料? 僕はカウベリー村のゴミクズだったのに、本当にここで自由にしていて良いのかな」


 僕は元々、ジェフリーの薬代だったはずだ。それがこんなに自由に、楽しく暮らすようになって――なんだか途端に不安になった。でもレンは、ちょっぴり呆れたみたいに肩を竦める。


「この世にゴミ呼ばわりされて良い人間なんて居ません。人間は人間なんですから、君が〝ゴミクズ〟のはずがないんです。少し考えれば分るでしょう」

「そっかあ……なんかゴメンね、ゴミじゃなくて」

「そこで謝られる意味が、分からないんですけど……まあ、気にしないでください。君からは着ていた服と髪をもらいましたから」

「……うん、ありがとう。切ってくれたお陰で、体がすごく軽いんだ」


 その時僕は、小川を鏡の代わりにすれば、今の自分の姿が見られるんじゃないかと思った。レンに髪を切ってもらってから、僕は一度も自分の顔を見ていない。魚の入った桶は、魚が泳いで水面みなもが歪んじゃうから見えなくてさ。

 村に居た時は、井戸から汲んだバケツに溜まった水が鏡代わりだったんだ。まあ、長すぎる前髪が邪魔で、ここ数年はよく見えていなかったけどね。


 へりに両手をついて、透き通った小川をそっと覗き込む。水はひとつも濁っていなくて、日の光をキラキラ跳ね返すのがすごくキレイだ。だけどそこに薄らと映る僕の姿は、あまりにもみすぼらしかった。


「――ああ、そっかぁ……本当だ、これは村の子たちと違うなあ。いつの間にか骨と皮になっていたのは、手足だけじゃあなかったんだ」


 水面に映った自分の顔を見て、僕はちょっとだけ驚いて呟いた。それと同時に、これはレンから「痩せウサギ」って言われる訳だって納得する。

 村に居た子供たちは皆、頬っぺたがふくふくで赤く色づいていて、全体的に丸々していた。それは小さい子であればあるほど、顔だけじゃなくて手足までムチムチコロンとした子が多かった。

 黒々とした目は大きくて、髪はサラサラのふわふわで風になびいて。村の大人たちに可愛がられて、守りながら育てられる――それが子供のはずなのに。


 彼らに比べて、僕の姿はひどい。

 真っ白い髪は硬そうでボサボサで、短くなってもごわついたままだ。真っ赤な目は大きく見えるけど、その周りがくぼんでいるせいでギョロッとしていて、気味が悪い。まるで、干物にされた魚の目みたいだな。

 頬っぺたのお肉は削げ落ちていて、皮に包まれた骨の形がはっきりと分かる。昨日、レンがケガの手当てで張ってくれた紙があっても分かるんだから、よっぽどだ。

 唇もガサガサで血が滲んで汚れているし……首もガリガリで、その下に繋がる身体もひどい。


 これじゃあなんだか、本当に呪われているみたいだ。それは村の人間が気味悪がるはずだよ、こんな子供は他に見たことがない。

 誰からも愛されなくて当然だよね。白髪と赤目だけじゃない、今の僕は全部が普通と違うんだから。


「まあ、今は「汚れた骨」としか言いようがありませんけど……」


 僕の呟きが聞こえていたのか、水面に映る僕の隣にレンの可愛い顔が並んで、話しかけてきた。

 ふくふくの白い肌に黒い狐目、頭の高いところでお団子にされた、ふわふわの黒髪。何もかも全部つまらなそうで、僕を見ているようで見ていないような顔が、すごく可愛いんだ。


「その髪型は、それなりに君に似合っていると思います」

「……似合ってる?」

「ええ」

「そっか、うん……ありがとう」


 僕はもう一度、自分の顔――頭を見た。すっかり短くなった白い髪は、まだ硬くてごわごわだ。でもこれは、レンが整えてくれたものだもんね。

 眉毛より少し上の前髪も、耳にかからないぐらい切られた横髪も。首筋がスースーするぐらい短くなった、後ろ髪も。〝それなりに〟じゃなくて〝すごく〟似合うようになりたい。それにはまず、この骨と皮をなんとかしなくちゃいけないな。


「……もう良いですか? 私、そろそろ帰ります」


 レンは途端に桶を持って立ち上がると、僕にぺこって頭を下げた。僕も頭を下げて、包帯だらけの手でバイバイする。

 いつの間にか靴まで履いていたみたいで、レンはセラス母さんをチラッと見た。なんだか母さんはまだ悩んでいるみたいだったけど、ちょっとだけぎこちなく笑って、片手を挙げる。


「――レン、確かにアルの不遇な生い立ちのことは……目を逸らさずに、ちゃんと向き合わなくちゃいけないと思う。だから私、やれるだけやってみるわ」

「……そうですか、頑張ってください」

「最終的には、少なくともあなたが「友達になっても良い」って思えるくらいにはしてみせるから――だからいつか、アルとも仲良くしてあげて。女の子同士なんだから、別に良いでしょう?」

「……ねえ僕、男の子だよ。レンとは結婚するから、友達がゴールだと困る」


 母さんの話を聞いて、レンはちょっとだけ眉根を寄せた。そして小さな声で「やっぱり、私の服を着せたのは間違いだった……」って呟いた。


「一度、お風呂にでも入れてみれば良いじゃないですか。正直言って私も、薬湯に入れるまでは女の子の可能性を捨てきれませんでしたから」


 レンはそれだけ言うと、僕たちに背中を向けた。川に沿って歩いて行く黒づくめの背中を見ていると、僕の後ろでセラス母さんが声を震わせて叫んだ。


「――えぇっ……ほ、本当に男の子だったの!? フリじゃなくて!?」

「ええ……やっぱり、まだ信じてなかったんだ……?」


 僕はほんの少しだけ頬っぺたを膨らませて、セラス母さんを見た。母さんは慌てたみたいに「し、信じてたわよぉ!」って言ったけど――また「嘘つきは泥棒の始まりだよ」って話したら、しゅんと肩を落とした。

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