第3章 瘦せウサギの奮闘
第1話 セラス
昨日の夜は、お腹いっぱいご飯を食べさせてもらって、そのままセラスさんの家で寝かせてもらった。
セラスさんは「同じベッドで寝れば良いのに」って言ってくれたけど――やっぱり、まだ大人の女の人は気持ち悪い。だからご飯を食べたところの床を借りて寝た。
秋は暑すぎず寒すぎず過ごしやすいから、床で寝るのも気持ちいいんだよね。
セラスさんの家は、やっぱり魔女の家よりもちょっと大きい。
玄関があって、そこからすぐに台所と、ご飯を食べる用の机と椅子が置いてある部屋に繋がっている。奥には扉があって、その先には低いベッドの置かれた部屋と――もっと奥にまた扉があって、トイレやお風呂の釜があるみたい。
50歳のビ魔女セラスさんは、すごく綺麗で牛みたいに優しいのに、誰とも結婚せずに1人きりで暮らしているらしい。
昨日見た商人のゴードンさんは、絶対にセラスさんが好きだと思うけどなあ――どうして結婚してあげないんだろう? セラスさんは魔女キツネと違って、クマみたいな人が嫌いなのかも知れないな。
◆
朝早く、たぶん4時頃に目が覚めた僕は、家の外に出た。
僕はお金を持っていないし、役にも立たない。だから何かやれることをしたいと思って、昨日のうちにセラスさんから掃除道具の置き場所を聞いておいたんだよね。
小さな納屋みたいなところから竹ぼうきを取り出すと、家の外壁を上から下へ掃き下ろす。こうすると、砂ホコリや蜘蛛の巣がキレイにとれるんだ。
そうして家を一周したあと、裏手に貯まった水をバケツに移して、外壁のぞうきんがけをする。手で届かないところはホウキの柄を使う。ぞうきんを柄に引っかけてエイエイすると、高いところもキレイになるんだ。
たぶんコレは、癖みたいなものだね。毎朝母さんが起きるまでにこれを終わらせておかないと、すごく叩かれるんだ。でもあんまり急いでガタガタうるさくすると、父さんを起こしちゃって――それもまた怒られるから、加減が難しかったなあ。
「――アル!?」
「うわぁ! はーい!?」
一生懸命ぞうきんがけしていると、いきなり扉がバーンって開いて、ベージュの、長いワンピースみたいな寝間着姿のセラスさんが飛び出して来た。
セラスさんの顔は昨日と違って――たぶんお化粧がとれているんだ――キレイだけど、少し素朴な感じがする。見れば手の爪も赤色から透明になっていて、真っ直ぐだった髪も全体的に右方向へシューンと流れていて、明らかに寝起きだ。
――もしかして、うるさかった? 怒られる? と思って、ぞうきんを持ったまま気を付けしていると、セラスさんは僕を見るなりホッと息を吐いた。その顔はすごく安心していて、なんだかよく分からないけど、胸がモゾモゾする。
「良かった、朝起きたら姿が見えないから……可愛すぎて攫われたか、どこかへ行っちゃったのかと――」
「え? いや、ごめんね……? ええと、朝の掃除してた……」
「……朝の掃除? まあ、偉いわねアル、ありがとう。でも、何もこんな早くからやらなくたって良いのに」
「うーん、でも、この時間にするのが癖なんだ」
「癖というか、たぶん習慣なんでしょうね。良いことだとは思うけど、今度からは私と一緒にしましょう? 掃除って苦手だから助かるけどね、アルは本当にイイコだわ」
「シューカン……イイコ……」
僕はやって当然のことをしただけなのに褒められて、少し恥ずかしくなった。わざわざこんなことでお礼を言うなんて、セラスさんは大袈裟だ。やっぱり若いビ魔女でも、中身はちゃんと、おばさんなのかも。
セラスさんはニッコリ笑うと「キリのいいところでやめて、お家に入りなさい。朝ご飯を用意するから」って言ってくれた。
僕はまた料理の手伝いができるんだと思うと嬉しくて、壁の掃除を駆け足で終わらせてから家の中に入った。
◆
セラスさんは「パンを焼く」って言って、昨日僕が寝た床をいじいじしたかと思うと、扉みたいにパカリと開いた。床下に小さな貯蔵庫があるんだって。
僕はパンなんて食べたことないからワクワクしていたんだけど、でもセラスさんが貯蔵庫から取り出したのは――なんか、真っ白でブニブニしてそうな変な塊だった。
パンってもっと茶色くてフカフカで、香ばしい匂いのするものじゃなかったっけ? ミルクジャムをつけて食べると美味しいってヤツだよね?
セラスさんは真っ白いブニブニを載せたトレーごと窯に入れると、貯蔵庫からもう一つトレーを取り出した。
今度は窯じゃなく机の上に置くと、白いブニブニを両手でグッと押し潰す。するとブニブニからプスーって空気が漏れて、セラスさんが潰せば潰すほどブニブニは小さくなっていく。
よく分からないけど、ハッコウって言うんだって。昨日のうちからパンのタネを仕込んでおいて、それを寝かせるとハッコウして、パンパンに膨らむって教えてくれた。
パンのタネって何だろう。パンって野菜と同じで、畑にできるものだったのかな。分からないことだらけで困る。
何度も潰されたパンのタネは、セラスさんの手で丸い団子みたいな形になった。それも窯に入れて焼くのかと思ったけれど、セラスさんはブニブニをトレーごと貯蔵庫へ戻した。
こっちのタネはまだハッコウが不十分で、昼頃に食べられるように捏ねてセイケイしただけ――なんだって。
「パンって作るのに時間と手間がかかるんだね! ところで、セラスさんはどうして魔女キツネ――前の魔女と友達になったの? 魔女と一緒で、元々この森に住んでた?」
「うーん、そうねえ……」
真っ白だったパンのタネは、窯の中でちょっとずつ膨らんできている。色も白から茶色になって、見ているだけで楽しい。そうしてパンに夢中になりながらセラスさんに質問すると、いつの間にかすっかりお化粧された顔で、ちょっと困ったみたいに笑った。
「私がまだ20歳ぐらいだった頃にね、病気したのよ」
「病気かあ……じゃあ『魔女の秘薬』を貰いに来たの?」
「そう。当時からこの森には、万病を癒す薬をつくる魔女が居るなんて噂があったから……縋りたくてね。結局ダメだったけど」
「……ダメだったの? じゃあ、セラスさんまだ病気? 大丈夫――?」
僕はちょっとびっくりして、パンを見るのをやめてセラスさんを見た。セラスさんは僕の隣にしゃがんで、ごうごう燃える火を眺めながら言った。
「私ね、生きるために子宮を
「……シキュウ?」
「生き物が子供を育てる袋よ。それがないとね、子供ができないの」
「そうなんだ……病気でシキュウ、なくなったの? 魔女の秘薬じゃあ、元通りにはできなかったんだね」
「魔女の秘薬って言ってもね、別にそんな、魔法みたいなものじゃないのよ。そりゃあ、まともな医療体制が整っていない村からすれば万病を癒す薬に見えるんだろうけど……意外と、街へ行けば普通に薬局で売っているような薬なんだから。もうあと百何年もしたら、あの子の魔女業も難しくなるわよ、きっと」
セラスさんは悪戯っぽくおどけて笑ったけど、でも優しい目はあんまり笑ってなかった。
子供ができないなんて、きっと悲しいだろうなあ。カウベリー村で牛が出産するのを遠くから見たことあるけど、生まれたばかりの仔牛をペロペロする母牛はとても疲れていて、でもとても幸せそうだった。
もしかして、セラスさんが結婚せずに1人で暮らしているのは、子供ができないからなのかな。村だと、結婚してもなかなか子供ができない女の人は「ダメだ」「使えない」って言われて、家を追い出されていた気がする。
「えっと……じゃあ、僕がセラスさんの息子になろうか?」
よく分かんないけど、僕の口からは自然とそんな言葉が飛び出した。
僕には父さんも母さんも弟も居るけど、もう村には戻れないからね。セラスさんは森の番人だし、番人の息子になれば魔女キツネとも仲良くなりやすいでしょう?
番人の仕事が何か、まだ全然分かってないんだけどさ。
セラスさんは大きな目をもっと大きく見開いて、何か呻きながらぶわって泣いた。鼻水がじゅるじゅるになるまで泣くから、僕はすごく困ったし――窯の中のパンは、ちょっとだけ焦げた。
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