七色戦隊出動中‼

シマエナガ

第1話 起きられなくて。

 まだ平仮名の「を」をちゃんと書けないくらい小さかった頃、私は早起きが苦手だった。毎朝家を出るギリギリに起きて、眠い目をこすりながら幼稚園の送迎バスに乗り込む日々。4つ上の兄、海斗かいとは私とは正反対で、早起きが得意だった。私が目を覚ましたころにはもう既に家を出る準備はできていて、親の手伝いなんかをしている。


青空そらも早く起きたらいいことあるよ」


 海斗がそんなことを言うからじゃあ起こしてよと言ったら、翌日起こされたのはまさかの朝6時前。ぐずる私を引きずって、リビングのテレビの前を陣取った海斗。テレビのスイッチが付けられ、画面に浮かんだのは聞いたことのない明るい歌と、それに合わせて踊る七人の男女。海斗も横で真似して踊っていた。サビに入る前、彼らが”変身!”と声を合わせると、それぞれの全身が赤、青、黄、緑、桃、紫、白のスーツに包まれる。何もかもを黒く染めようとする敵から、世界の色を守る戦士たち。彼らとの出会いは、衝撃的なものだった。

 2005年放映、七色戦隊レインボーズ。七人それぞれが色にちなんだ武器や能力を使い、悪の組織クログロンと戦う作品。後半のシビアな展開はお母さんたちにも刺さったようで、大人も楽しめる特撮作品の代名詞となり、異例の大ヒットを記録した。同世代の人間は皆、運動会でレインボーズのOPを踊った経験があると言う。

 レインボーズを観てからというもの、私は別人の様に早起きが得意になった。毎週金曜日は絶対朝6時前に起床し、海斗と一緒にテレビの前に座り込む。


「テレビから離れなさい!目悪くなるわよ!」


 そんな母の声も届かないほど夢中でテレビに齧りついていた。保育園で書いた七夕の短冊には「七色戦隊に入る!」と書いていたし、誕生日プレゼントはもちろん変身アイテム、サンタさんには暗闇で絵柄が発光するパジャマを頼んだ。初恋はレインボーブルー、青澄蒼大あおすみそうたくん。


「大きくなったら蒼大くんと結婚する!」


 私が湯船を揺らしながらそう言ったときの複雑そうな父の顔。今でも何故か覚えている。

 生身で戦う度に靡く漆黒の長髪は後ろで一つにくくられていて、時々ほどけたりする。低い声、整った顔立ちも魅力的だが、何よりそのクールな性格がたまらなかった。物語の後半、実は彼の生き別れの弟が、悪の組織クログロンの幹部だということが判明する。普段無口で無表情な彼が、珍しく感情的になりながら仲間たちに頭を下げて、弟を救いたいと懇願するシーンでは涙が溢れた。結局蒼大くんは自らの手で弟を倒すことになるのだが、そのシーンは余りにもショッキングで、観終わった後高熱を出して保育園を休んだ。私の人生は七色戦隊に出会う前と後でがらりと変わったと言っても過言ではない。まあ、当時はまだ6歳だったのだけれど。

 戦隊作品は1年で終わってしまう。最終回放映日は4時に起きて、終わって欲しくないとワンワン泣いていたらしい。そんなことをした記憶は私には一切ないのだが、両親も海斗も事あるごとにこの日のことをネタにして私を弄るので、恐らく事実なのだろう。

 次の年、海斗はあっさり戦隊作品を卒業し、ロックバンドにハマっていた。一方私は、次の作品にも普通にどハマりした。妖怪戦隊カイキレンジャー。ヒーローの正体が妖怪という斬新な設定を海斗はあまり好まなかったらしい。年齢的にも、そういうものから離れやすい時期だったのかも知れない。私は7歳、海斗は11歳だった。

 私は、カイキレンジャーの次の作品も観ていた。更に、その次の作品も。レンタルで過去の作品も見漁ると、ドラマや映画で活躍するかっこいい人や綺麗な人の何割かが、ヒーローだった人という印象に変わっていった。そう、私は気づいたら立派な特撮オタクになっていたのだ。

ただ、私は特撮を好きなだけではなくて、ヒーローになりたい女の子だった。多分他の同世代の友人たちに比べて変身願望が凄く強かった。とにかく変身したかったのだ。私の初恋の人、レインボーブルーの様に、全身青色のスーツを身に纏い悪を成敗したかった。

 それが無理だとわかってからは、せめてヒーローっぽい振る舞いをしようと意識して行動した。クラスでトラブルが起きたら積極的に間に入って、仲裁する。ボランティアに参加してみたり、近所のお爺さんの手伝いをしたりもした。


「そんなにヒーローになりたいんなら女優さんにでもなったら?あんた背高いしスタイル良いんだから、できるんじゃない?母さん応援するわよ」


 母はそんなことを言っていたが、そういうことではない。私はヒーローを演じたいのではなく、本当にヒーローになりたかったのだ。

 周りが少しずつ大人に近づいていく中で私の心も確かに成長していたが、ヒーローへの憧れが消えることはなかった。とにかく目の前で困っている人を助けることに尽力した。いつからか私のあだ名は、青空という名前の青と、推しの名前から取られて命名された、ブルーになっていた。呼び出したのは幼馴染で、それが結果的に中学に上がってからも広まるのだが、私はとても嬉しかった。

 海斗は海斗で、私が戦隊にハマる前年に放送されていた「お巡り戦隊ピーポーレンジャー」に影響され、将来の夢は警察官と言っていた。似た者兄妹だ。しかも海斗は、その夢を叶えた。とても優秀な兄だ。一方私は、ヒーローへの憧れが強すぎて、進路を全く決められなかった。

 人を助ける仕事に就きたいという漠然とした希望はあったものの、この世の仕事の大半は直接的であれ間接的であれ人を助けることに繋がるし、余りにも種類が多い。もしこの世界にヒーローという職種があれば間違いなくそれを目指したのだが、幸か不幸かこの世には特殊能力で世界を滅ぼそうとする悪の組織はないし、悪の組織から我々を守ってくれるヒーローも存在しない。よって、悪さをする人間を成敗したり、困った人を助けたりするヒーローに限りなく近い仕事はあっても、ヒーローそのものにはどうしたってなれなかった。

 困った私は結局、普通の文系大学、朱火女子大学に入学し現在三年生だ。朱女を選んだ理由も、それはそれは適当だった。レインボーブルーを演じていた俳優の渡辺廉わたなべれんくんが学祭でトークショーをやるということで訪れた際に、雰囲気がいいなと思ったから。我ながら、流石にそれはないだろうと反省している。とは言え受験にはしっかり受かったし、大学生活が楽しくないわけではない。それなりに日々を充実させているのにも関わらず、自分のやりたいことは結局見つけられないままだった。


「っだー!無理、何も思い浮かばない」


 目の前の書類を見ながら、テーブルに頭を打ち付ける。鈍い音が、人がまばらな食堂に響いた。時刻は13時32分。


「変なことすんのやめな、ブルー。あんたサークルの後輩にもヤバい先輩だと思われてるよ」

「だってぇ…進路何も思い浮かばないんだもん…」

「まあ、流石に三年生になると焦るよね。お兄さんは警察官だっけ?優秀な兄をもつと大変だ」

「それはそんな気にしてないんだけどさ…」

「いや、気にしなよ。親からなんか言われたりしないの?」

「諦められてる」

「その自覚はあんのね」


 大学入学後、最初に仲良くなったあんちゃんは、もう入りたい企業が決まっているらしい。出版社だそうだ。小さい頃から本が好きだったから、本を作る仕事に憧れていたのだと言う。私も小さい頃憧れたのがヒーローではなく学校の先生とかだったら、今もう少し明るい未来が見えていただろうか。いや別に暗い未来が見えているわけでもないのだけれど。光量は関係なく、ただひたすらに未来が想像できない。


「あと一週間くらいで冬休み。今年は色々大変だったけど、来年は就活でもっと大変になるね」

「憂鬱だあ…」

「あんたなら、何にでもなれるよ、人が良いし。ヒーローって名前じゃなくても、それっぽい仕事見つけな」

「頑張る…」


 現実は、やはり厳しい。

 就活の段取りや説明会の日時などが書かれた紙をファイルに挟む。


「相変わらずイケメン好きね」

「ああこれはね、今放送してる熱唱戦隊シンガーズのシンガーブルー、水上輪唱くんだよ。演じてるエイジくんも絶対有名になるから、要チェックだよ」

「そ、そう…」

 

 大人になると自然に観なくなる人もいるようだが、私は未だに特撮、特に戦隊が大好きだった。とは言え、大人になってからもそういう番組をずっと観続けている人というのはそこそこいて、時々大学でも出会ったりする。私と同じ理由で朱女に来たという子とも知り合って、一緒にヒーローショーを観に行ったりもした。ただ、今後社会に出て行くとオープンにし辛くなるのだろうな、というのも何となくわかっていた。カモフラージュで好きだと言っていたバンドも活動休止を発表するし、何だか最近あまりいいことがない。


「今日バイトだから帰るけど、あんたはサークル?」

「あー…今日は一緒に帰る」


 杏ちゃんと一緒に入った映画研究会では最近ちょっとしたトラブルがあって、いつもみたいに仲裁に入ったら少し気まずくなってしまった。昔の様に、通信簿に正義感があると書かれる年もとっくに過ぎてしまい、私が今やっていることは恐らくただのおせっかい。何だかヒーロー願望が行き過ぎて、空回りしているようだ。


「あんま気にすることないよ」


 杏ちゃんはこんなことを言ってくれているが、流石に1人ではサークルに行き辛い。


「あーあー。私も七色戦隊の世界行けたらなあ」

「七色戦隊…って、あれか。廉くんのデビュー作?」

「そうそう。大好きなんだ。今でもずっと、一番好きなヒーローはレインボーブルーの青澄蒼大くん。あの世界行ったら私結構活躍できると思うんだよね、合気道やってたし」

「合気道ってそういう格闘技だっけ?」

「レインボースーツは本人の力の17倍の力を引き出すんだよ」

「なによ、その中途半端な数字」


 くだらない話をしながら、大学を出た。ここから歩いて10分ほどで最寄り駅に着く。アクセスは悪くないが、行きは上り坂が結構辛い。この急勾配ともあと1年でおさらばか。そう思うと、何とも言えない気持ちになる。


「枯れた木の匂いだ」


 冬の町は、何だか色が少なくて味気なく見えた。


 いつもよりダラダラと歩くと、杏ちゃんも合わせてくれて、少し時間を掛けながらも駅に着いた。手袋をしていても、指先は相当冷たくなっている。杏ちゃんに申し訳なくなった。


「じゃあ、明日ね」

「うん、ばいばい」


 杏ちゃんとは家の場所が真逆で、利用している路線も違う。彼女がホームに降りていくのを何となく見送ってから、私もホームに降りることにした。すると、目の端にうずくまる人影を見つける。階段の上で手摺に手を掛けながら、汗をかいて唸っている。こんな寒い日にその汗の量は、どう見ても尋常じゃない。慌てて駆け寄ると、母より少し若いくらいの年齢の女性が、苦しそうに呼吸をしていた。白いもやが不規則に広がる。


「大丈夫ですか?!」


 女性は、必死に首を振って何かを言おうとしているが、呼吸音は声になる前に吹き抜けてしまい、どうしても拾えない。というか、この人どこかで…


「あ、あの、駅員さん呼んでくるのでここで」


 その時、突然背中を強く押された。比喩ではない。実際に、何者かに背中を押されたのだ。分厚いコートの上から伝わった掌の圧が、一瞬で離れる。ドンという音が背骨に響き、脳に届いたころには、眼前にコンクリートが迫っていた。


「え」


 一瞬何が起こったのかさっぱりわからなかった。咄嗟の判断で身体を反転させると、背中の真ん中辺りに強く段の角が当たる。厚木をしていても、一瞬呼吸が止まるほどの激痛。そのまま大きな音を立てて頭から、階下のホームまで私は滑り落ちていった。うずくまっていた女性は目を真ん丸くして、こちらに手を伸ばして何かを叫んでいたが、もう私の耳には全く届かない。私の背中を押したであろう人影は体格的に男性の様に見えたが、顔ははっきりとわからない。というか、全身のシルエットは影になっていたし、かろうじて捉えられたのは足元のみ、でもどこか見覚えのあるような。駄目だ、景色がスローモーションで、思考もそれに合わせてゆっくりと巡っている。何の機能も働かない。そのまま落ちていくと、更に大きな音と共に私は地面に全身を打ち付けた。頭がすーっと冷えていくのを感じる。冬のコンクリートは、氷の様に冷たかった。人が集まってくる。悲鳴。目の端に赤いものが見える。恐らく私の血だろう。遠のいていく意識。痛みすら殆どわからずそのまま、まぶたがどろんと落ちてきて、そこでバチンとテレビが消えた音がした。


 人生とは何が起こるかわからないものだ。まさか食堂で食べたビビンバ丼が最後の晩餐になろうとは。水曜日しか食べられないからあげ丼、もう一回食べたかったなあ。杏ちゃんとまた明日って言ったのに。父は今日早く家を出なければならなくて、顔を合わせられなかった。母とはいつもみたいな小競り合いをしてしまったし、家を出た兄からのメッセージにはいつもの癖で2週間ほど返信していない。

 全部最後だとわかっていたら、もう少し。もう少しだけ、後悔しない生き方ができただろうか。

 暗闇の中で、思い出せる限りの記憶をなぞっていた。これもいつまでできるかわからない。初めての経験、死。死にたくないなあ。そう思ったら、涙が滲んでいる気がして、でもきっと気のせいなのだろう。この、何もない夢のような空間で、少しずつ自分と言うものを失ったいくのだと思うと怖くて仕方がなかった。

 それでも、最後の最後に誰かを救えたのなら。初めて誰かのヒーローになれたのではないだろうか。

 今日はよく晴れていた。

 青空が見たい、私は青が世界で一番好きな色だから———


 こうして私は、21年という短かったのか長かったのかわからない人生の幕を下ろした。

 …はずだった。


「…お。起きた」

「…え?」


 はずだったのに。


「おはようさん」

「…え?」


 これは、何?

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