旧校舎の怪
@kazen
旧校舎の怪
この旧校舎の七不思議って知ってる?
背後を振り返り、少女は言った。
手にした懐中電灯の光が、廊下を塗りつぶした暗闇の中に少年の姿を浮かび上がらせた。
「さあ? きいたことないな」
小首を傾げた少年に、少女は無邪気な笑顔を向けた。
あら、みんな噂していることなのに、知らないの?
「あまりそういうのに、興味がないものでね」
ああ、あなたってそういう感じ。でも、せっかくこうして夜の旧校舎にいるのだから、この舞台装置を活かさない手はないじゃない?
言って少女は笑った。鈴を鳴らすような笑い声だった。
そしたら1つ目を教えてあげる。
この学校って、運動場は広いし、旧校舎には裏山もあるし、子供たちの格好の遊び場になっていたの。
ある時、数人の小学生が学校の敷地内で鬼ごっこをしていた。
でも、鬼の子がいくら探しまわっても他の子供は見つからない。
それも当然で、その日鬼をしていた子は、いじめに遭うほどではないけれど、周囲からちょっと浮いていた子でね、他の子供たちは皆で示し合わせて、鬼であるその子を置いてこっそりと帰ってしまっていたの。
何も知らず、1人で鬼ごっこを続けていたその子は考えたの。ルールで校舎の中には入っていけないことになっていたから、皆は裏山に逃げたに違いないって。
その子は裏山に足を踏み入れて――そしてそのまま姿を消してしまった。
遭難したとか、神隠しにあったとか、色々と説はあるけれど、一つだけはっきりしているのは、その子は、まだ鬼ごっこを続けているということ。
ほら。
少女が向けた懐中電灯の光から逃れるように、玄関のガラス戸の向こうを黒い影がよぎった。
少年の腰ほどの高さしかないその黒い影は、懐中電灯がつくる光の円のふちぎりぎりに留まり、両手をあげて校舎内を覗き込んでいた。
ガラス戸に密着する黒い影。
大丈夫よ。ルールがあるから、校舎内には入ってこないわ
でも、帰るときには気をつけた方がいいかもね?
捕まったらどうなるのか、ですって?
さあ、今度は貴方が鬼になるんじゃないのかしら?
少女に促され、少年は廊下を進む。
床から舞い上がった埃が、懐中電灯の光を反射して霧のように立ちこめる。
ねえ、聞こえる? そこの教室から響く音。
そう、ピアノの音。旧校舎には音楽室なんてないのにね。
この曲、ト長調のメヌエットね。ピアノの入門曲とされているけれど、それにしてもひどい演奏よね。あ、音外したわ。
でも笑ったらダメよ。
子供にピアノを習わせたい。でもお金がないから電子ピアノを子供に買い与えるだけで放置したのに、うちの娘はピアノが弾ける、そう周囲に吹聴され、クラスの合唱の伴奏を命じられて大恥をかいて自殺しまった可哀想な子なんだから。
今度こそきちんと演奏できるように、爪が割れて教室の床が血まみれになるまで一生懸命練習しているのよ。応援してあげて。
演奏技術はともかく、その執念に感嘆した少年はお義理で軽く手を叩いた。
すると、不意に演奏はやみ、教室の中からぱたぱたと走る音が近づいてくる。
あ、ダメよ。下手に同情なんかしたら、教室に引きずり込まれて『聴衆』にされてしまうわよ。
どこにも逃げられないように、批判の言葉を吐かないように、そんな風にされた『聴衆』に、ね。
手をひかれ、少年は廊下を小走りで駆ける。
少女が足を止めたのは、階段横のトイレの前だった。
ここのトイレにはね、タカオ君がいるのよ。
花子さんじゃないの。珍しいよね、学校のトイレの怪談に男の子が登場するなんて。
だからなのかしら、タカオ君はちょっと変わっていて、呼びだされる前に出てきてしまうのよ。
夜の闇を薙ぐように少女が振った懐中電灯の光の帯に一瞬だけうつし出されたのは、トイレから這い出そうとしてくる、膿のような汚い汁にまみれた瘤だらけの腕だった。
でも大丈夫よ。タカオ君は階段を登れないから、2階に逃げればいいの。
タカオ君は、放課後のトイレで喘息の発作を起こして、来ない助けをじっと待ち続けた辛抱強い子だから、あなたが降りてくるのを階段のそばで待ち伏せているけど、そんなの大したことないよね。
2階から飛び降りたらいいのだもの。
どさり。
踊り場で一息ついた少年の耳に、高所から地面に砂袋を投げ落としたような音が届いた。
あ、島袋先生がまた飛び降りたみたい。
ねえ、2階程度の高さから飛び降りて死ねると思う? 即死できると思う?
そうよね。モンスターペアレントからのクレームの嵐に参ってしまった島袋先生は衝動的に旧校舎の二階から飛び降りたのだけど死にきれなかったの。足から着地したために太ももの半ばまでが胴体に埋まり込んで、眼球を半分飛び出させながらも、救急車が到着するまで生きていたそうよ。
こんな田舎だもの。救急車が到着するのには1時間くらいかかったらしいけど、でも、苦しくはなかったのかしらね。
だって。
どさり。
ああして何度も飛び降りているのだもの。
踊り場の足元に設置された明り取り用の小さな窓。
その向こうを黒い何かが一瞬だけ通過した。
どさり。
タカオ君がじっとこっちを見上げているし、そろそろ2階に行きましょう。
でも気をつけてね、この階段には踏んではいけない段があるの。
何段目かは私も知らないわ。
だって、その段を踏んだ人は誰も生きてこの旧校舎から出てきていないのだから。
ふふ。誰も戻ってきていないのに踏んではいけない段があるということだけ伝わっているなんて、不思議よね。
さ、ほら早く。でないとタカオ君が頑張って踊り場くらいまでは来てしまうかもよ?
あ、手すりを登って行くなんてずるい!
ぴぴぴぴぴ
あら、スマホが鳴っているわよ。貴方のじゃないの? 違う?
ほんとだ、鳴っているのはあそこに落ちているスマホね。
ここに肝試しに来た人の忘れものかしら。
出てみたらどう? なくした人はきっと困っているわ。
スマホにまつわる七不思議?
ええ、あるわよ。
旧校舎にはね、あの世と繋がるスマホが落ちていることがあるの。
死者と会話できる、と思うかもしれないけれど、そんなことはないの。
生きている人間には死んでいる人間の思考も、言葉も理解できない。だから、あの世の言葉に触れた人は発狂してしまうの。エジソンも知らなかったことだけれどね。
出てあげないの? 薄情な人ね。まあ、いいけれど。
ねえ少し疲れたから、そこの教室で休憩していかない?
教室の中は何とも形容しがたい臭いに満ちていた。
獣の匂い、という表現が1番近いだろうか。そんな風に思いながら少年は手近な椅子を引き寄せて腰掛けた。
これから話すのが最後の七不思議よ。
清水庸子という名前に聞き覚えはあるかしら?
ないの? そう、貴方の先輩のはずなのだけれど、ないならしようがないわね。
清水さんは新聞部に所属していて、旧校舎でたびたび報告される怪奇現象を調査して文化祭で展示しようと考えていたのね。
カメラ片手に旧校舎に乗り込んだ清水さんだけど、そこで想像もしていなかったものに遭遇することになったの。
それはね。この旧校舎にこっそり住み着いていた浮浪者よ。
旧校舎の怪異。それは、要は浮浪者の姿を断片的に目撃した生徒が勝手に作り上げたものだったのよ。
作り物の怪異に脅威はないけれど、でも生きた人間はそうではないわね。
清水さんは旧校舎の奥に引きずり込まれ、散々弄ばれた挙句、首を絞められて殺された。
その事件が発覚してからこの旧校舎は立ち入り禁止になったわ。
けれど、尊厳を踏みにじられ無残に殺された清水さんの恨みは晴れず、この旧校舎を訪れる男を言葉巧みに2階の奥、この教室に連れ込んで――
懐中電灯が作る少女の影が、ぞわぞわと蠢いて肥大していく。細かった指は鋭く伸び、頭頂部は風船のように隆起し――
「清水庸子? 七不思議? 君は何を言っている?」
眼前で変貌を遂げる少女に動揺することなく、少年は淡々とした口調で言った。
「君は――誰だ?」
私は……清水庸子よ。この旧校舎で非業の死を遂げた――
かすれる少女の言葉を、少年の凛とした声が遮った。
「君が清水庸子? そんなわけないだろう。なぜなら――」
「この旧校舎の七不思議は、すべて僕が創作し、噂として流したものなのだから」
最初はただの悪ふざけだった。
ありもしない怪談をでっちあげて、クラスの女子を怖がらせて楽しんでいた。
けれど、そのうち本当に『ソレ』を体験したという人間が現れ、そのうちに自分も同じ霊を見たという人間がネズミ算式に増えていった。
僕はもともと心霊現象など、それを目撃する側の心の問題だと思っていた。
だから、実験してみることにしたんだ。
もっともらしい七不思議を創りあげ、僕が火元だと分からないように巧妙に噂を蔓延させていった。
その結果が、今の旧校舎の現状だ。
当然、清水庸子も、島袋先生も、喘息で死んだタカオ君も鬼ごっこをしていた少年たちも、現実には存在しない。
僕は怪奇現象を、霊を創ることに成功したんだ。
もう一度聞くよ。
君は――誰だ?
わたしは……わたし、は……
かたん
教室の床に落ちた懐中電灯が、ころころと転がった。
それを少年は拾い上げ、
次に流す噂が決まったな。
噂話が現実になる旧校舎。
でも、これだけだと少しインパクトが薄いかな。
ああ、そうだ。志半ばで事故で死んでしまった少年の話も一緒にしよう。
七不思議を創作し、霊を創りあげる事に執心していた少年の話――
かちり
懐中電灯のスイッチが切られ――
旧校舎は再び闇に包まれた。
旧校舎の怪 @kazen
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます