第11話 いも
そして翌夏、大軍勢が奥州に向かうことが正式となった。鎌倉の中は騒然として落ち着かない。物が大量に無くなったり、次には大量に仕入れられたりして物価が大きく変動した。貨幣の価値も同じように変動する。開耶はまじないの代金を物で受けるようになっていた。
そんなある日、来客があった。
「御免」
戸口の所に立った人の気配に顔を上げて開耶は驚く。
「海野様」
海野幸氏だった。相変わらず地味な色の直垂に鋭い目つき。幸氏は小屋の中を一瞥すると手の中の文を開耶に示した。
「望月三郎重隆より頼まれた。重隆が依頼した護符があるとか。それを今貰うことは可能か?」
久々に聞く重隆の名に開耶の胸が騒ぐ。
「まさか望月様の身に何か?」
幸氏は首を横に振った。
「あいつは信濃の望月の領土にずっと帰っている。今度の奥州征伐に大量の軍馬が必要だからな。鎌倉に戻らずにそのまま出陣するそうだ。それで俺が受け取るように頼まれた」
「そうですか」
ホッと胸を撫で下ろす。それから文箱の中に大事にしまっていた一枚を取り出した。いつでもすぐ渡せるようにと用意していたのだ。それを幸氏に渡そうとして、でももう一度神棚に上げて榊を振る。本当は直接手渡したかった。そのまま出陣だという幸氏の言葉に胸がきゅうと締め付けられる。
――どうか、ご無事で。
静かに手を合わせる開耶を、幸氏は黙って見ていた。開耶が札を渡すと、幸氏はそれを紙に包み、重隆からと思われる文と一緒に懐にしまった。チラと見えた重隆の字。彼らしい大きくて伸び伸びとした筆遣い。重隆を想い出させるその文が欲しいな、と思ってから、開耶はそんな自分に戸惑って慌てて目を床に落とした。
「おまえは重隆の妹なのか?」
唐突な質問に、開耶は咄嗟に首を横に振る。
「いえ、違います」
「では、妹(いも)か」
「え」
妹(いも)は万葉集など、昔の和歌でいう所の妻や恋人だ。開耶は首ばかりでなく手も大きく振って否定した。
「違います! そんなんじゃありません」
幸氏は軽く肩を竦めた後に、小屋の隅に並べてあった香炉の一つを手に取った。
「本当の名は何と言うんだ?」
「え、本当の……?」
「重隆は『開耶媛』を探してくれと文に書いて来た。木花咲耶媛という名でまじないをしているからと」
開耶は一瞬息を詰めた後に口を開いた。
「サク……です。私の名はサク」
その途端、探るように鋭かった幸氏の目つきが和らいだ。その口元が軽く緩められたことに開耶は驚く。
「そうか、サクか」
幸氏は珍しくその目を開耶にしっかりと合わせた。
「海野も望月も信濃の佐久(サク)という土地の中にあるんだ。縁があるな」
幸氏の目は開耶をとらえながらも、遠い故郷を思い出す温かな色を帯びていた。
「海野様は土地へはお戻りにならないんですか? 奥州へは?」
「俺は戻れないし行けない。鎌倉に留まるように言われている」
戻らない、行かないではなく、戻れない、行けない、と言ったことで、幸氏の心境がよく知れた。彼は故郷に帰りたいのだろう。故郷の佐久へ。でもそれを許されたのは幸氏ではなく重隆。
「木曽の義仲公の遺児が上野国にいるらしい。上野国は元々、義仲殿の父君、源義賢殿が勢力を持っていたからな。海野や望月の土地は上野国の隣だ。義仲公とも縁が深い。御所様は俺達を警戒しているのさ」
開耶は自分の手が震えていないかを小さく気にしながら続けた。
「なのに望月様は奥州へ行かれるのですか?」
「戦には軍馬が必要だからな。それに重隆は御所から密命を受けているはずだ。鎌倉に異を唱える者は旧来の家人であっても斬り捨てよと。また出陣に際しても途上の氏族を残らず味方につけ、抵抗する氏族は一掃してから奥州へ来いと」
「でも望月の一族は、木曽殿に従って挙兵したのでしょう?」
望月の前当主は木曽義仲に従って討死している。旧来の忠臣であればある程、鎌倉への抵抗は強いはずだ。
「それら抵抗勢力を抑えて望月の一族をまとめて見せろと御所様は言っているんだ。重隆は望月家の命運をかけた大勝負の真っ最中だということだ。成功すれば望月の土地は本領安堵される」
「成功しなかったら?」
「奥州を平らげたその帰りに、御所様の軍が信濃を制圧することになるのだろうな」
息を呑む。
「そんな……ひどい。御所様はなんてひどい方なの」
源頼朝。木曽の源義仲とは従兄弟の間柄。だけれど平気で攻め滅ぼし、叔父も討ち滅ぼした。まだ幼かった義仲の遺児・義高の首も容赦なく撥ね、この春には自らの弟・義経も追い詰めて殺させている。開耶の祖父・金刺盛澄を処刑しようと画策したこともあった。
「済まない。変な話をしてしまった」
ふと聞こえた謝罪の言葉に驚いて開耶は顔を上げる。
「心配しなくていい。重隆は今回が初陣じゃない。既に何度か出陣してるから俺なんかよりずっと場慣れしている。それにあいつはあの通り人に信用されるし好かれる。何事もない顔で望月をまとめて鎌倉に戻ってくるだろうさ」
静かな口調ながら、厚く堅い信用がうかがわれる声の色。開耶は微笑んで見せた。
「お二人はとても仲がいいんですね」
幸氏が驚いたような顔で開耶を見返す。
「互いをとても尊敬し合っていて信頼し合っていて、でも同時に相手をとても羨ましくも思っているし、負けたくないとも思ってる。素敵な関係ですね」
その途端、幸氏は嬉しそうなような戸惑ったような怒ったような顔をして口を引き結んだ。
「サクは今いくつなんだ?」
「十二です」
「大姫と同じ歳だな」
「大姫って、御所様の一の姫様の? 以前、私に似ていると言った」
「ああ。でも、サクの方がずっと大人だな」
大姫は木曽の義高殿の許嫁だった姫。幼い頃に父に許嫁を殺された可哀想な姫だと、京でも鎌倉でもどこでもお可哀想な姫と噂されていた。
「サク、一つ聞いてもいいか?」
「はい」
幸氏は僅かに迷った色をその声に残しながらも一歩間合いを詰めた。身をかがめ、開耶の目を真っ正面から射抜く。その真っすぐな気配から、嘘をつくことは許されないことを知る。
幸氏は小さな声で問うた。
「おまえは、死人(しびと)を呼ぶことは出来るのか?」
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