第10話 カガ(我)ミ

「何だって? 鎌倉に長逗留するだって?」

 白猫の禰禰が耳をピンと立てて目をひん剥く。

「奥州への出陣があれば東国は戦で落ち着かないだろうから、熊野詣でのついでに白浜温泉近くにまじない小屋を立ててのんびり過ごそうって約束したじゃないか!」

 毛を逆立てて怒りを露にする禰禰に開耶は手を合わせて頭を下げる。

「ごめん! この通りだから……」

「フン、大方オトコでも出来たんだろ。嫌だ嫌だ、ヒトってもんは年中発情してんだからね!」

「違うわよ! 禰禰さま、本当にごめんってば。お詫びに禰禰さまの大好きな鰹をたくさんお供えするから」


 鰹と聞いた白猫はほんの少し耳をピクピクと動かす。心が揺れたらしい。開耶はサッと立ち上がり、荷の中から和紙に包んだ薬を取り出した。


「あとは和多々比(またたび)もくれる」


  白猫はフンと鼻を鳴らすと尻尾をパタパタと忙しげに揺り動かして、自らの手の上に首を乗せた。


「ま、いいよ。初夏の鎌倉を愛でてやるのも悪くない」


 開耶はホッとしてうんうんと二つ大きく頷いた。


「今年はあんまり目立ちたくないから、町家の南方に一軒小さな小屋を借りてそこで少しだけまじないを受けようと思うの。だから禰禰さまは人間に化けずにのんびりお過ごしになってね」


「目立ちたくない、ねぇ。別にいいけどさ。わかったよ、あんたの邪魔はしませんよ」


「そんな言い方しないでよ。禰禰さまに休んでいただくために、ずく出すぞって意味よ」


「あのさ、気になってたんだけど」


  白猫は首を腕に乗っけたまま、チラリと金色の目を開耶に向ける。


「『くれる』や『ずく』はお国言葉だよ。無意識に使ってるようだが気を付けた方がいいんじゃないかい? この鎌倉でその身がばれるのは賢い話じゃない」


「はい」

 開耶は項垂れて首に下げられた木片を握った。


 同じ信濃出身の重隆と会話をしたせいだ。祖父が赦されたせいだ。禰禰さまの言う通り気が緩んでるのかもしれない。


「気をつけます」

 ここは敵地、鎌倉。母を探す為にいるだけの場所。


 その年、開耶は鎌倉の南町にて下町の娘達相手にまじないや占いをやって過ごした。鎌倉には続々と人が集まっていた。商人もわけあり者達もそして女達も。働き口はいくらでもあり、町はいつも活気に溢れていた。


 開耶は流れてくる女達の間に入って母の手掛かりを探した。呪を組んでその行方を占ったりもした。でも開耶の占いはこと母に関してはことごとく外れる。その理由を開耶はよくわかっていた。まじないも占いも自分や近しい者に対しては効力が失われるのだ。


『まじないも占いも差し上げるもの。我を持って行えば、けっして加護は受けられませんよ』


 心の中に残る母の声。


 開耶は母から譲り受けた鏡を胸元から取り出す。鏡(カガミ)の中には神(カミ)がいる。鏡に映る自分の姿の中に神を認め、我(ガ)を取って敬虔に無心に加護を願う時に初めてまじないは力を持つのだ。他人に対しては素直に出来るそれが、開耶は自分に対しては出来なかった。母が見つからないのは自分のせいだ。わかっていればこそ余計に辛く、そしてその痛みが余計に開耶を追い込んだ。



 その年末は、開耶はかまど祓いに大忙しだった。


「かまどの神様は火のかむさま。火事ば起こさねよう、べと(土)でみっちり御守りするっちゃね」



  鎌倉の下町は家々が立ち並び、ことに密集している。一度火がつけば、付近一帯、一区画があっという間に燃え落ちた。だから火付け、失火の罪はひどく重かった。


「火を抑えるんは水じゃなか。水は火を消してまうけんね、土で仲良うおさめねばならんのよ」


 一つ一つ丁寧に説明しながら煤を払い、場を清めていく。


「こん煤は、出がけに家人の草履の裏に擦り付けてやっぺと無事帰るっち御守りになるっちゃ。子供は迷子にならんよ。んで、家長や嫡男は家をしっかと守ってくらはるわ」


 神妙な顔で説明を聞き、煤を丹念に草履に擦り付ける女房と娘達を見ながら、開耶はそっと微笑む。胸を満たす充足感。


 人の暮らしに役立つまじないはこんなにも気持ちが良い。宮の奥ではけして味わうことの出来なかっただろうあたたかな感情。そっと神に感謝を捧げる。


「やれやれ、あー、ごしたい」

 老女が戸口の布をざっと払って入ってくる。大きく息をつくと背中の荷をどっかり下ろして悲鳴をあげた。


「あたしゃ、年の瀬なんか大嫌いだよ! 言ったじゃないか、のんびり過ごせって。何であたしまで、かまど祓いを手伝わなきゃならないのさ」


 開耶は立ち上がり、皿に水を注いで床へと置いた。老女は一度身を奮って白猫の姿に戻ると、うーんと伸びをして皿によそわれた水をピチャピチャと音を出して飲み始めた。


「禰禰さま、『ごしたい』はお国言葉ですよ」

 ペロリと舌を出してそう言ったけれど、白猫は素知らぬ顔でピチャピチャと水をたいらげ、それから寝床に行ってゴロリと転がった。


「まったく、何だって鎌倉中の人間の為にこう忙しく祈ってやらにゃならんのさ。まとめて出来ればいいのに。そうだ、もっとこう効率ってやつを考えてさ、榊の葉を貸してやるから自分でやれって言うのはどうだい?」


 開耶は噴き出した。

「何ですか? 効率って。『もっと心を込めろ』って禰禰さまはよくおっしゃるくせに」


 白猫は大きく口を開けて大欠伸をする。聞こえない振りだ。でも、その三角の耳がピクピクと動く。その鼻先に鰹の削り節をこんもり盛ったご飯と、珍しい発酵食品を乗せた皿を差し出す。


「はい、今日はごちそうですよ。皆さんからたんと、おすそわけをいただいたんです」

 白猫はクンクンと鼻を鳴らしペロリと舌先でその発酵物を舐めるとパクリと一口でそれをたいらげ、クチャクチャと舌鼓を打った。


「何だい、こりゃ。うまいじゃないか」


「さあ、何でしょうね。ダイゴとか何とか。献上品にもなる高級品だそうですよ。お口に合って良かったです」


 笑ったら、白猫はまたクシャリと鼻に皺を寄せた。


「何だい、憑き神を毒見にするなんざ、本当に神使いの荒い姫様だね」


 結局、奥州への出陣は一年以上行われなかった。その間、何度か鶴岡若宮の流鏑馬が行われたが、重隆が射手に選ばれることはなく、幸氏はほとんどの回で選ばれていた。幸氏が出るごとに観客の女達のざわめきは大きくなり、実際、開耶の元を訪れる娘達の中には幸氏の名を指定してまじないを望む者もいるくらいだった。きっと重隆が悔しがっているだろうと、人ごみの中を長身の人間を探すのだが、開耶はついぞその姿を見つけることは出来なかった。

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