第8話 記憶

 ウトウトと眠たげな昼下がりだった。戸の影に白猫の尻尾が見え隠れする。


 ふわりと和らげに揺れるそれを掴んだら、赤い目をした白蛇だった。悲鳴を上げた開耶の手の中で、白蛇はチロリと赤い舌を見せて笑う。


 その日から開耶は呪われた。


  夜半、声をかけられて開耶は目覚めた。まだ暗く寒い夜の季節。青白く恐い顔をしている母を見て、開耶はぼんやりと思う。今日は神事がある日だったかしら?


 寝ぼけたままの開耶の着物を母は脱がせていく。


「おたあさま、どうしてお着替えするの?」

「上野国へ行くのですよ」

「こうずけのくに?」


 母は頷いて、手早く娘の荷物を整える。包みを背にくくりつけられながら目をこする。

「でも、じじ様に下社の神域を離れてはいけないと言われました」


「じじ様は死ぬのです!」


  豹変した母の語気に少女はビクリと肩を震わせる。大きく目を見開き、母の白い顔を見つめるが、母は少女の視線から目を逸らした。少女は母の唇の上のほくろが細かく震えるのを、黙って目で追い続けた。


「じじ様は鎌倉に死ににゆかれるのです。ここはきっと上社に乗っ取られる。だから、その前に」

「かまくら?」


 でも母はそれ以上は何も口にせず、娘の旅支度を整えると、その首に小さな木片が通された紐をかけた。

「これは神籬(ひもろぎ)の一片です。あなたを守護くださいます」


 その木片は中央がくり抜かれ、大きな黒曜石が磨かれて嵌め込まれていた。


「あなたの腹違いの兄弟達も上野国に向かっていると聞きます」

「どうして?」

 それへの答えはない。


 外に出れば風が啼いていた。龍の声だ。開耶に『何処に行くんだ?』と聞いて来る。


『上野国に行くのよ』


 心の中で答えて、それから真っすぐ前を向いた。連なる山々。龍の国。開耶は生まれて初めてその山を越えようとしていた。


 でも開耶は上野国には辿り着けなかった。途中、盗賊に襲われ、母とも、供の者達ともはぐれてしまったのだ。

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