第153話 「小谷裕子」

(美咲)


小谷こたに裕子ひろこと言います。今日はお世話になります」


 可愛らしいご挨拶を受けた。

 学校に急に現れた『夏の落とし物』裕子ちゃんだ。

 家出をして男の子を頼って来るなんて、なかなか大した娘ね……。


 裕子ちゃんの挨拶を聞いて蒼汰君が不思議そうな顔をしていた。


「あれ? ひろちゃんも小谷っていう苗字なの? 茜ちゃんと親戚?」


「ううん、違うよ。あの地域は小谷姓が多いの」


「へえー、そうなんだ。同じ名前が多いと困らない?」


「うん、だからみんな下の名前で呼び合うの」


「なるほどねー!」


 何だか蒼汰君の話し方のテンションがいつもと違う。

 今日抱きつかれていたわよね……まさかまた敵がひとり増えるのかしら。


 今日の夕食のメニューは、裕子ちゃんが普段あまり食べない食事を出したくて色々考えた。

 シーフードパエリアに半熟卵のシーザーサラダとコンソメスープを付けて、デザートに洋ナシを出して完成♪

 うん!いい感じ。

 二人とも美味しく食べてくれたみたい。

 特に裕子ちゃんが大喜びしてくれたから良かった。


 食後もしばらく一緒に話しをして過ごした。

 素直で良い娘だと思う。

 茜ちゃんと航くんの事をつまびらかに話してくれるので楽しかった。


 でもね、裕子ちゃん。『茜ちゃんが初めてだったとか、あれから急に大人っぽくなったから羨ましいとか、私も蒼汰おにいちゃんの部屋に行っちゃおうかな』とか話してはダメよ。

 そこのお兄さんが何だか怪しい雰囲気になっているでしょう。夜中に襲われるわよ。

 まあ、私が身代わりになってでも、そんな事させないけれどね………。


 結局、裕子ちゃんは私の部屋に泊まる事になった。

 確かに一番安全だけれど、私はメイクもウィッグも外せないのね……。

 裕子ちゃんがお風呂に入り、入れ替わりで私もお風呂に入り、またソバカスメイクをして部屋に戻った。

 しばらく話をしていると、裕子ちゃんが眠たそうにしていたから、部屋の電気を消して寝ようと思ったら、真っ暗だと眠れないと言うので読書灯を点けてあげた。

 少し様子を見ていたら、寝息が聞こえて来たから、眼鏡だけ外して私も横になった。


 ----


 誰かに揺り起こされて目が覚めた。

 目を開けると、裕子ちゃんが困った様な顔をして私を揺らしていた。


「……裕子ちゃん? どうしたの?」


「お姉さんごめんなさい。怖くてトイレにひとりで行けない……」


 そう言えば廊下の電気を消したから真っ暗だし、知らない人の家のトイレは怖いのかも。


「……ちょっと待ってね」


 ヘンテコ眼鏡を掛けて裕子ちゃんを連れてトイレに行った。

 もし妹が居たらこんな感じなのかな? とか思いながらトイレの前で待っていた。

 部屋に戻ると、裕子ちゃんは何度もお礼を言って布団に入って行った。

 私も直ぐに横になり、しばらくしてメガネを外す。

 段々と眠たくなって来た頃に、裕子ちゃんが急に話し始めた。


「ねえ、お姉さん」


「……」


「何でそんなに綺麗なのに変装しているの?」


 驚いて一気に目が覚めた。


「ソバカスもメイクだし、ウィッグの下には凄く綺麗な茶色の髪の毛があるし、それにハーフみたいに綺麗な瞳をしていた。本当は凄く綺麗な人ですよね?」


 迂闊うかつだった。

 トイレで起こされた時にチェックされていたみたい……。


「あ、あのね裕子ちゃん。大人には色々事情が有るのよ。だから皆には内緒にしていてね。それに、そんなに言うほど綺麗じゃないわよ」


「……は、はい」


「お休みなさい」


「お、お休みなさい」


「……」


「……でも、お姉さんは、学校で蒼汰おにいちゃんと一緒にいた綺麗な人ですよね?」


 私の心臓が早鐘を打つように鳴っていた。

 いつかは、そのことを清算しないといけないのは分かっているけれど、今はまだ準備が整っていない……。


「そ、それは誰かと間違えているだけよ。そ、そんなに若くて綺麗な女の子と間違えられて嬉しいけれど、あなた達とは歳がひと回り以上も違うわよ」


「えっ……」


「気のせいだから。早く寝なさい」


「は、はい……。お休みなさい」


 全ての事を誤魔化せたとは思わないけれど、完全にバレてはいない感じだった。

 裕子ちゃんが帰る前に、もう一度念押ししておこう……。




 翌朝、裕子ちゃんは朝ご飯を食べたあと、蒼汰くんに連れられて帰って行った。

 二人になるチャンスがあったから、仕事を失うので昨夜の事はナイショにして欲しいとお願いした。


「お姉さん、もしかして潜入捜査官?」


 そんな事を真顔で言うから、思わず笑ってしまった。

 これ以上話をややこしくしないで……。


 航君達と裕子ちゃんを駅まで見送りに行った。

 急いで貸倉庫に行ったりして、美咲の準備でバタバタしたけれど、何とか間に合った。

 駅では航君がお土産を渡そうとして、裕子ちゃんに笑われていた。


「茜ちゃん家に泊まったのに、そのお土産はおかしいよ」


 言われて初めて、航君はミスに気が付いたみたい。


「でも、隠して茜ちゃんの家に持って行くから。ありがとう!」


 裕子ちゃんは、お土産を嬉しそうに受取っていた。

 航君が昨日の夜は蒼汰君の家で何も問題が無かったか聞いたら、裕子ちゃんは急に恥ずかしそうにしながら私の後ろに隠れた。

 えっ? まさか私の事を言うつもり?

 冷や汗が背中を流れる……。


「あのね……。昨日の夜、蒼汰おにいちゃんに無理やり……」


 余りの衝撃発言に私と航君は凍り付いてしまい、蒼汰君は驚いた顔をしながら必死に首を横に振っていた。

 そんなはずは無いけれど、私が寝た後に蒼汰君の部屋に忍んで行ったのなら分からない……。


「そ、蒼汰。お前まさか……」


「い、いや本当に何も無い。冤罪だ!」


「……蒼汰おにいちゃんに、無理やり家政婦さんの部屋で寝させられましたー!」


 裕子ちゃんはケラケラと笑っていた。

 この娘は真面目で大人しそうな感じだけれど、なかなかやるわね……。


 裕子ちゃんは、駅のホームで話している時も、探る様な眼差しで私の顔を見ていた。

 疑われているのは分かっているから、出来るだけ悟られない様に振舞った。

 特急列車の座席から笑顔で手を振る裕子ちゃんに、私も満面の笑顔で元気良く手を振って見送った。

 ほら! こんなに明るくて、あの家政婦とは全くの別人ですよー! というアピールをしたつもりだけれど、上手く誤魔化せたのかしら……。

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