弐枚目

 まだこの手紙を読まれていますでしょうか。警告を無視されているのでしょうか。出来ることならば、いますぐあなたの隣にいってこの手紙を取りあげたい。でも、わたしはそこにはいけません。わたしにはあなたを止めることはできません。この手紙の先にあなたの望むようなものはなにもありません。だから、お願いします。これ以上は読まないで下さい。


 わたしが見殺しの責任を回避するために、まず最初に思いついたのは、わたしに起こったことがわたしだけの特殊なものではない、と考えるものでした。

 赤信号みなで渡ればこわくはないと申しますが、人類みなが平等に罪びとであるならば、わたしがおこなった振る舞いはわたしだけのものではなく、みんなが平等に背負うものとして、なにもわたしだけが思い悩むことはありません。もし背負うべき罪があったとしても、わたしが担当するぶんはいまよりもずいぶん軽いものとなるでしょう。みんなが罪の意識に苛まれながらも、明日の方向をみて生きている、そのような考えでした。

 それはとても素敵な考えのように思われました。

 しかし、彼が絶命するのをみていたのはわたしなのです。わたしは彼をみて、また彼は、他でもない、わたしをみていた。あなたがみていた彼とわたしがみていた彼は違う。誰にでもある出来事ではあったのかもしれませんが、わたしを睨んだ彼は、わたしのみた彼だけです。その彼を見殺した責任を、みんな同じだからと、棚上げにすることはわたしには出来ませんでした。


 次に思いついたのは、このわたしの身に起きた出来事をなるべく多くのひとに知ってもらい共感をしてもらうという考えでした。殺人を観測する振る舞いをみんなが悪くないといってくれれば、たとえ、わたしが悪いと思っていようとも、社会的には悪くないはないのです。それはわたしがどこかおかしいだけで、わたしの行為は正当化されると考えたのです。

 しかし、この試みも失敗しました。そもそもわたしには友達がいない。伝えるものがいなかった。たとえ、社会的に正当化されていたとしても、わたしが社会で生きてはいなかったのです。


 そうして八方塞のわたしはいま罪を雪ぐ方法を考えています。罪を雪ぐには、同じ対価を払わなければならないでしょう。失ってしまったものと同量のものを。命には命を。

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