教導地区調査引き継ぎ

 アンナには二つの仕事があった。

 ひとつは教導地区で起こっている不穏な事件について調査を手伝うこと。

 ふたつは必要あらば武力でその原因へ対処することだ。


 雨に濡れた路地裏でアンナは膝を折る。

 今しがた斬り伏せた怪物の遺骸へ手を伸ばす。

 指先にすくった血をクンクンっと嗅いだ。


「吸血鬼の匂い。でも人間の血だ。魔力濃度は低い。あと何か、混ざってる? 老人がこれほどに敏捷に動けるなんて」

「それが冒涜の研究成果というやつですな」


 アンナは首だけ振り返る。

 狩人に特徴的な黒い外套を纏っている。

 若い男だ。無害そうな白髪におとなしそうな顔立ちをしている。


「あんたが教導地区で調査活動してるっていうスカル・デブロー?」

「いかにも。初めまして、アンナ・エースカロリ。ご足労いただきありがとうございます」

「仕事だからね」


 スカルはあたりを見渡す。


「アーカム・アルドレアは来ていないのですか。有名人に会えると思っていたのですが」

「あたしだけじゃ不満?」

「いえ、そんなことはないですよ。あなたも有名人だ」

「そりゃどうも。別に嬉しくはないけど」


 アンナは腕を組む。黒革の生地に押し込められた豊かな双丘を乗せるようにし、フンッと鼻を鳴らす。

 スカルはしばし言葉を選ぶようにし、顎に手を添える。


「して、アルドレア殿は」

「やっぱり、あたしだけじゃ不満なんだね」

「いえ、本当にそういうわけじゃないのですがね」

「心配しなくてもすぐに来るよ。恐ろしい怪物を叩くには確実な戦力が必要だからね」

「それはよかった。協会は事態を理解していないのかと思ってひやひやしました。事情は逼迫しているのです」

「この怪物のこと?」

「ええ」


 スカルは膝を折り、怪物の遺骸を検分する。


「私は相棒のリリーと教導地区で起きている不可解な事件について調査していました。路地裏や人気のない地下下水道にて、人ならざる者によって食い荒らされたような変死体がたびたび報告されていました」

「犯人はこの転がっているやつ?」

「その通り。これ以外にも相棒のリリーと私で2体を討伐しています。人造怪物の類で、闇の魔術師が関与している可能性が高い。教導街にある医療院が怪しいというところまで目星をつけてます」

「あとは叩くだけ?」

「もう叩きました」

「……そうなの? じゃあなんであたしたちは呼ばれたの」

「叩ききれなかったので。というか、返り討ちにされました」

「情けない話だね」

「返す言葉もない。状況はさらに悪化しました。相手は姿をくらまし、教導地区のどこかに身をひそめ、今も怪物を解き放っている。なりふり構わないと言ったところですかね。怪物たちのやり口は雑になってきて、被害も増えている」

「藪蛇だったわけだ」

「ええ。だから、応援を要請しました」


 スカルは白い髪を撫で付ける。眼差しは期待に満ちている。

 

「だいたい状況はわかったよ。相手の戦力と掴んでいるだろう情報が欲しい」

「人造怪物は医療院の患者へ外科的な手法で改造を行ったもののようです。再生能力があります。吸血鬼ほどではないです。人狼よりも劣る。大きなダメージを与えなければ、状況を進められません」


 スカルは足元の死体を見下ろして「真っ二つに斬り捨てれば問題はないですが」と補足する。


「厄災級の脅威度はないですが、数が多い。医療院へ突入した際には、3体に囲まれ、命からがら脱出できました。それに個体によって本物の厄災に匹敵する可能性があります」

「そうじゃないとあんたと相棒のメンツが立たない」

「皮肉はよしてくださいよ。厄災の怪物に囲まれた経験があるんですか」

「あるよ」

「……そうですか」


 淡々としたアンナの返事に、スカルは言葉に詰まる。


「困ったのは肝心の闇の魔術師がどこにいるかわからないことだけど……そっちはどうにかなるかな」

「どうしてですか? 探し出す方法にアテが?」

「うん。多分、なんとかなる」


 アンナの要領を得ない、されど自信たっぷりの返事にスカルは首を傾げる。


「調査を始めようか。まずは医療院へ。もしかしたら闇の魔術師が巣に戻ってるかもしれない。ところで、リリーとかいう相棒はどこに?」

「彼女なら亡くなりました、医療院への攻撃が失敗した際に。彼女が死んだから、私は今ここにいる。こうしてあなた方後続へ繋げることができている」


 アンナは目を細める。

 それ以上、言葉を続けることはしなかった。

 二人は路地裏を歩きだす。

 

「向こうが騒がしいね」


 アンナは騒々しい方へ足先を向ける。

 通りへ出ると、人だかりができていた。

 野次馬たちの視線は、通りの真ん中で大破した馬車へ向いている。

 石畳みは血で染まっており、憲兵たちが周囲で現場の整理を行なっていた。


「人造怪物の被害……お構いなしって感じだ」

「急ぎましょう。イカれた魔術師の被害者が増える前に」


 スカルとアンナは夜の教導地区を抜け、医療院へ辿り着く。

 

「外で待ってて」

「え? ひとりで行くんですか」

「これ以上、死体を増やしたくない」


 アンナは言って医療院の鉄門を足で豪快に蹴りあけた。

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