アリス in ダンジョン
──アリスの視点
頬に硬い感触が当たっていた。
冷たく、無機質で、すこし湿った感触だ。
目を開けると近くにたいまつが炎が揺れていた。
硬い岩の地面のうえに寝ている。
アリスはすぐに自分の状況を理解した。
銀色の前髪をサッと掻きあげ、たいまつと杖を拾う。
「転移トラップに掛かりましたか」
水色の瞳が天井を見上げる。
たいまつの灯で照らされるダンジョンの天井は高い。
アリスはごく冷静な思考で、現在の自分の状態を客観視した。
結果としてわかったのは絶望的だということだった。
ダンジョンのどこに自分がいるのか、アリス自身でさえ理解していないのだ。
この先、何をするのが最も正しいのか見極めなければ死は回避できない。
アリスはとりあえず一端の安全を確保することにした。
周囲を見渡し、モンスターがいないことを確認する。
作業にはやや時間がかかる。警戒は怠らない。
「あ」
と思ったのだが、たいまつの明かりが届く範囲に黒い影を発見してしまった。
光のなかで存在感を放つソレは不定形で、やわらかい体を持っていた。
アリスはそれを見たことがなかったが、スライム系に属するモンスターだとはわかった。
杖を構えて魔力を練りはじめる。
黒いスライムへ先制攻撃を加えるのだ。
「大地よ、大いなる力の片鱗を覚ませ、源の力を──」
アリスは詠唱の速度に自信があった。
ただ黒いスライムとの距離は近く、またスライムは素早かった。
黒いボディをたわませると弾かれたゴムのようにアリスへ飛びかかってきた。
アリスはビックリしてしまい、ギョッと身構えた。
黒い影が少女の軽い身体を叩き、1mほど吹っ飛ばした。
いくらでも形状が変化する軟体ボディはアリスの身体を覆いつくそうとした。
未発達の身体を弄ぶように怪物は広がる。
スライムは身体すべてが筋肉だ。包まれれば子どもなど簡単に圧殺してしまう。
魔術式が紡がれていき、地面の岩が削れて浮び、宙に岩の槍が形成されていく。
「《アルト・グランデ》……!」
詠唱が完成した。
岩の槍は横からスライムの身体をつらぬいた。
ダンジョンの壁に射止めて、スライムは動かなくなった。
アリスはケホケホっとせき込んで、押しつぶされそうになった胸を押さえる。
「あんなに軽そうなのに、まるで岩のよう……」
重たさに身体が潰れてしまうのではないか、と恐怖した。
すぐにたいまつで周囲を照らす。差し当たりの危険は去ったようだ。
アリスはホッと胸をなでおろし、岩の槍で貫かれたスライムを見やる。
「タスク『サバイバル』開始です」
アリスは杖を構えて岩壁に向き合う。
行使できる土属性二式魔術をもちいてダンジョンの壁に陥没をつくりだした。
横穴は10mほどの深さまで掘ることができた。
厳密にはもっと掘れるがそこまで掘る必要性を感じなかった。
アリスは自分の持ち物をアジトでチェックする。
食料のたぐいはわずかしかない。水も少ない。
自分の足で地上へ戻るのは困難を極める。
となると助けを待つほかない。
長時間のダンジョン滞在になる可能性が高い。
そうなるとダンジョン内で食も水も自給自足する必要があった。
さらに敵は強力だ。
ダンジョンの中ということは数もほぼ無限に湧いて来る。
安定して脅威を排除する手段も手に入れなければならなかった。
賢明なるアリスにはすでにプランがあった。
脅威への対抗するプラン。生きるためのプラン。
計画が立案され、タスクが設定されれば、あとはそれをこなすだけだ。
「スライムの主成分は魔力とアルコール、それと水分なはず」
アリスには知識があった。
スライム酒と呼ばれる蒸留酒があることを知っていた。
製法も明晰な頭脳は覚えていた。
アリスはアジト内に蒸留設備をこしらえた。
土属性式魔術を用いて円柱状の機構とそれを繫ぐ管を生成したのだ。
円柱は上と下の部屋で別れている。
上の部屋に黒スライムの遺骸を詰めて、下の部屋にたいまつの火を入れた。
すると黒スライムの身体はたちまち溶けてしまい、水溶液になった。
さらに熱されると込められていた魔力が活性化し、スライムという生命体を構築していた魔法的情報が早々に純魔力となって深淵の渦に還り、水とアルコールだけの水溶液になる。
さらに熱を与え続ければ、水よりも沸点の低いアルコール分がさきに蒸発していく。あとに残るのはアルコールがなくなった水だけだ。
蒸発したアルコール分は管を通って隣の円柱状の容器に移動する。
蒸留と呼ばれる作業であった。
ただし1回ではアルコールも水も綺麗に分離しないため、何度もこの作業を繰りかえす必要があった。
蒸留を根気強く何度も行った。
眠気に瞼が重たくなる頃、アリスは水とアルコールを手に入れた。
「アルコールは火を灯すのに使える」
言いながら土属性式魔術でつくりだした容器にアルコールを集めた。
ここまでで何時間も作業をしていたアリスは疲労で眠くなっていた。
ゆえに横穴の入り口を土属性式魔術で変形させ、空気穴をいくつか設けるだけであとは完全に塞いでしまった。そして寝た。
地上でほかの皆が大騒ぎしていることを気にせず、アリスはごく冷静に試練を乗り越えようとしていた。
自分が天才だと自覚していた。
優れた知性を与えられたと。
だから上手く出来て当然だとも思っていた。
困難の時にはいつも兄の姿を思い出した。
すべてにおいて完全で完璧だった自分の上位互換。
「お兄様ならこれくらい簡単に凌ぐ……」
ならば自分もこの程度、歯牙にもかけず凌がなくては。
そうでなければ偉大な兄へ顔向けできない。
自分が天才な分、頭への栄養を吸ってしまいポンコツになってしまった姉のことを守り抜くことなどできない。
アリスは目を閉じ、強くあれ、強くあれ、と自分を励ます。
ふと「お腹すいたな……」とほろりと涙を流した。
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