ファイナケルベロス vs マーヴィン・テンタクルズ


 ──雨がふりはじめる少し前


 マーヴィンら魔法騎士隊はファイナケルベロスの恐るべき戦力に苦戦を強いられていた。

 

 死体の大地を踏み鳴らして、ファイナケルベロスが突っ込んでくる。

 魔法騎士隊のなかでも水属性式魔術が得意な騎士と副隊長オーランドらが迎撃しようと10mの位置まで引きつけた。

 オーランドは三式の水属性式魔術を、ほかの騎士らは一式の水玉を勢いよく発射した。

 

 ファイナケルベロスの纏う炎のアーマーが激しく燃え上がる。

 水は着弾するまえにほとんど蒸発し、オーランドの水球だけが命中。

 だが、さほどのダメージを受けているようには見えず「チッ!」と舌打ちして、突撃上から逃げることしかできなかった。


 マーヴィンは騎士らがどいたことで、ファイナケルベロスと一対一で向かいあう形となった。

 剣気圧を増幅させ、足腰に強力に剣圧をかける。

 

(かなりの速力でつっこんできている。こちらが剣を振らずともあの馬力を逆に使えばダメージを与えられるはずだ)


 自分より数十倍も体躯でまさる怪物を相手にするのは、突っ込んでくる騎馬隊を相手するのとは比べ物にならない恐怖である。

 だが、それでもマーヴィンはまるで動じた風もない。

 最高級の剣を構え、腰を深く据え、力いっぱいにふりぬいた。


 ファイナケルベロスの硬く分厚い筋肉と刃がぶつかる。

 ガゴンっと金属同士が叩きあわされたような音がした。


(魔法生物、外皮に天然の魔力装甲を帯びるというわけだな……ッ、だが!)


 地面をえぐりながら踏ん張り、マーヴィンは強靭な体幹を維持しつづけ、ファイナケルベロスの前足に対して刃を立て続けた。

 結果、ファイナケルベロスの前足は両断され、美しいほどの血の弧を描いて、宙を舞った。

 

 魔法騎士隊から感嘆の声があがる。

 

「油断するな。まだだ」


 マーヴィンはポーションをひと口煽り飲み、剣を構え直した。

 

(近づくだけで肌が焼かれる。鎧圧をもってしても無傷じゃ済まないか)


 途方もない怪物との戦いと死が鼻先をかすめるほどの緊張感。

 命と命のやりとりを強要される厄災との戦いは、マーヴィンにかつての苦い記憶を思い出させていた。


 マーヴィン・テンタクルズは辺境の農民の家に産まれた。

 生まれつき体躯に優れ、快男児として育った。

 腕っぷしだけで上り詰めてきたマーヴィンは、子供の頃から剣の才能にもあふれており、強くたくましい肉体で剣を振れば、どこへ行こうとも敵なしだった。

 青年期には地元の騎士貴族との試合に勝ってしまい、辺境で最強になっていた。


 噂は瞬く間に広がった。

 騎士貴族の手伝いをし、村近くのモンスターを退治してまわっていたところ、マーヴィンに興味を持った騎士団の騎士が村に立ち寄った。

 マーヴィンは騎士すらを打ち負かし、たぐいまれな天才として、騎士団に所属することになった。騎士団内でもマーヴィンの才能は決して色あせることはなかった。


(俺は強い。おそらくは世界で最も強いだろう)


 20歳の頃のマーヴィンは恐いもの知らずだった。

 ある時、騎士団に剣術指南に出向していた教官へ決闘を申し込んだ。

 顔の形がかわるほどに叩きのめされ、完膚なきまでの敗北を知った。


「お前は磨けば光りそうだな」


 だが、才能を見込まれ、狩人にスカウトされた。教官は狩人だったのだ。

 マーヴィンの師は疲れた顔の男だった。

 疲れた顔の狩人は言った。


「怪物と戦い生き残りたいか? なら動機を持て。強いだけでは死ぬ」


 狩人になるためにマーヴィンは7年鍛え直した。

 当初は7年もかけるつもりなどなかった。

 初めのいつからかは半年に1回の承認試験をなんとか物にすることだけが、マーヴィンの生きる目的になっていた。


 血のにじむ鍛錬の果てに、17回目の承認試験で疲れた顔の狩人はマーヴィンを助手として協会に迎え入れた。

 厳しく辛い修業の先で、ようやく狩人になれた。

 その時の彼は自分が偉大なることを成し遂げたのだと、このうえない幸福に満ちていた。


 狩人になって3か月後。

 マーヴィンは狩人を辞めてしまった。


 恐るべき戦いを知ったのだ。

 世界を守るために自分より遥かに才能あふれる戦士が、秋の枯れ葉のごとく死んでいくのを目撃してしまったからだ。

 世界で一番高い壁に思えた師が、おとり作戦のための捨て駒に使われたのを知ったからだ。


 凄惨な夜の戦果は、狩人が5人死んで、吸血鬼が4体死んだ。

 それで終わりだ。あとには何も残らない。

 マーヴィンが生き残ったのはただの偶然だったのだ。


 以来、マーヴィンは時折、凄惨の夜を思いだす。

 どうして自分ではなく、あの狩人たちは死んだのだろう……と。


 そこには何か意味があったはずなのだ。

 否、なくてはならないのだ。

 積み上げ、練り上げ、極限まで高めた先で、ようやく同じ土俵に立ち、怪物と戦ったことは賞賛されるべきあり、偉業として未来永劫語り継がねばいけないのに……だのに、どうして誰もあの疲れた顔の狩人の話をしないのだ?

 

(人智を越えた怪物との戦い……思い出すだけで夜も眠れない……だが、私にも守れるものがあるはずだ。生き残ってしまった意味はあるはずなんだ)

 

 マーヴィンは手負いのファイナケルベロスへ果敢に突撃する。

 古い記憶と、あの血の滲む日々を糧に得た剣技。


(剣聖流剣術三ノ型、剣聖三段斬り)


 すべてを面で焼き尽くさんとする分厚い炎の放射に対し、空気を叩き切った風圧で道を開き、続く二撃目で地獄の番犬の鼻先を深く削った。

 三段目の斬撃で頭を叩き割ろうとする。

 だが、ファイナケルベロスはたくみに頭をひねり、鋭い牙で受け止める。

 渾身の一撃は牙ごとへし折った。

 

(武器を削っただけか。致命傷じゃない。チッ、熱いな、プレートアーマーで焼き肉にされてるみたいだ)


 マーヴィンは眉根をひそめ攻めあぐねる。

 近づくだけで肉を焼く強力な火の魔力が厄介なことこの上ない。


「どうしたものか……ん?」


 視界端から白い礫が飛翔した。

 思わず足を止める。


 次の瞬間、白い礫はファイナケルベロスの胴体を真横から貫通した。

 抵抗なく、画家が画布に白い線をピーっと引いたように、滑らかに。

 礫は近くの岩場に轟音とともに着弾、そこに白い結晶の華を咲かせた。

 見やればそれが氷の塊であることがうかがえる。


 ファイナケルベロスの胴体に丸い穴が穿たれていた。

 それが致命傷となり、炎は勢いを失っていく。

 厄災は息絶えたのだ。


 周囲が静けさに飲まれる。

 何が起こったのかわからず茫然としていると、白いコートを着た人間が空からふわっと降りてきた。

 手には小杖を持っている、黒髪の端正な顔立ちの少年だ。ストンっ、着地が実に軽やかだ。なんらかの魔術を使っていることはその場の誰にでも容易に推測できた。


 マーヴィンは言葉を失ってしまい、少年と息絶えたファイナケルベロスとのを交互に見やった。

 

「君はいったい……」

「失礼、急いでいて、人を探しています、アルドレアという名前の人物を知りませんか?」


 急いた様子で少年はたずねた。

 

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