泥投げチケット

「帝国はどこかで吸血鬼と繋がっている。今回の戦争を放置したのは、我々の情報網が絶滅指導者が姿を現すことを察知したからだ。だから帝国の傀儡であるポロスコフィンには戦争をしてもらった」


 絶滅指導者を討つためなら、止められる戦争を見逃す……。

 狩人協会は助けてくれない。

 やってることも、言ってることは理解はできる。

 人道を語るだけで、恐るべき超厄災級の怪物を討つことは出来ないと。

 俺だって大人だ。わかるにはわかるんだ。

 

 だが、救える命を諦められるほどまだ達観できない。

 俺は直観の赴くままに、泥を握りこみ、アヴォンの顔面へ投げつけた。

 夜空の瞳には彼の動きが見えている。

 アヴォンがまたたきをした瞬間を定めて襲い掛かった。


 同時に指輪の収納空間からアマゾディアを抜剣し、剣の腹でこめかみを狙う。

 効かせて動けなくさせる。タイミングは完璧だ。


「やめときなって」


 言って万力のような力で俺は背後から締め上げられた。 

 アヴォンも何事もなかったかのようにスイっと泥をかわしている。


「エレナ、そいつを押さえておけ」


 言ってアヴォンは鎧圧を手に纏う。

 形状が変化し、まるで鋭い短刀のようになる。


「お前がテニール師匠の最後の弟子で失望した」

「アヴォン、落ち着きなよ。この子は将来有望だよ」

「知るか。命令に従えない兵士など駄犬にも劣る」

 

 気管が強力にしめあげられ、身体の力が入らなくなっていく。

 徐々に視界が暗くなっていく。


「い、息が……っ」

「ああ、ごめんね、苦しかった? かわいそうにね。本当にね」


 解放された。

 新鮮な空気がこれほどに美味いとは。


 俺を締めあげていたエレナはアヴォンとの間に身体をいれてくれている。


「アーカムくんも落ち着きなよ。アヴォン・グッドマン、彼は筆頭狩人だよ。どうして筆頭狩人かわかる? 強いからだよ。多大な功績を打ち立てて来たから。協会の尊敬を集める偉大な怪物狩りだから。君は礼儀を覚えたほうがいいね。本当にね。命がいくつあっても足りないよ」


 エレナは言って注射器を取り出すと、俺の首にやや強引に打った。

 治癒霊薬らしく、痺れるような痛みが体に走り、それが過ぎれば、じんわりとした温かな回復がおとずれた。


「アヴォン、あんた怪物だけを殺せっていいながら、子供を殺そうとしてるよ」

「私は礼節を重んじているだけだ。礼節が人を人たらしめる。そいつは獣のようだ。話が通じない。殺しても問題ない」

「めちゃくちゃ。そんなにアーカムのことが嫌い?」

「なんの話をしている、エレナ。私が好き嫌いで物事判断するとでも」

「じゃあ、なんでそんな強く当たるの」

「そう見えるか」

「そりゃあ」


 アヴォンは表情ひとつ変えず黙る。

 しばらく場に静寂だけが闊歩した。


「私なら師匠を救えた。師匠が死んだのはお前が弱かったからだ」

「……」


 アヴォンは……俺が師匠を救えなかったことを怒っているのか……。


「勘違いするな。私はエレナの指摘を受けて自己を分析した。怒りなどない。悲しみなどない。……悔しさもない。ただもし何か私のなかにお前への攻撃的因子があるとしたらの話をしてみただけだ。本意ではない」

「……協会は、本当に戦争を止めるつもりがないんですか……」

「そう言っている」

「それは嘘だ。アヴォン、嘘はよくない。アルドレアって言ったかな、協会は目的を果たした以上、この無意味な戦争を締めにかかる。当然だろう」


 口をはさんだのは羽飾りの三角帽子のマックスだ。

 アヴォンは不機嫌そうに眉根をひそめる。


「戦争はポロスコフィン率いる貴族派への制裁で終わることになる。具体的に言うのは伏せるけど、まあ、近日中に貴族派の貴族が10名ほど行方不明になるだろうね。あるいは湖に水死体として浮かぶかな」


 なんだか懐かしい……湖の水死体、師匠のやり口だな……協会の定番なのか?


 しかして、戦争が止められるのか……。

 だとしたら安心……ってこともないか。


 エレナが俺を立たせる。

 そして、すぐ近くの霊馬の手綱「はい」と渡して来た。

 

「協会が動き出すまでには時間は掛かる。その間に、アーカムくんの家族は死ぬかもね。だからさ、行っちゃいなよ、助けたいんでしょ」

「え……いいんですか?」

「悪いって言ったら、アーカムくんはこの手綱を受け取らないの?」


 そんなはずない。

 俺は手綱を受け取り、馬の背にまたがった。

 その背後、エレナがひょいっと乗っかって来る。

 後ろから抱きしめるようにされる。俺より一回り背が高いので収まりは良い。


「なにを勝手なことしてる。私は許可をだした覚えはない」

「ねえ、アヴォン、さっきから思ってたんだけどさ、この子は許可を待つ必要はないんじゃない。アーカムはまだ狩人じゃないんだからね。本当にね」


 エレナは言って馬を発進させる。

 アヴォンは眉間にしわを寄せ、霊馬の首をバシッと押さえて止めた。


「狩人になる以上、家族の命なぞ諦めろ。厄災を相手にすることはすべてを失うことに等しい。お前の家族はまだ幸せだ。人間の戦争で死ねるのだから」

「諦めたくないんです。僕はもう妥協しないと決意した。この人生、最後まで最善を尽くしたい」

 

 何のための後悔だ。

 二度目の人生まで上司の抑圧に屈するやつはいないだろう。

 自分の正しさを諦めない。たとえ間違っていると言われても。

 

 アヴォンはじっと俺を目を見据えて来る。

 強い眼だ。そして冷たい目だ。悲しい目だ。

 多くを失い、その先に鋼の心を手に入れた……勝手な推察だが。

 俺はその目を逸らさないように精一杯の精神力を注いだ。


「……。お前は戦争に参加するな。誰も殺すな。家族を見つけ、戦線から離脱させる。それがお前に許される最大限だ」

「……っ、わかりました」


 アヴォンは手をおろす。

 渋々といった雰囲気がすごいが、一応、許してくれた……のだろうか。

 霊馬が進み、アンナのことを思い出す。

 このままでは彼女を置いて行ってしまう。


「エレナさん、アンナも乗せてもらえますか」


 馬はかなり大型なのでたぶん乗せれる。

 相棒を忘れていくわけにはいかない。 

 というか戦場に向かう以上、アンナの力はないと困る。

 俺はボロボロだし、ほとんどまともに動けないだろうから。

 

「ん? ダメに決まってるじゃん。あの子はうちの妹だよ。グレーゾーンなことはひとりでやりなよ、うちの子を巻き込まないでね。本当にね」


 ここからは俺ひとりの戦いか……アンナを協会のルールに抵触するかしないかの瀬戸際に付き合わせることは出来ない……確かにエレナの言う通りかもしれない。


「すみませんでした。もう大丈夫です」

「いい覚悟だね。本当にね。それじゃあ、アヴォンに泥を投げた度胸をチケットに戦場まで送ってあげる」


 言った直後、馬は走りだした。

 同時に周囲の景色が霞のように消えた。

 気が付けば馬は虚空の世界を走っていた。

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