爆速特急グランドウーマ

 エレナの霊馬は虚空を走っていた。

 俺は直観的にそこが虚無の海に類する異次元空間なのだろうことを悟った。


 冷たく、凍えそうだった。

 そこには熱が無いのだろう。

 全身から温かさが失われていく感覚だ。

 わずか数秒で死の気配を感じるほどの寒気が体の芯まで染みて来た。

 声をあげ、エレナに助けを求めようとした。

 その時、蜃気楼のようなもやが、暗黒の世界に現れた。

 目前に草原の景色だ、温かく、そこは安全なのだろうと本能的に悟る。


「出る」


 エレナはぼそっとこぼす。

 途端、俺たちを包んでいた虚空は遥か後方へと消え去った。

 暗闇を抜けた先は、さっき蜃気楼のような中にうかがえた草原である。

 街道からそれているのか、周辺には道らしきものはなく、転々と林が点在している風景がひろがっている。

 どこを走っているのかまるで見当もつかなかった。


「いまの黒いのは異空間ですか?」

「物知りだね」


 エレナは俺越しに霊馬を撫でる。


「こいつはグランドウーマって言うんだ」

「グランドウーマ」

 

 もっと名前なんかあっただろう。


「ああやって異空間に突入して、物理的に距離をすっとばして移動することができる。でも人間には長距離の異空間移動は耐えられないから、こうやってちょくちょく現実世界へもどってくるんだよ」

「なるほど……確かにあそこは寒すぎます」

「さあ、2回目の突入ね」

「え、いや、はやすぎますっ、もうちょっとインターバルを……!」


 エレナは容赦なく2度目の異空間走行に突入した。

 そんなこんなで死にかけの俺には鬼畜とも言えるほどの過酷な移動がつづいた。


 グランドウーマは日に何度も異空間走行ができるわけではなかった。

 2回目の異世界走行から現実へ帰還し、すこし走ったあたりで周囲が完全なる闇に飲まれていることがわかった。星空が見えるのでそこが現実の夜世界なのだと認識した。


 街道から離れたちいさな林のなかに入ると、エレナは迷いなくグランドウーマを歩かせていく。草木の野性的な香りと、新鮮な空気に自然を感じる。


「こんな道歩けるんですね」

「あたしのチェリーちゃんは特別だからね」


 獣道も何のそのと言う訳だ。グランドウーマがすごいのか、エレナのグランドウーマ──チェリーちゃんがすごいのかの判断はつかなかった。


「あの小屋で野営しよっか」


 林のなかいかにも怪しい小屋を発見した。

 苔むしていて、ツタが絡まっていて、なんとも不気味な雰囲気だ。

 

「野党のねぐらなんじゃないですか。結構しっかりしてますよ、この建物」

「いたら殺せばいいよ」

「……」


 いや、まあ、そうなんですけど。

 

「人殺すなって言ってたじゃないですか……」

「もっと大局的な話だよ。言わなきゃわからない? というかそれ言ったのにあたしじゃないし」


 小屋には幸いにして野党はいなかった。

 小屋の手前で焚火を焚いていると、エレナがどこからともなくウサギを素手で掴んで戻ってきたので、下ごしらえをして、ありがたく夕餉とした。


「アーカムくんの話が聞きたいなぁ。どうやって絶滅指導者を倒したの。いまの君すごく弱そうに見えるんだけど、うん、本当に弱そうだよ」


 エレナは嗜虐的な眼差しで、ウサギを焼いている間、質問をしてきた。

 意地悪だなっと思いながらも、俺はアヴォンにした説明とおんなじようにした。

 エレナは興味深そうに話を聞いていた。


「へえ、深淵の渦をね。君は源を感じたの?」

「おそらくは」

「自信なさげだね」

「だれが深淵の渦の正体を名言できるんですか」

「ふふ、生意気だ、本当にね。アヴォンに蹴られても文句言えないよ」

「……すみません」

「君は怒ってるんだね、狩人協会にたいして。それとも失望?」

「どうしてそう思うんです」

「なんとなく。勘かな」

「人類を守る以上、もっと尊い組織だと思ってました。英雄結社なんて呼ばれ方するくらいなんですから。戦争を傍観して大量の使者を許容するなんて……」

「君には想像もつかないだろうね。表面しか知らないもの。世の中はもっと複雑なことを学んだほうがいいよ」


 言われなくても嫌と言うほど知っている。

 イセカイテックで研究者をやっていたんだ。

 本当の価値のある研究のために予算がでなかったり、真に名誉を受けるべき人間がゴミのように始末されたり、でも、たまに大局的には容認されるべき行動であると理解できたりもする。

 世の中は正義が評価され、それに見合った結果が用意されているほど整備されていないのだ。道徳的正しさを追求すると。往々にして、過酷な道を歩くことになる。

 

 エレナは言ってることは正しいと思う。

 俺が想像していることと同じベクトルの話であれど、スケールが違う話なのだろう。

 この世界の情勢をくわしく知らない俺には想像もできない事だ。

 アヴォンの前ではすこし感情的になりすぎてしまった。


「それにしても、アヴォンは意地悪すぎませんかね」

「うん、性格のいい男じゃないよ。人格者であることをあいつには求めないほうがいいね」

「はあ」


 あれが兄弟子か……うまくやっていけるかな。


「でも、怪物と人類の最前線をよく知ってる。冷静な判断をくだしてきた。だからあたしだって信頼してる。ミスはしないだろうって。だから、あいつの言い分の方が正しいと思うんだよね。本当にね」

「僕の家族が戦争で死んだほうがいいって話もですか?」

「アヴォンが言ってるのはもっと長い目で見た時の話だよ。家族なんか諦めろっていうのはさ……うん、そうだね、それはただ一時しのぎにしかならないからってこと。いま救えたとして、次もし、怪物がふらっと君の実家に立ち寄って暴力をふるったらどうなるかな。死ぬよ、全部。君はその時、そばにいてあげられる? そばにいたとして守ってあげられる? つまりそういうことだよ」

「でも、そう簡単に怪物に家まで辿られないでしょう。どうやって情報を集めてくるんですか」

「君の言ってることは正しい。身元の不明の狩人の親戚をたどるは容易じゃない。でも、不可能じゃない。アヴォンは知ってるんじゃない」

「……?」

 

 いまいち容量を得ない。

 アヴォンは知ってる……なにを情報の辿り方? いや、違う……。

 勘が働いた。


「……もしかして、もうバレてる……?」

「……。さあね、あたしは知らない。でも、あいつは1年間くらい魔法王国で活動してたし、アーカムくんを探してクルクマあたりもうろついてたらしいよ。その時に何かあったとしても不思議じゃない」


 目の前がまっくらになった。

 同時に魔法王国でノーラン教授が最後に言い残した言葉の意味を理解した。

 やつらは……怪物派遣公社はとっくに俺の家族のもとへたどり着いていたと言うのだろうか? それじゃあ、もしかして、アヴォンは俺の身元を調べる過程で、家族の惨殺死体を発見した……。


 想像は嫌な方向へと膨らんでいった。


 いや、やめよう。

 考えても仕方がない。

 いまはただ前へ急ぐだけだ。


 炎越しにエレナを見やる。

 彼女は達観した表情で火を見つめていた。

 梅色の眼差しはアンナとよく似ていて、ただ、ひどく落ち着いている。

 俺は厄災に出会うたび、人の弱さ、己の無力さを思い知るたびに、世の不条理を糾弾してきた。どうしてこんな酷い事がまかりとおるのか、と。

 エレナは俺と同じものを多く見たのだ。いや、遥かにずっと多くの残酷を知っている。彼女は常人では計り知れないチカラを持っているが、それをもってしてもどうにもならない現実を知っている。そう思った。

 

「可能性を捨てて挑むことはしません。死が向こうからやってくるのなら、その度に血を吐いて救います。すべての策を講じ、すべてを賭けて死から遠ざければいい」

「……若いね。すごく若い。不可能だってわかってるのに口にだすんだ」

「……」

「嫌いじゃないよ、本当に。アンナは君のそういうところに……評価を与えているのかもね」

「評価?」

「ん。そろそろ焼けたね」


 エレナはウサギを手に取り、ポケットから香辛料を取り出してまぶす。

 そのまま美味しそうにばくばく食べる。


「あの、僕の分は……」

「だってこれあたしが獲って来たんだよ? 自分の分は自分でとらないと」


 嘘だろ、おい……。

 ああ、なんと言う事だ、言われてみればそうなんだけど……!

 くっ、この意地悪な感じ、アンナと出会った頃を思い出させてくれる……!


「頑張りなよ。生きてるうちしか頑張れないんだから」

「言われなくてもこの全力でやるつもりです」

 

 ベストを尽くそう。

 いまできる最善を。後悔しないために。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る