人類絶滅の指導者、第六席次、死腕ゼーレ

 茶色い外套にハットをかぶったくたびれた壮年男性。

 その眼差しは血の輝きを持っている。


 俺の直観がつげていた。

 重大な、極めて重大な生命の危機がおとずれたのだと。


 その場の全員が呼吸を忘れていたのだろう。

 思い出したように皆、荒く息を再開した。


 俺はすぐさま銀の剣を抜き、アンナも銀の剣を抜剣する。俺は指輪に銀の剣を収納してあるし、アンナは常時、対人の剣と対怪物の銀剣を携帯しているのだ。

 ヘンリックも剣を抜き、エフィーリアを下がらせる。


 おかしな感覚だ。

 ここにはアンナもいて、キサラギもいて、たくさんの味方がいる。

 剣を握り構えているのはこちらで、目の前のあいつは拳を握るでも、剣を構えるでも、槍を向けてすらもいないのに、どうしてこんなに心細い。 

 この銀の重みがこれほどに頼りないのはなぜなのだ。


「なんだ、なんなんだ、こいつは……!」

「吸血鬼、です。それもやばい個体……です」


 言うとヘンリックは感じている重圧の正体を悟ったようで「吸血鬼がいるぞッ!」と、その場にいる騎士たちを皆に包囲陣形を取らせた。

 幸運にも──あるいは不運にも──この場には50名ほどの騎士が残っていた。

 圧倒的数の優勢がこちらにはある。


 遥かな怪物は呑気に睥睨し、騎士たちが自分をとりかこむのを退屈そうに待っていた。

 

「それで満足かね」

 

 絶滅指導者は口を開く。

 嘲笑いをこらえるかのように、俺たち全員へ等しく響き渡る平坦な声であった。

 同時に威厳と悠々と称える圧倒的上位者の声でもある。並の騎士たちはその場に立っているだけで精一杯なようだ。


「勝てもしないとわかっているのに、虚勢を張って剣を握る。その行為にどれだけの意味がある」


 ゆっくり歩き、俺の目の前までやってこようとする。

 だめだ、逃げられない。

 これ以上、詰められたら、魔術を溜める時間もなくなる。

 抵抗できなくなればおしまいだ。

 飴色の眼差しがこっちをサッと見てくる。

 指示を求めている。

 全霊を賭して迎い討つ。さもなければ屍の山のなかに俺たちも混ざることになる。


 俺たちは救わなければならない。

 俺たちにしか救えない。


「アンナッ!」


 俺の呼びかけに応じ、アンナは剣気圧を爆発させるように増幅させ、一気に踏み込んだ。


「姫様、おにげください! ここは我々が!」


 同時にヘンリックが叫んだ。

 たかが外れたように狂気に落ちた騎士たちも、目の前の恐怖から逃れたい衝動のままに斬りかかる。

 俺は魔力を最速で練りあげ《ウルト・ポーラー》を構える。

 疑問なんていくらでもある。どうして絶滅指導者がこんなところに? なんで俺の名前を知ってる? 狙いはなんだ? どうして俺たちはまだ生きてる?


 アンナの銀剣が絶滅指導者の首へ一閃。

 刃を受け止める指導者の手の甲。

 硬質な音が響き、赤い火花が散る。

 刃が通っていない。


「硬質術……ッ!」


 アンナは押し込もうと刃を押しこむ。

 だが、通用しない。


「ん? 君はすこし強い、かな?」


 指導者は感心した風に言うと、平手でアンナを殴り飛ばした。

 夫婦喧嘩した際、妻が夫を打つくらいの感覚だ。

 ただ、吹っ飛ばされ方がまるで違う。

 

 アンナの身体が一瞬で目で追えなくなるほど急加速し、玉座の間の向こう側の壁を砕いた。夜空の瞳じゃなけば見えていないだろう。


 続く騎士たちは指導者が腕を軽く振るだけで、血と内容物をぶちまけて逝った。

 目を覆いたくなるような光景だった。

 だが、俺には見える。見えてしまう。

 死んだ人間ひとりひとりに歴史があった。

 母親が腹を痛めて産み、愛し、世話をかけ、子供になればいろんな人間と関わり合い、影響しあい、学び、鍛え、騎士になり、だれかの役に立って──そうやって何十年も積み重ねた人生がそれぞれにあったはずなのに。

 指導者はそのすべてを腕をひとふりするだけで冒涜的に破壊した。


 忘れかけていた恐怖を刻み付けるように。

 ああ、そうだ。

 こいつらはこんなにも恐ろしかったのだ。

 

「ヘンリック下がりなさい!!」

「っ! 姫様!」


 エフィーリアが不死鳥を放った。

 燃え盛るつばさで炎の軌跡を残してつっこんでいく。

 

「古い魔術。だがおそろしく未熟」


 指導者は素手で不死鳥を叩きおとす。

 その際に生じる風圧に叩かれ、周囲の肉片遺体ともども俺もふわっと飛ばされる。

 10mほど後退しながら、俺は攻撃をようやく開始する。アンナたちが稼いでくれた時間だ。俺は現在込められる最大の魔力を集約させ──


「お前はさっきからなにしてる」


 気が付けば目前に絶滅指導者が立っていた。

 視界が反転、強烈な痛みが胸部を襲い、俺は絨毯のうえにゴロゴロと転がった。


 口内から血が溢れでる。

 息ができない。

 肺が破れたのか。

 吸っても吸っても痛いばかりだ。

 命がこぼれていく。熱が失われていく。

 アンナはどうなった……エフィーリアは……ヘンリックはどこに……あっ、キサラギ?


 目の前にキサラギが見える。

 刃を握って……戦う気か?


「絶滅指導者。吸血鬼最大の個体と判別しました」

「おかしなやつだ。お前からはなにも感じない。恐怖も、絶望も」


 絶滅指導者は小首をかしげてキサラギを見やる。


「キサラギは恐怖を知っています。兄様を失うことです。それは恐いことです」

「お前はアーカム・アルドレアの血族であるか。ならば壊そう」

「キサラギはすべてを守ってみせます」

 

 

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