伊介天成はもういない



 吸血鬼の特性のひとつに、足音がないことが上げられる。

 それは隠密能力に優れること同義だ。

 訓練された狩人が吸血鬼のステルス性能を保有したらどうなるか。

 それだけで、本業の殺し屋に比類するほどの暗殺能力を獲得するだろう。


 燃える血のようなまなざしだった。

 煌々と輝く紅瞳は、彼女が血の魔術による身体強化を行っている証である。

 コストを払って、本気モードに突入している。この状態の彼女に、荒垣はさきほどボコボコにされかけている。


 アンナ・エースカロリは致命の一撃を握りしめて、深く踏み込んでくる。

 息を呑む荒垣。必殺の間合いに、すでに自分がいることを理解する。


 カトレアの祝福が遥か天空の陽光を反射して、キラリと輝く。


(死んでたまるか)


 刹那の攻防をまえに、荒垣は心を落ち着かせ、次の一撃に賭ける。


「押しつぶせ──サイコウェ」

「遅いよ」


 アンナの冷たい声が、荒垣を言を遮った。

 超能力の発動は叶わない。


 紅い眼光が尾を引いて輝く軌跡を残した。

 一閃。逆袈裟にひとり目の荒垣が斬られる。


 荒垣はなんとか距離を取ろうと、サイコキネシスで自身の身体をひっぱろうとする。


 だが、間に合わない。

 この間合いならアンナの方が遥かに速い。

 斬り返す刃。複製体の首も飛んだ。

 上段からのトドメの剣。

 荒垣の頭部ふたつとも、冷刃でよって両断された。


 1秒を10つに分けて数えるちいさな時間の世界で、アンナは仕事人のように確実に自分の役目を果たした。ふんすっと得意げに鼻を鳴らしている。


 荒垣はぶつ切りになる意識のなかで考える。

 

(ぁぁ、くそ、どうして、わっちは、勘違いを……。三人いたのか……あの暗がりにいたのは……最初から伊介天成アンナではなかった……──ああ、そうか、わかったぞ。わっちがあの暗がりにいるのが女であると勘違いした理由……──)


 どれだけ生物として進化しようとも、それに視線は引き寄せられる。

 暗がりにいたシルエットの諸パーツを、もっと平等に、まったくもってニュートラルな観察眼で見ていたのならば、荒垣シェパードは暗がりにいた人物が、頭に耳を生やしていたり、尻尾を生やしていたり、モフモフしていることに気が付けたはずだ。

 しかし、そうはならなかった。

 なぜなら、おっぱいというパーツは、男にとって視線誘導効果が高すぎるからだ。


 ゆえにこの戦いの結末は一言で片付く。


 敗因:おっぱい


「こいつは氷が効かないのだろう? さあ、はやく封印するわん」


 もふもふした少女カイロが言った。荒垣の知らない第三の戦力だ。


 アーカムが暗がりから出てくる。

 コートを翻し、杖ホルダーから使い捨て用の一等級の杖を握りしめた。


「最後にひとつ教えよう、荒垣」

「ぁぅ、ぁぅ」


 老人は口をぱくぱくさせることしかできない。


「伊介天成はもういない。俺の名はアーカム・アルドレアだ」

「ぅぅ、ぁ……」


 『災害封じの鉄棺アイアンコフィン』は正常に発動し、石棺のなかにカテゴリー5荒垣シェパードは封印されることとなった。

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