厄災、脅威度S、人狼デスタ



 人狼デスタが廊下に足音を響かせて突っ込んでくる。

 アーカムはエレントバッハの小さな肩を抱き寄せて、風を身に纏った。

 トンっと床を蹴り、背後へ倒れるようにして、鋭い爪の大横振りをかわす。

 

 アーカムは床には倒れず、風にすくわれるようにして、スムーズな動作で背後へスライドしていく。滑走のように滑らかな動きだ。


(あれ……意外と……)


 超直感と高度な風操作による機動力があれば、厄災だろうと攻撃を避けることは難しくはなかった。


(見える……)


 アーカムの夜空の瞳の性能は彼の認識を大きく上回っていたのだ。

 

(オブスクーラとの戦いじゃ興奮してて気が付かなかったけど……厄災レベルの動きでも見える。この眼、視力が良いだけじゃない、速さにも対応できる)


 アーカムは杖を振る。


 無詠唱風属性三式魔術。

 今度は距離が近い。

 デスタは避けること出来ず、風をまともに食らって吹き飛ばされ、10m先の壁に叩きつけられた。

 《イルト・ウィンダ》は本来家屋を持ち上げて、空へ放り投げるトルネード級の風魔術だ。


 魔術操作が得意ではない魔術師は、そのままトルネードとしてしか使用できないことも多い。

 だが、アーカムは違う。超能力者として素質レベルでも魔力の操作に長け、幼い頃から修練してきた彼は卓越した操作を行える。

 ゆえに、砲撃のようにトルネードを加工し放つことができる。


 もろに竜巻の砲撃を受けたデスタは、毛を剥がされ、幾つもの切り傷と打撲跡を身に負っていた。


 デスタは傷を急速回復させる。


 人狼は再生能力に秀でた怪物ではない。

 だが、あらかじめ余剰に生命力を溜め込んでおけば、吸血鬼の真似事をすることはできる。もっともそれでも、完治には至らない。


(フローレンスは傷つけさせない、彼女は僕の愛、僕のすべてだ)


 デスタは自分のなかの怪物の血を奮い立たせ、凶暴に叫び、アーカムへ向かっていく。


 だが、当たらない。

 攻撃が当たらない。

 噛みついても、引っ掻いても当たらない。

 

 まるで、水面にぷかぷかと浮かぶ風船を、素手で叩いて割れと言われているくらい、手からスルッと滑るように逃げられてしまう。


(人間なのに、魔術師なのに、こんなに速く動けるのか!)


 実際は違った。

 アーカムは速く動いてはいない。

 彼はただ怪物の猛攻に対して、素直に流されているのだ。

 宙に舞う羽毛を斬ることは、竹を斬るより難しい。


 アーカムは《イルト・ウィンダ》を縫って、適切なタイミングで放った。

 主にデスタの攻撃終わり。それと攻撃はじめに大きく腕をふりかぶった瞬間など。

 彼にはすべて見えていた。人狼の風のような猛攻が。吸血鬼たちに勝るとも劣らない生物として生まれ持った速さが。


 一方のデスタもアーカムの《イルト・ウィンダ》を避けようと思った。

 だが、なぜか避けられなかった。自分よりずっとずっと遅いはずなのに。


 理由の最たるは無詠唱魔術。発動速度が速すぎるのだ。


 もうひとつは前動作がないこと──魔術を使う際の手の動きやクセ──ので、避けられない。

 アーカム自身が意識して矯正してきた結果だ。


 最後のひとつは、アーカムは槍という”点”での攻撃をしなかったこと。

 砲撃という面での攻撃を意図的に選んでいたのだ。

 

 そのため、狭い廊下のなかではどうやってもデスタに《イルト・ウィンダ》を避けることはできなかった。


 アーカムは一撃で相手を殺すことを最初の槍を避けられた時に放棄していたのだ。


(確実にダメージを与える。最後に俺が立っていればそれでいい)


 彼我の戦闘経験の差が、明確に現れていた。

 

 5回目の無詠唱イルト・ウィンダの砲撃を受けて、デスタはとうとう動けなくなった。


 チャップリン分の生命力は使い果たした。

 壁に叩きつけられ、めりこんでしまい、もはや抜け出す元気すらない。


 ここに来てデスタは致命的なことに気がつく。


(そういえば、どうしてあの『守護者ガーディアン』はにならないのだろう。僕の近くにいれば、勝手に人は死んでしまうというのに)


 壁に埋まったデスタの元に、アーカムとエレントバッハが近寄ってくる。

 エレントバッハはアーカムの背後にいた。ずっと。彼のベルトを震える手で握りしめており、片時も離れることはなかった。


 完敗だった。

 誇張なく、デスタはアーカムに指一本触れることすら出来なかった。

 アーカムはエレントバッハという『貴族ノーブル』を片腕に抱きながら、避け、撃ち、戦っていたというのに。


(愛の力、かな……)


 デスタは口からフローレンスを吐きだす。

 

 人狼の姿から人間へと戻りはじめた。

 骨格が変形し、弱々しく、細くなっていき、やがてかの線の細い青年にもどると、壁の穴からポロッと抜け落ちて、赤い絨毯のうえに転がった。


 よく見れば、フローレンスはまだ呼吸をしていた。

 デスタはフローレンスの手を握る。


(ああ、聖なるトニス神よ、どうか、僕と彼女が同じ場所へいけますように)


 デスタは祈りながら、終わる時を安らかに迎えるため、ゆっくりと目を閉じた。


 

 ────


 

 ──アーカムの視点

 

 銀、叩いてくれて助かりましたよっと。

 近づかれたらアウトだからさ、師匠の教えにしたがって、銀を人狼の身体に入れようと思いついたのは、我ながら冴えてた。


 最初に銀食器を潰して作った鏡を叩いてもらったところまでは、おおむね計画通りなんだ。


 だって、狙撃されてイライラしてる状況で、パワータイプが近くにいたら、つい思いきり潰したくなっちゃうもんなぁ。


 人狼の吸魂領域は、ほかの怪物の多くの能力と同じく、銀で切りつければ一定時間無効、銀を怪物の体内に入れることができれば、かなりの時間は無効化できる。数時間、あるいは数日くらい。


 本当はそこまで行くのが大変なんだけど、今回は状況的に上手いこといった。

 人狼が最初に砕いた、曲がり角の鏡。細かく砕けた銀の破片は、おそらく人狼の拳に刺さったのだろう。


 俺は倒れた人狼に近づく。

 彼の手を見れば、キラキラと銀色に輝く破片がたしかにめり込んでいる。


「アルドレア様、近づいても大丈夫ですか?」

「大丈夫です」

「言い切るんですね……」

「僕の勘が大丈夫って言ってます」

「あっ、じゃあ100%大丈夫ですね(確信)」

  

 エレントバッハ氏も俺のことがわかって来てくれたようでおじさんニッコリです。


「アルドレア様、これ……」


 驚きだ。

 このフローレンスとかいう少女、頭に穴を開けたのに、傷口が黒い粘液で塞がってる。


「人狼を飼いならせたメソッドがわかって来ました」

「……知識でしか知らないのですが、この黒いのはもしや闇の魔力なのでは?」

「よくご存知ですね」

「アルドレア様も知っていらっしゃるんですね……いえ、もしかして、闇の魔術師と戦ったことが?」

「多くはないですが」


 思い出したくない記憶だ。


 と、その時、俺の直感が告げてくる。

 

「ふせて」

「え?」


 エレントバッハを押し倒すように、背後からの突き出されるソレをかわす。


 見れば、壁から黒い棒のようなものが突き出ていた。


 なんの変哲もない廊下の壁だ。

 壁が波打っている。

 まるで水面に描かれる波紋のようだ。


 黒い棒はすぐに引っ込み、代わりにゆらぐ壁から黒スーツの男が出てきた。

 

 顔は白く、道化師のようなメイクをしている。

 唇は黒く、三日月のように裂けた口元から白い歯をのぞかせ、邪悪を称えていた。


「びっくりしましたねぇ〜、なんで避けれるんでしょうかぁ〜。我輩に気配なんてあるわけがないのにぃ〜」


 どちら様でしょうか。

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