アーカムに関する考察


 アーカムは1日の多くを安楽椅子に座って過ごす。

 本人は基本的にずっと森を見つめているだけだ。


 瞬きはする。

 呼吸もしてる。

 本能的に必要なことは出来る。


 カティヤからいろいろ話を聞いていた。

 アーカムに関して驚くべきことが発覚した。


「アーカムは食べない?」

「何も食べないのだ。この1年間ほとんど食べていない」


 ありえるのだろうか。

 いや、ありえるわけがない。生物なんだから。


 話によれば、少しだけ水を飲むことはあるらしい。

 ただ、量から考えて生命活動を維持するための水ではないようだ。

 カティヤいわく「水を飲む感覚を求めてる」とのこと。


 アーカムは本来は外界から何も摂取する必要がないのかもしれない。

 でも、以前は普通にご飯を食べていた。

 この変化は……あるいは進化は、いったいなんなのだろうか。


「眠る必要もないようなのだ」


 アーカムは1日中テラスで、ボーっとしているらしい。

 飽きもせず、ずっとだ。


 どこかのタイミングで居眠りしているのかもしれないが、カティヤいわく見張りをつけて数日間監視した結果、寝ているそぶりを全く見せなかったという。


 ここでひとつの仮説があたしのなかに登場することになる。


 アーカム、人間ではない説。

 ありえる。大いにありえる。

 彼の剣気圧はおかしいほど強い。

 かといって常時展開できるわけじゃない。

 魔術の才能も信じられない領域だと先生はいっていた。

 どれか一つの属性を二式まで高めたのなら、魔術師としては大成していると言われるらしいのだが、アーカムはバンザイデスにやってきた10歳の時点で風属性と水属性、火属性の3つの分野で三式までたどり着いていた。

 おかしい。

 人類史上最高の天才といえば人聞きはよいかもしれないが、その正体が人間じゃないと考えたほうが納得できる天才っぷりだ。


 食を必要とせず、睡眠も必要としない。

 人間の原始的な三大欲求を克服した、まったく新しい生命体なのいかもしれない。

 たまたま、ヒトの形をしているだけで、その本質はまるで違う──のかもしれない。


 思い返せば、彼には性欲というものがまったくなかった。

 あたしは美形の自覚はある。

 最近は騎士団の若い騎士に声をかけられることも増えて来た。

 それなりにアーカムのことを意識して、身なりも整えているつもりだ。

 

 なのに、我が相棒のミスター・朴念仁はあたしに一度も手をだしてこなかった。

 3年間だ。3年間、同じ部屋で過ごしたのに、夜這いのひとつもしてきやしない。

 正直、ちょっと待っていた。

 それは認めよう。

 アーカムが外出しているあいだに、無防備な下着姿でアーカムのベッドにもぐりこんで、匂いを胸いっぱいに摂取し、そのまま寝たたふりをしたこともあった。

 あれは天才的な作戦だなと思った。

 アーカムがあたしを起こすのを遠慮したら、彼はあたしのベッドで眠るだろうし、あたしを起こすのを遠慮しなければ、下着姿について言及しない訳にはいかないのだから。


 ただ、アーカムは想像の斜め上をいった。

 彼は床で寝たのだ。


 ちょっと殴りたくなった。

 声かけろよ、と。来いよ、と。

 ちょっとだけ魔がさして触れ、と。

 すこしくらいイタズラしろ、と。


 あたしに魅力がないのか、と不安になった夜であった。

 あるいはただ単にアーカムが、ビンテージ級の意気地なしなのかと思ったが……そうではなかったのだろう。

 

 今ならわかる。

 アーカムには性欲がないのだ。

 食欲、睡眠欲と同様に必要としていないのだ。

 だから、あたしの無防備を利用して、いやらしいこともせず、紳士でありつづけられるのだろう。


 こうなってくると股間にモノがついているのかも疑わしい。

 

「アーカムにはついているの?」

「え?」

「いや、だから……」

「……。ああ、まあ、ついているぞ」


 カティヤは頬を染めながら答えてくれた。

 察しが良くて助かる。

 介護をする最中、服を着替えさせる必要もある。

 知っていておかしなことではない。

 

「アーカムは良くも悪くも世話がかからない。だから、そなたもかやつを見捨てずに面倒を見てくれると助かるのだ」


 というわけで、アーカムの世話をすることになった。

 ある意味、自分の中だけで完結したのように見える彼には、なんの手助けも必要ないのかもしれない。

 とはいえ、筋肉が固まらないようマッサージをしたり、たまに水を飲ませてあげたり、里のなかを一緒に散歩したり、あたしにできることは何でもするようにした。


「アーカム、どうやって絶滅指導者を倒したか覚えてる?」


 もちろん、なにも答えてくれない。

 でも、あたしは話しかけ続けた。



 ────



 1カ月が経つ頃。

 水面に映る自分の顔が痩せていることに気がついた。

 今までこんなゆったりした時間をすごしたことがなかった。

 あたしは待つのが苦手なのだろう。

 14歳の若輩にゴールの見えない待機時間は、あまりにも遅い。

 あたしはもっとずっと速い時間を生きて来たんだから。

 

「なにか新しいことをはじめたほうがいいぞ。限界が近いように見える」

「……。それじゃあ、あんたたちに剣を教えてあげるよ」


 アーカムに割く時間を数時間ばかり、剣術の訓練にあてた。

 生徒はジュブウバリの女戦士たちだ。

 あたしも剣を振らせてもらった。


「アンナ先生! わたしの剣を使ってください……っ!」


 剣の腕を認められたのか、武器をプレゼントされた。

 使い慣れた長剣ではない。

 厚い刃のナタみたいな剣だ。

 扱いにくいけど、無いよりはマシだろう。

 

「すごいのだな、アンナは……まったく勝てる気がしないぞ」


 カティヤにも稽古をつけるようになった。

 彼女はセンスがいい。

 ただ、すべての技術が独学の技だ。

 

「正しい剣のふりかた、体の使い方を学ぶ必要があるよ。あんたはセンスがすごくいい。だけど、人類が長い時間かけて積みあげた理屈を体に覚えさせないと、現代の戦闘にはまるでついていけないよ」


 彼女は狭い世界で生きている。

 この世界の中だとカティヤは最強だ。

 でも、彼女はそこで満足してない。

 その先に行く意志がある。

 

「我はそなたに負けた。闇の魔術師たちを前にして、自分の未熟さも知った。この通りだ、何も失わないためにそなたの技を教えてくれ」

「いいよ。ちゃんと付いてきて」


 なんでもありの超実践剣術たる狩人流は、カティヤとすこぶる相性がよかった。

 というか、アマゾーナの戦士たちと相性がよかった。


 ────

 

 2カ月が経とうとしていた。

 アーカムの意識は戻ってこない。


「アーカム……何か、答えてよ」


 手を強く握りしめる。

 彼の手が壊れるくらい。

 だけど、何の反応もない。

 膝にかけたブランケットのうえに、力なく置かれているだけだ。


 もうだめかもしれない。

 

「あたしは青いな……まだ2カ月しか経ってないのに……」


 毎日、逃げ出したくなる。

 1秒後に、背を向けて走り出さないよう耐え続ける。

 それが、何時間も、何日も続いていた。


 お願いです。

 アーカムを返してください。



 ────


 

 3カ月が経とうとしていた。


 心のどこかで諦めながらも、あたしは里にとどまり続けた。

 長く耐える秘訣は、それを直視し続けないことだ。


 なので、剣に没頭することにした。


 アマゾーナの独特な戦闘方法から、あたしも学ぶ日々だ。

 カティヤは一日中、武器をぶんぶん振り回している。

 めきめき強くなっていくのがわかる。


 里の者たちの言葉をちょっとずつ練習した。

 最近は、多少交流ができるようになってきた。

 子供たちはよくアーカムとあたしのところに遊びに来る。

 

 子供たちは無邪気にアーカムの膝に乗ったりする。

 だけど、アーカムは森を見つめたままだ。



 ────



 6カ月が経つ。


「アーカムを置いていくのか」


 カティヤは寂しそうな声で言った。

 

「あたしはあたしが思うほど強くなかったんだよ」


 自分だけが取り残された世界。

 アーカムはもう二度と正気を取り戻さない。

 そんな嫌な想像が一日中なにをしていても脳裏をよぎる。


 そこへ加えて、カティヤの才能と戦闘勘のすばらしさに舌を巻き、いつしかあたしは追いつかれる恐怖を覚えるようになっていた。


 あたしは立ち止まったままなのに。

 あたしだけ止まった時間に捕らわれているのに。

 なぜあんただけ、そんな駒を連続で前進させることが許されるの?

 そんな意地悪で、みみっちいことも考えてしまう。嫌な性格だ。


 せめて何かひとつくらい良い事があっても罰はあたらない。

 

「アーカム、何か言ってよ」


 強く手を握る。

 夜空の瞳は森の奥をだまって見つめている。

 もう限界だ。


「……。あ」


 その時だった。

 アーカムの手に力がこもった気がした。

 

 もう一度、握ってみる。

 気をぬけば見落としてしまいそうになるほどの微力だ。

 けれど、確かに握りかえしてくる。

 

「そなたにはまだやるべきことがたくさんあるのだろうな。無理に引き留めはしない。あとのことは我とジュブウバリに任せるといい」

「……もうちょっと、頑張ってみようかな」

「っ、そうか! それはよかった。気が変わったのだな。皆も喜ぶ、そなたのような優しい娘は皆大好きだからな」


 何度か求婚されるくらいには女の子たちにモテている気がする。

 じゃなくて、アーカムだ。

 彼が反応を示してくれているのだ。

 これは快復へ向かっている兆しなのだろうか。


 希望が芽生えると、未熟なあたしでもまだ頑張ろうと思えた。

 

 それからの日々は、すこしだけ楽しかった。

 依然として、なにかを喋ってくれるわけではない。

 だが、手を握れば、ちゃんと反応がかえってくる。

 そんなことだけですべてが救われたような気させした。

 

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