英雄の話


 1年前?

 1年ってなに?


「おかしなこと言わないで。あたしとアーカムはついさっきまで、絶滅指導者と戦ってたんだよ?」

 

 アーカムのそばにしゃがみこみ、そっと手を握る。


「アーカム? 聞こえないの? 何があったのか教えてよ」


 目の前にいるのに、そこにはいない。

 彼の視線はずっと森の奥を見つめている。

 手を握っても、まるで力が入っていない。

 覇気のない顔だ。

 これがあのアーカムだなんて、まるで信じられなかった。

 人が変わってしまったかのようだ。


「この目……」

 

 アーカムの瞳が″変わっている″ことに気がついた。

 以前は、薄紅色だったが、今は深い青紫色をしている。

 瞳の奥を見つめれば、吸い込まれてしまいそうな不思議な魅力があった。

 夜空を切り取ったかのような見た目をしている。

 よく見れば、輝く星々が瞳の闇を漂っていた。


 端的に言って、この世の物とは思えないほどに恐ろしく綺麗だ。

 しかし、それゆえに、人間が手にしてはいけない禁忌的な物という気がしてならない。

 

「いつからこの目に?」

「目? 会った時からそうであったが」


 そんなはずない。

 何かが原因で……。


「何が起こったの?」

「話せば長くなるぞ」

「構わないよ、全部を知らないと。あたしは彼の仲間だから」


 カティヤは一晩かけて多くを語ってくれた。

 

 魔術師さまと呼ばれる黒い獣人がいたこと。

 その獣人がアーカムを森の奥で見つけたこと。

 アーカムが当時、人とは思えない醜く憐れな姿をしていたこと。


「全身が腐敗していたんだ。黒く、溶け、あるいは焼けていたのかもしれない。肉がすべて霞となって抜けてしまったかのように細く、息はほとんどなかった。ただ、短く、か細い呼吸を繰り返していただけで、もうどうやっても助からない命であることは明白だった」


 なにそれ……そんな、ことが……。

 絶滅指導者を追い詰めていたあの姿。

 アーカムの剣気圧だと思った。

 もちろん、普段よりもずいぶんお激しい鎧圧の波動だと思った。

 

 あの時のアーカムは光と稲妻に包まれていた。

 青い炎のようにも見えた。

 あの炎は……もしかしたら、自分の命を燃やしていたのかもしれない。


 最初はアーカムが奥の手を使ったのだと思った。

 だが、違ったのだ──


 あたしの血脈開放には大きな反動がある。

 これから長い期間に渡ってあたしの再生能力は低下したままだろう。

 それが人間を越えたチカラをひきだす代償だ。

 能力の不能は、数週間、数ヶ月、もしかしたら数年つづくかもしれない。


 それじゃあ、アーカムの剣気圧は?

 絶滅指導者を追い詰めるほどの力の代償は?


 数ヶ月? 数年? あるいは数十年?

 800年間、数十数百の傑物・英雄たちが立ち向かっても、誰も倒せなかった絶望を殺す力。

 それをひとりの人間が払い切れる?


 ……。

 アーカムは代償を払ったのだ。

 決してこの好機を逃すまいと。

 絶滅指導者を倒すために自分を犠牲にした。

 

 尋常ではありえない。

 常人には決してなせない覚悟で戦った。


「魔術師さまがアーカムを今の姿まで繋ぎ直した。何日も何日もかけて、ずっと魔術工房にこもっていた。どうやったのかはわからないが、アーカムは人間の姿となり、意識をも取り戻した。あの腐敗した黒い塊が、こうも精悍な色男になるものかと、驚いたものだ」


 カティヤは古い日々懐かしむように言った。

 その瞳が悲しそうなのを見逃さない。

 彼女にとって、アーカムという少年は特別だったのかもしれない。


「その魔術師さまには感謝しないとだね」


 あんたラッキーだったね、アーカム。

 腕のいい魔術師のおかげで人間に戻れたんだよ。

 

「それからは我が面倒を見た。アーカムは大変に器用な男でな、すぐにアマゾーナの言葉を覚えて、里の者に溶け込んでいった。おぬしとテニールとかいう老人のことも探していた」


 アーカムは顔がとてもいい。

 性格は謙虚で、能力は謙虚じゃない。

 女戦士たちも、子供たちもみんなアーカムのことを気に入っていたという。


 だろうな、とあたしは思った。

 だってカッコイイからね。


「一度は復活したアーカムがなぜこうなってしまったのか語るには、この里の敵について話す必要がある」

「里の敵?」


 ジュブウバリ族の里には、すこし前から失踪者が出るようになっていたという。

 最初はジュブウバリの美しい女を狙った外人の組織的な誘拐かと思っていたようだ。

 だが、事態は失踪者が″変わり果てた姿″で森の奥から帰ってきたことで急展開する。


 失踪した者たちは、黒い触手を生やし、剛腕をそなえた黒い怪物となって帰ってくるのだ。

 ジュブウバリ族はこの怪物を『闇憑き』と呼んでいるらしい。


 あたしがさっき襲われたのは、死から蘇ったせいで、闇の魔術の使い手だと思われたからだそうだ。


 犯人の居場所は長らく不明だったが、アーカムが戦線に協力したことで、事態は好転した。

 ジュブウバリ族とアーカムは犯人のひとりを捕縛して、尋問することに成功したらしい。


「アーカムは闇の魔術師と言っておった。奴らはジュブウバリの戦士を捕らえて、怪物に改造し、里へ戻して、その威力を実験していたんだ」


 闇の魔術師。

 人類のなかでも厄介な狂人たちだ。

 禁忌と闇の魔力に傾倒して、不幸と悲劇を撒き散らす。

 闇の魔力は強力で、強力な『闇の魔術』を使えるようになるらしい。

 優秀な魔術師ほど闇の力に傾倒しやすい。

 

「アーカムのおかげで拠点を突き止め、アーカムの作戦で襲撃をかけ、あと一歩のところまで追い詰めたのだ。しかし、逃してしまった。闇の魔術師は強い。闇憑きも日を追うごとに手が負えないほどに進化をしていた」


 でも、アーカムが負けるなんて思えない。

 絶滅指導者を倒した最高で最強の相棒だ。

 彼ならはるか格上相手でも、どんな絶望的な状況でも勝利を掴み取れる。

 生死のかかった戦いにおいて、アーカムは本当の力を発揮する。

 彼が負けるわけがない。


「すべて我のせいなのだ。アーカムにはいくつかの呪縛が掛けられていた。魔術師さまが彼に無理をさせないために施しただ。我は魔術師さまから呪縛を解くための魔法の巻物スクロールを渡されていた。それがあれば、アーカムは圧の力を開放して、五体満足に戦えたかもしれない。……だが、我はアーカムの呪縛を解放しなかった。次に魔力を使えば、アーカムが、我を救ってくれた男が、この里を救ってくれた英雄が、本当に死んでしまうと思ったのだ」

「それじゃあ、アーカムは闇の魔術師になんらかの魔法をかけられて……こんな風に?」

「いいや、違う」


 カティヤは涙を拭いながら、アーカムの懐に手を入れると杖を手に取った。

 トネリッコの杖。アーカムのものだ。


「圧を使えない剣術での戦いに限界を感じたのだろう、アーカムは強靭な闇憑きに苦戦を強いられていたのだ。だから我らを逃すために嵐を呼んだ。コレを一振りするだけで決着はついた。闇憑きを打ち砕き、闇の魔術師たちを全滅させ、敵の首魁をも追い払った。だが、結果として彼は正気を失ってしまったのだ」


 以来、起きてるのか寝ているのか、判然としない状態になったという。


 たくさん話を聞かせてもらったあとで、思ったことは、彼はまた誰かを助けて、傷ついたということだ。


 絶滅指導者との戦いをまだ克明に覚えている。

 最後の瞬間、あの絶望の怪物は、超弩級の血の奥義を使った。

 先生が血界侵略と呼んでいた魔術だと思う。

 あれのせいできっと、あたしとアーカムと先生は異次元に迷いこんだのだろう。

 アーカムは一足先にこの地にたどり着いた。

 そして、あたしが異次元を漂っている間に、ひとりで勝手に英雄になって、勝手にみんなを救って、そして壊れてしまった。


「お疲れ様、あんたは頑張ったんだね、アーカム」


 悔しい。

 その時、一緒にいれなかったことが。

 苦しんでいる時、支えることが出来なかった。


 アーカム、あたしはまだ、絶滅指導者との戦いすら非日常すぎて夢のようなのに……あんたひとりだけ先に行っちゃったんだ。


 綺麗な瞳を見つめる。

 夜空みたいな瞳。


「あーあ、いいな、その目。その目、あたしも欲しいよ。どうやって手に入れるのか教えてもらわないとだね。その口から入手経路聞き出すまで諦めないから。覚悟しておいて」

「アンナ、そなたはこれからどうするつもりだ。見ての通り、アーカムはもう……」

「もちろん、アーカムのそばにいるよ。あたしが1年遅れたみたいに、1年後には、ひょっこり灰色の老人が現れるかもしれない」


 確証なんてない。

 先生はもうとっくにどこかに漂着して、行動を開始してるかもしれない。

 だから、これは言い訳だ,


 相棒、絶望を滅ぼしてくれてありがとう。

 今度はあたしがあんたを助けるよ。

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