澱みからすくいあげる


 痛い、痛い痛い、痛い痛い痛い痛い痛い!

 永遠に続く。永遠に裂け続ける。焼ける。

 狂う狂う狂う狂う狂う狂う、おかしくなる。

 地獄だ、悪夢だ、俺を、殺してくれ、頼む。


 ─────

 ────

 ───

 ──

 ─


 いつしか混沌は息を潜めていた。

 今痛くない。苦しくない。

 俺は深い深い海の底に捕らえられている。

 どこまでも闇は続いている。

 ここはどこだろう。

 俺は何をしていたのだったか。

 ああ、そうだ。

 絶滅指導者。

 卑怯者のあいつをどうにかしたくて……それで、どうなった?


 思い出した。

 深淵の瞳に見つめられたのだ。

 俺は納得した。

 納得してこの様になったはずだ。

 

 どんな代償を払ってもいい。

 絶滅指導者を殺せる力が欲しい。

 深淵は応えてくれた。


 そうか……俺はもう、二度と戻れない。

 でも、仕方のないことだ。

 すべては約定のうえに為された。

 物事の辻褄は合わせなければならない。

 天秤の左右の均衡はどこかで整えられなければならない。


 今度は俺が払う番なだけだ。


 ───こんなところまで来てしまったのですね、アーカム。


 え?


 聞き覚えのある声が聞こえた。

 長く、細い、霧のような手が頬に触れてくる。

 それは耳元で優しくささやくと俺の手をひっぱって一気に浮上しはじめた。


 誰かが俺を助けようとしてる?

 やがて光が見えてきた。


「そこにいつまでもいては行けませんよ。暗黒に飲み込まれてしまいますから」


 鉛のように重たい瞼を持ちあげる。


 黒い尻尾と耳が見えた。

 儚くも美しい青い瞳と目があう。

 が、すぐに視界を閉ざされる。

 白い手が俺の目元を押さえたのだ。

 柔らかい手だ。温かくて、懐かしい匂いがする。

 途端、息が苦しくなった。

 気道が締め付けられるこの感じは──


「ようやくひとつ返せましたね」


 クスリと微笑む息遣い。

 気配が遠くなっていく。


 のったり、ゆったり、もう一度目を開ける。

 美しい彼女の背中が、離れていくのが見えた。

 

 切り揃えられ整えられた尻尾を、右へフリフリ、左へフリフリ──そうして彼女は部屋を出ていった。



 ────


 

 蒸し暑い。

 背中に汗をぐっしょりかいて、目が覚めた。

 懐かしい感じを覚えながら、うっすら目を開ける。

 瞬間、瞼の裏に黒い尻尾がチラついた。


「ゲンゼッ!」


 手を伸ばした。

 俺の手は空を掴むだけだ。

 もうそこには何もいない。


「動いてはいけない。魔力も使ってはいけない。それが、魔術師さまが言っていたことだ」


 綺麗な声、凛々しい声が聞こえた。


 目を向ければ、藍色の髪の少女がかたわらにいた。

 美しい少女だ。金色の瞳をしていて、大きく露出した褐色の肌には、魔性の魅惑が宿っているように見えた。

 あたりを見渡す。

 温かみというより野性味のある木の目立つ部屋だった。

 ガラスの入ってない窓の外を見やれば、うっそうと生い茂った豊かな緑が視界いっぱいに広がった。


「ここは……? ゲンゼは? ゲンゼディーフがここにいただろ!?」


 少女のちいさな肩を揺らす。

 が、片手でベットに押し戻された。

 身体にまったく力が入らない。

 力を入れようとすると、痛みが走る。


「無理に動こうとしないよう、魔術師さまが行動阻害の呪縛の種をほどこしたんだ」

「なんでこんなことを……」

「黙って寝ていろ。それが魔術師さまの言いつけだ。アーカム・アルドレア、そなたをこの里にかくまってやるのは、すべて魔術師さまの知人であるからだぞ。あまり出過ぎた真似をすれば、容赦はしない」


 何の話してるんだよ。

 ゲンゼは、ゲンゼはどこに?

 いや、というか、ここどこだよ。

 そもそも、絶滅指導者は? 倒したのか? バンザイデスの町はどうなった?

 アンナは無事なのか? 師匠の怪我はどうした?


「我の名はカティヤ。何かあれば名を呼べ。その時はなんなりと手助けしてやる。ただ、回復したら出て行ってもらう。そのつもりでいろ」


 少女──カティヤは口早にそう告げると行ってしまった。


 この不思議な場所での時間がはじまった。

 歩こうとすれば、5歩と進まないうちに倒れてしまう。

 体が粘土で出来ているみたいに脆弱になっている。

 どこかへ行くのも、部屋からでるのも不可能だった。

 彼女は俺に朝、昼、晩と飯を運んできてくれた。

 見たことない食事ばかりだったが、見た目とは裏腹に美味い飯ばかりだった。


 ベッドで寝ていろ。

 魔力は使うな。

 可能なら指一本動かすな。

 

 カティヤは口を酸っぱくして何度も何度も俺に告げて来た。


「魔術師さまは、そなたが大変に、大変に、それはもう大変に危険な状態にあり、奇跡のバランスのうえにいると言っていた。死んでいてもおかしくなかったとも。だから、アーカム、ただ今は安静にするのだ」


 数日が経った。

 カティヤは俺に何もさせてくれない。

 

 出歩くことも、情報を開示することもしない。

 これでは軟禁だ。

 俺はいますぐにでもやらなくてはいけないことがたくさんあるのに。

 

 アンナ、師匠、絶滅指導者、なんでこんなところに俺はいる? どうやって来た?


 そして、なによりもゲンゼがここにいる。

 ここにゲンゼはいるはずなのだ。

 黙って寝ているなんて出来るか。


 俺はベッドをこっそりぬけだし、行動を開始した。

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