永遠の終わり


 世界の法則が歪む。

 重力がねじまがり、光の屈折が正しく行われなくなる。

 濃厚な青紫の剣気圧はどす黒くなっていく。


 直後、すべての緊張が解き放たれた。

 正確に言えば、すべての異常は刹那の出来事であった。

 狩人が指を鳴らした直後──彼の背後から稲妻が駆けるように、白い亀裂が入ったのだ。

 血界にヒビがはいった。

 直感的にクトゥルファーンはわかった。

 自分の編み上げた血の術式が、乱雑に崩され、意味喪失して、世界を維持できなくなっていく。


 サイコキネシスの直撃を受けた巨人は跡形もなく消し飛んでいた。

 余波で血は蒸発し、怪鳥は自ら進んで死を選び、寿命を最短で消費して老衰で死んでいく。


 彼が死ねと言うなら、生きている事がおこがましい。先んじて死ぬのが、進化の最終形態たる究極生命体への礼儀作法である。


 すべてが砕け、崩壊していく。

 血の源泉が干上がっていく。

 術者の思惑とは関係なく、血の魔術の奥義『血界侵略』は解除されつつある。


 すべてが初めてのこと。

 絶滅指導者をしてこんな出来事は初めてだった。


 クトゥルファーンは空を飛びながら、その超常的な出来事に開いた口がふさがらなかった。


 私の血界をやつは破壊したのか?

 あの黒い魔力……闇の魔力、いや、違う、本質的には純魔力だったはず。

 恐ろしく高密度で運用された結果、あのような色になったのか?


 なんて人間だ。

 何を間違えればこんなデタラメの存在が世界に誕生するのだ。


「……ありえない、ありえない」


 クトゥルファーンは茫然とつぶやき、いち早く血界から逃げ出そうとする。

 現実を受け入れることなんて出来ない。

 だが、死ぬのはもっと出来ない相談だ。


「私は永遠を生きる……王とともに、無限の世を睥睨する選ばれし存在だ……こんなところで、終われるわけがない……」

 

 死にたくない、死にたくない、死にたくない。

 死にたくない、死にたくない、死にたくない。

 死にたくない、死にたくない、死にたくない。

 死にたくない、死にたくない、死にたくない。

 死にたくない、死にたくない、死にたくない。

 死にたくない、死にたくない、死にたくない。

 死にたくない、死にたくない、死にたくない。

 死にたくない、死にたくない、死にたくない。


 魂が抜け落ちたかのような顔でふりかえる。

 壊れいく自分の血界。

 この血の奥義を手に入れるのに400年かかった。

 

 世界の破片が、煌めきを放ち、ハラハラと降るなかに、ヤツは立っている。

 指を鳴らすだけで世界を破壊した。


 超人アーカム・アルドレア。

 遠目から見ても、その身をつつむ剣気圧は尋常ではない。異常。異常そのものだ。

 あるいは、あれは剣気圧などですらないのかもしれない。魔力がおりかさなり多重構造をとっているだけなのかもしれない。


 理屈なんて推測もできない。

 明らかなのは、絶滅指導者の赫糸術ですら傷一つつきやしないこと。

 おそらく人類史を紐解いても、あれほどの戦士は見つからないだろう。


 認めてやる、狩人。

 今はお前が強い。最強だ。

 おそらく、指導者の誰であろうと──血の王にすら手を届かせるかもしれない。

 

 だが、その力は本来はお前のものではない。

 それだけはわかる。

 おおきな代償を払ってようやくの境地に違いない。

 そうであってくれて本当によかった。

 でなければ、厄災より厄災じみた人間におびえて生きなければいけないところだった。


 次に会った時は、迷わず殺そう。

 絶対に殺そう。

 我々は永遠を生きる存在。

 障害はすべて排除する。

 ほかの指導者全員を動員して、確実に危険の芽を摘むのだ。


 血界と外界をつなぐ白い亀裂に手をかける。

 さあ、帰ろう、再び人のいない地へ。

 

「逃げるなよ」

「っ」


 血界の亀裂から抜け出そうとした瞬間。

 いつの間にか、血界の外へ移動していたアーカムに行く手を塞がれていた。クトゥルファーンは息を呑み、すぐに引きかえそうとする。

 だが、腕がズズっと伸びて、その顔面をつかみ、血界からひきずりだしてしまった。


 惨劇に燃える町へ戻ってくる。

 しんしんと降る雪と静寂はとうに失われた。


 クトゥルファーンは雪道に放り出された。

 血界侵略と血脈開放。

 奥義を2つも使い、消耗が激しい。

 さらに言えば、血界の術式を正式な手順で解除できず、強引に破られたことも痛い。

 クトゥルファーンの思考リソースの多くは、煩雑に散らかされた式のせいで、血の魔術すらろくに使えない状態に陥っていた。

 あまりにも大きな隙だ。


「死んでたまるか……! ここで終わってなるものか!」


 焦燥感に駆られた声。

 アーカムは瞬間的に肉薄して、クトゥルファーンの首根っこをつかむと、勢いよく貫手を胸部へと見舞いした。

 正確に突かれ、左胸に穴が空いた。

 心臓がひとつ破壊される。


 クトゥルファーンは殴打で引きはがそうとする。アーカムは軽く首をふって避けると、残りの心臓をつぎつぎと破壊していった。

 

「やめろ、やめろ、やめろ、、やめろやめろやめろやめろ……ッ」


 残りひとつとなった時、黒爪がアーカムの頬を傷つけた。


 当たった? 攻撃が通った? なぜ?


 疑問に思うのは攻撃した側のクトゥルファーンの方だった。


 アーカムはドサっと雪に膝をついた。

 顔を見れば、蒼白になっており、玉のような冷汗をかいていた。

 目と鼻、口と耳からは、鼓動にあわせてドクドクと真っ赤な血が漏れ出ている。


 どうやらこの狩人は限界を迎えたらしい。

 あるいはもっと前から限界を迎えていたのか。

 気力でトドメを刺そうとしていただけに違いない。

 

 耐えた!!

 私は耐えた!!!

 当たり前だ、なんの代償もなしにこの絶滅指導者を追い詰めることができるわけがない!!


 クトゥルファーンは生の喜びを心の底か噛み締めた。

 

「は、はは……ははは、生き残った……生き残ったんだ……私は──」


 ああ、しかし、はやく逃げなければ。

 狩人協会が来てしまうかもしれない。

 

「礼を言うぞ、これほどの緊張感、死のスリル、はじめてだった」


 アーカムは充血した瞳で見上げる。

 クトゥルファーンは全力の拳で殴りつける。

 轟音が鳴った。怪物の拳は空を切っていた。

 アーカムは寸前のところでかわし、怪物の顎にフックをいれる。


「あ、が、」


 ふらつくクトゥルファーン。

 アーカムは倒れ込むように抱き着いた。

 どこへも逃がさない。

 瞳は虚で、もはや意識はない。

 執念だけで目の前の敵を逃すまいと言うのだ。

 

「無駄な、ことを。死に損ない、めが」


 肘でアーカムの背中を打ち、地面に這いつくばらせた。

 踏みつぶして終わりにしてやる。

 そう思い、一呼吸いれた。

 グサリ。

 銀の刃が背後からクトゥルファーンを貫いた。

 

「外した……もう、手柄、横取りできると、思ったのに……」


 アンナが銀の剣で刺したのだ。

 

「この死にぞこないの虫けらが」


 腹立たしい奴らだ。

 

「先にお前を殺してやる、血の模倣者」


 拳をふりあげる。

 殴ればそれで終わりだ。

 グサリ。

 また刺された。

 だが、アンナではない。

 

「は?」

「はぁ、はぁ、はぁ、私の方は、正解だねぇ……」


 テニールの銀の剣は心臓を貫いていた。

 すなわち指導者の最後の心臓である。


「嘘だ」


 クトゥルファーンの顔からみるみる血の気がひいていく。

 怪物はもがいて抜け出そうとする。

 だが、力がまったく入らなかった。

 銀の波動が心臓から徐々に肉体へ広がっていく。

 遥かなる時を生きた不死身の肉体に、蒼い亀裂が入り、冷たい炎が体を滅ぼしはじめた。


「嘘だ、嘘だ、私が、こんな虫けらどもに……2,000年を生きた私が、王とともに永遠の存在であり続けた、このクトゥルファーンが、こんなところで滅びるなど……」

「どうだい、絶滅指導者、終わる気分は……」


 テニールはちいさな声でたずねる。

 血の気がなく、寒さに震え、唇は青い。

 だが、歴戦の戦士の瞳は、敵が死に絶えるまで決して光を失うことはなく、鋭い殺意の灯火を保ちつづけている。


 クトゥルファーンは悟る。


 この老ぼれはどうやっても私を殺す。

 掴んだ勝機は離さない。

 それがかつて血脈の断絶者と呼ばれた狩人の意地なのだろう。

 

「ぁぁ、これが終わりか……永遠の終着点……まるで悪夢のようだ……」

「それはよかった」


 クトゥルファーンは死のその瞬間、アーカムを見下ろした。

 お前さえ、お前さえ、いなければ……。


「滅びる前に、せめて貴様らだけでも……」


 血界の術式を整理し終える。

 そして、再び、ありったけの混沌の魔力をこめた。

 2,000年ともにあった魂の魔術。

 これが最後だ。これでおしまいだ。

 だから、すべてを使い切る。


「っ、なにをする気だい、絶滅指導者……!」


 テニールは銀の剣をひねり、肉をえぐり、すぐ殺そうとする。

 だが、指導者の意地は砕けない。


「往生際が悪いよ、あんたは負けた。諦めなよ」

「このクトゥルファーンは、ただでは、滅ばない……血界、侵略開始」


 直後、不完全な異次元がバンザイデスの一角を飲みこんだ。

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