父親


 生まれた時から特別だと思っていた。

 自分のはじめての子供だったからというのもある。


 死産を経て、奇跡的に復活した。

 ありえない生誕の仕方を見て、おおきな運命が動き出すのを悟った。

 父親として崇拝にも近い誇らしい気持ちになれた。


 アーカム、奇跡の子。

 俺は何度もそう言った。

 妻にも呆れられるくらいに。


 何かがおかしいと思い始めたのは、生まれてすぐだった。

 アークは泣かないのだ。まったく。

 もしかしたら一度も泣いたことがないかもしれない。

 思えば、産まれた時は死んでいて、産声をあげなかった。

 気がついたら、生き返っていた。もちろん、産声はあげなかった。


 毎日、揺りカゴのなかで難しい顔をしていた。

 まるで、考えごとをしているみたいだった。

 自分の目の届く範囲から、あらゆる情報を手に入れ、理解しようと咀嚼そしゃくしているようにも見えた。

 俺が学者なために考えすぎていると思った。

 実際、妻には笑われてしまった。


 ある日、魔法を見せて欲しいとお願いされた。

 まだ、1歳にもなっていなかったので戸惑ったものだ。


 俺が風属性一式魔術をつかうと、アークはまたあの難しい顔をした。

 眉間にしわの寄った考える者の顔だ。

 俺はアークが魔術に興味を持ったのだと確信した。

 1歳の誕生日にはきっと杖を贈ろう思いいたった。

 アークは風の魔力をあやつる適性があるとわかっていたしな。


 しばらくして、思い直してみると、1歳の幼児に魔法の杖を与えるというありえない事をしようとしていることに気がついた。

 杖は生活を豊かにする道具にもなれば、人を助けるチカラにもなる。

 だが、使い方を違えれば、時に人を傷つける。

 

 本来、アークに贈る予定だった杖は、いつかのために大事にしまっておくことにした。

 代わりに組み立て式の杖を贈ることで、天才たる我が子へなにか贈りたいという気持ちと折り合いをつけることにしたのだ。

 

 村に来ていた行商人から、良い魔導書も買えた。

 アークの最初の一冊にふさわしい内容だった。


 アークは多くの時間を庭を観察してすごす。

 そして、あらゆる物に興味をもつ。

 すべての物の名前と用途を訊いてくる。


 あれはなんて言うんですか? それはなんという名前ですか?

 その道具は何に使うんですか? なにをしてるんですか?


 万物への興味をいだく姿勢は、勤勉な学者のようであった。

 子供のころからこれほどに知的好奇心が高いと、将来が楽しみだった。

 

 アークは敷地の外へ出たがらない。

 どうにも外は危険な世界と思っているらしい。

 3歳で個室を求めたり、といろいろ変わっている。

 我が子ながら不思議だとは思う。

 けど、妻と相談して、そのすべてを尊重することにした。


 アークはとてもさとい子だ。

 同年代の子供たちとあそんで友達をつくってほしいとも思うが、同時にほかの子供たちにアークを理解できるだろうか、という不安もある。


 賢いアークのことだ。

 きっと、自分が天才に産まれた自覚もあるのかもしれない。

 そして、まわりの人間と自分とは決定的に見る世界が違うからこそ、同じ時間を共有できない、孤高ゆえの孤独すらも、たやすく見通してしまっているのかもしれない。


 だからこそ、村で女の子と密会しているという村人からの密告があった時は、たいそう驚いたものだ。前に助けたとかいうあの暗黒の末裔の女の子だ。たしかに可愛い顔をしていた。ガキのくせに性の悦びに目覚めたのだろうか。大いにありえる。


 天才はあらゆる常識が通用しない。


 俺はかつてレトレシア魔法魔術大学で一介の学生であった。

 そこで、天才という生き物を見てきた。


 憧れた。鮮烈なまでに先を歩く背中に。

 痛快だった。講義を中断させ、教師を論破する姿が。

 希望だった。人間にはこれだけのことができるのだと。

 

 残念なことに、俺はそうはなれなかった。

 凡人の限界……そう言われている三式魔術師にすら届いていないのが証拠だ。

 俺の到達点は『風の二式魔術師』コツコツ積みあげて、ようやくここまで来た。

 長い時間をかけて、多大なる研鑽を積んでこの景色にたどりついた。


 アークの部屋で積みあげられたレポートを見た時、俺は震えた。

 約束を破られた怒りではない。

 そもそも、俺の見通しが甘かったというだけの話だ。 

 アークの知的好奇心と才能を知っていたのに、7歳なんていう無意味なかせを与えてしまった。


 非常に斬新で、まったく新しい角度から魔法魔術学に切り込むレポート。

 深淵への距離は、すでに俺よりも短いような気さえする。

 アークは一瞬で俺を飛び越えていった。


 その時、自覚した。

 人類の資産ともいえるレポートを破り捨てたくなった気持ちを。

 レポートに火をつけて、怒鳴りちらし、アークから魔術を奪ってやろう──そんなバカげた考えすら頭をよぎった。

 

 あろうことか、俺は我が子に嫉妬していたのだ。

 鮮烈で、痛烈で、斬新で、鋭くて、冴えていて、聡明なアークに。

 

 7歳から魔術をはじめろ。

 そんなのアークのためにならない。

 気づいていたのに、撤回できなかった。

 我が身かわいさに。すこしでも威厳ある父でいたいがために。

 あの子に追い抜かれるのがわかってた。

 だから、怖かったんだ。

 なんと浅ましいことか。

 全部、自分の為なのに息子のためなどと嘘をつく。

 お前のだろう。自分のためだろう。

 相手の足をひっぱってやれ。

 そうすれば、自分がこれ以上みじめにならずに済むぞ。


 だから、もっともらしい嘘を身にまとった。


 そうだ。

 俺はアークにたくさん嘘をついた。

 暗黒の末裔の女の子が村にきた時、俺はエヴァに相談した。


「エヴァ、あの子は絶対に厄介ごとのタネになる。残念だけど、クルクマはあの子の家にはなれないんじゃないかな」

「どうしてそんなことを言えるの? クルクマ以上の辺境なんてそう多くないわ。あの子が王都から転々としてきたってことは、クルクマ以上に栄えた町でひどい目に遭ってきたに違いないのよ?」

「でも、それと俺たちとは関係がないことだよ」


 妻に思い切りビンタされたのを覚えてる。

 思い出せば、いまでも頬が痛む。


 全部、家族のためだった。

 俺は弱いから、才能がないから、必死にあがいて、綺麗なことばかりじゃなくても、汚い事をしたって家族を守りたかった。

 

 ゲンゼディーフとアークが仲良くなったことで俺の計画はとん挫した。

 正直に言おう。

 俺は暗黒の末裔がこわい。

 大学の授業でその歴史を知っている分、なお恐ろしい。


 そうだ。

 俺はあの時もアークに嘘をついたのだ。


 俺は本当に弱い父親だ。


「いきます。

  風の精霊よ、力を与えたまへ、

     大いなる息吹でもって、

    我が困難を穿て──≪アルト・ウィンダ≫」


 大気の奔流が巨木を穿つ。

 凄まじい威力の魔法攻撃だ。

 風属性二式魔術≪アルト・ウィンダ≫の発射。

 この神秘を手に入れるのに、俺はどれだけかかっただろうか。


「どうでしたか、父様」

「……」


 アークが俺を不安そうに見つめてくる。

 

「………………すごい」


 自然と言葉がもれた。

 俺の視界は涙でぼやけてしまっていた。

 こんなのあんまりだ。情けない。悔しい。

 転げまわって暴れだしたい。

 俺を追い抜かないでくれと言いたい。

 息子に土下座してでも魔術師をやめさせたい。


 俺は決壊寸前の弱い自分をなんとか保つ。


 不安そうなアークの顔が見えた。

 なんだよ、天才、なんて顔してるんだよ。


 だが、違う……違うんだ。わかってる。

 なんて顔させてるんだよ、俺。

 全部、俺のせいなんだ。


 俺は父親だ。

 アークの父親なんだ。


 最善を選べ。

 父親として、してやれるすべてを。

 なんだ嫉妬て。魔術をやめさせるって。

 息子への憧れは、親の誇りだろうが。


「父様?」

「アーク……」


 そうだ。

 産まれた時、確信したんだ。

 おおきな運命が動きだす瞬間を。


「アーク、お前は俺の誇りだ」


 奇跡の子、アーカム。

 お前はどこまでも行ける。

 だから、全部、託したぞ。


「ふふふ、はははは!」

「と、父様?」

「なかなか、やるじゃないか、アーク! 悪くないが、それじゃあ、まだまだ、俺には敵わない。明日からは冒険者として数々の武勇伝をつくってきた俺が戦いのなんたるかをしっかり教えこんでやる」

「……っ、はい、わかりました、父様!」

「止まらずについてこいよ」


 そして、俺をはるか置き去りにしてくれ。

 

「すごいわあ、アーク! 流石はアディの子ね! 7歳で第二式魔術を使えるなんて信じられないわ」


 エヴァはきらきらした瞳で、並び立つ俺とアークを見てくる。


「ぱぱすごーい!」


 双子の姉エーラがきゃっきゃ騒ぎながら、俺の足にしがみついてきた。

 ふふ、なぜか俺がすごい事になっているが、まあ気分がいいのでヨシ。


「ちがうよ。すごいのはお兄さまだよー」

 

 妹アリスはたしなめるように言う。

 言っていることは正しいが、俺には手厳しい。


「それじゃあ、夕食ね! 今日はアークの7歳の誕生日! たくさんお料理つくったから冷めないうちに食べましょう!」

「父様、僕もうお腹ペコペコです」

「そうだな。まあ、俺のほうがペコペコだけどな、アーク」

「いえいえ、僕のほうがペコペコですね。なんなら、ペコらペコらまであります」


 アークはたまに意味の分からないことを言う。

 ただ、俺に宣戦布告してきているのはわかった。

 胃袋の勝負まで譲るつもりはないぞ、我が子よ。


 この日は、とても賑やかな夕食になった。

 

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