再誕者の産声


 

 プラズマ製の白いヴェールが晴れる。

 その瞬間が一番恐ろしかった。


 物理学は、次元の狭間に、虚無の海があることを予測している。

 まだ人類はこの領域を観測してはいない。

 だが、そこが良い場所じゃないことくらいはわかる。


 人類が侵してはいけない規制線の向こう側だ。

 虚無の海にはなにもない。


 それは文字列のならぶ紙面上の余白と同じだ。何かが存在する余地がまるでない。


 ひたすらの虚空。光も音も反射してかえってくることはない。だから、なにも見えない。なにも聞こえない。刺激ゼロのひたすらの無。

 星のない宇宙と形容するロマンチストもいる。俺がそのロマンチストだ。


 プラズマの残照が完全に失われた。

 案の定、あたりは真っ暗だった。


 ──失敗確定演出ですね、ノー転移でフィニッシュです


 これが虚無の海か。

 ほんとうになにもないんだな。

 

 果てしない絶望に息を呑むことすらできやしない。

 人類初虚無の海にやってきたというのに、全然嬉しくない。


 やっぱり2%の壁に挑戦するのは無謀すぎた。

 98%失敗率あるのにトレーニングさせるトレーナーくらい無謀だった。


 俺は孤独に死ぬ。

 すべてがここで終わる──


 ん?


「────」

「──っ、────!」


 すべてが零に帰着するはずだった。

 なのに、何かが俺へ刺激をもたらした。


 ありえない。ここは虚無の海のはずだ!

 光も音も観測することはできない究極の無のはずなのに!


 なのにどうして?

 予想を超えた異常が起きているのか?


 俺は感覚を研ぎ澄ませる。


 ……これは音? あるいは光? はたまた触感だろうか?

 

 五感のどれが反応しているのか判別できない。


 だが、間違いなく、外側から刺激が加わっている。


 曖昧だった。

 すべての輪郭が溶けて湯に流れ出したかのようだ。

 

「───!」

「─────────、───!!」


「──。──、────」


 溶けた輪郭がふたたび一つになっていく。

 失われた機能が再び息をふきかえすかのように、魂が脈を打ちはじめる。


 得体のしれない刺激が強くなってきた。

 決定的瞬間がそこまで迫っているような──そんな確信があった。


 そして、直後、俺の体に電流がはしった。

 

 超能力に覚醒したとき以来の、巨大な衝撃だった。


 真っ暗だった視界に、光が波打つ。

 霧ががかった聴覚に、音が踊りだす。


 詰まった臭覚が動きだし、呼吸器系が惰眠から目覚め、世界を循環させはじめる。

 全身にドッと重力を感じる。


 不完全だった輪郭が完全にカタチを取り戻したのだ。


「そん、な、そんな……うわあああん……っ!」

「どうしてこんな事になったんだ……」


「これ以上の処置は無駄でしょう……息をしてません。残念ですが、あなたがたのお子さんはもう……」


「なんとか、なんとか、できないの!? こんなのってあんまりよ……! ようやく産まれてきてくれると思ったのに……っ」

「どうして俺たちの子なんだ……この子がなにをしたって言う……」


 しょぼくれた視界の中には、大人が3人、なにかを言いあっている。

 みんな沈鬱な表情だ。外国語を喋っているので俺には会話がわからない。


 ふと、黒い髪の男と目があった。

 メガネをした薄紅色の瞳の男だ。カラコンだろうか。イケメンだな。性の悦び知ってるような顔だ。死ねばいいのに。


 俺はいつもの卑屈な癖で、とりあえすペコリと頭をさげる。男がイケメンだったので、本能的に負けを認めてしまっているらしい。いつも通り、ちゃんと情けない。


「…………………え?」

「ぐすん、どうしたのアディ……アーカムを見て……」

「いや……あれ…………、アーカムが、こっち見てる……」


 男は俺を指さす。信じられないような顔で。

 視線を真上にむければ、今度は思わず目を見開いてしまう美女がいた。

 銀色の髪、水色の瞳。絶世の美女じゃ。美女が俺を見ている!?


「っ!!!!???」


 銀色の美女の目元は真っ赤に腫れていた。

 が、俺と目があった瞬間に、幻想的な瞳がカッと開かれる。


「生き、かえ、った……」

「生きかえった……、生きかえったわっ!!!」

「奇跡だ……っ! この子は神に愛されてる!」

「もうだめかと思ったわ、うわわあああん……っ!」

「そうだね、エヴァ。でも、俺たちのアーカムは強い子だった!」


 黒髪の男と、銀髪の美女は涙を流しながら、俺にほおずりしてくる。


 特に男のほうは、軽々と俺をもちあげると「アーカム、奇跡の子だ!」と、俺のわからない言葉で感涙こぼしながら何度も叫んだ。

 

 1mmも理解が追い付いていなかった。


 男は俺もちあげるくらい腕力やべえし、美女は美女だし……。

 虚無の海に落ちたのに、なにを間違えればこうなる。


「アーカム! 産まれてきてくれてありがとう!」

「本当によかったわ……死んで産まれてくるなんて、きっと将来は大物になるに違いないわ!」


 騒々しい外国人たちに囲まれながら俺は結論をだした。


 すべての疑問に説明をつける方法はだたひとつしかない。


 やはり俺は死んだようだ。まる。

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