五.職人の流儀

 騎士団の特殊部隊が砂漠の真ん中で変死を遂げていた。

 普段ならばライターたちがこぞって記事にしたがるような、そこかしこで噂や憶測が流れそうなネタであるが、その話はどこへ行っても聞かなかった。

 城内に潜んでいるであろう首謀者が隠したことは明白だ。

そしてその首謀者がそれなりの地位に就いているであろうことも。

 予定より半日ほど遅れてハリロクに着いた灰次はカフェで新聞を広げていた。昨夜のできごとはどこにも書かれていない。

「急いで帰る必要があるな」

「おうさま、あぶない?」

「首謀者が内部にいることがはっきりしたからな。俺の仕事を邪魔できなかった以上、今度はあっちにいくだろうよ」

「灰次、あのね」

 飲みかけのミルクを両手でそっとテーブルに置くと、カラーはおずおずと目の前の灰次を見上げた。

「お前は悪くないから気にするな。手は打ってある」

 謝ろうとするカラーに笑いかけて灰次は冷めたコーヒーを飲み干した。その姿を見て、カラーも慌てて残ったミルクを流し込む。


 向かわねばならない場所はわかっている。桐生院。

 桐生院世界の工房と言えば有名らしく、カフェの店員に聞くとすぐに教えてくれた。

「お客さん、物好きだね。桐生院のじいさまは変わり者で有名だよ」

 釣銭を渡しながら、怪訝そうな顔で耳打ちしてくる。灰次は笑ってごまかすと、礼を言い店を出た。

 そこかしこで機械の音、金属の音が響いている。工場、工房、ここにはこの国のあらゆる技師が揃っている。

 蒸気、ガス、石油、炎、さまざまなエネルギーと、そこから産み出されるアイアン、ステイル、ガラス、銀、そしてキャボン。この国の産業の多くを担う古く大きな街、ハリロクタウン。

 代々この地で腕を磨いて職人として暮らしている者、技術向上のために修行に来る者、新たな物を求めて移住してくる者。

 技師が人口のほとんどを占める街で、よそから来た者も多いが職人同士の結束は固い。加えて頑固者が多い、というのが灰次のイメージであった。


 店員に言われたように街の奥へ進んでいくと大きな工房があった。桐生院の名が大きく書かれている。ここで間違いない。

「ごめんください」

 とりあえず、といった風に灰次が声をかける。シャッターは開いていて中の作業場は奥までまっすぐ見えるのだが、人のいる気配がない。

 ここまでオープンにされていても、さすがに他人の工房に勝手に入るのはためらわれる。どうしたもんか、と灰次は頭をかいた。

「すいません、桐生院さんに用事があるんですが」

 先程よりいくらか声を張って奥の方へ問いかけてみる。しばらく待つが返事はない。

「ご近所さんにでも聞いてみるか」

「しってるかな?」

「知っていても教えてくれなかったりしてな」

 辺りを見渡すと、すぐ隣に小さなアクセサリーショップがあった。

 ハリロクで加工された宝石や金属は精巧で美しく、贈り物としても人気のある高価なものだ。

 灰次は普段、ハリロク製のものは武器や生活用品しか買わない。ほとんど縁のない店である。

 外からちらりと店内を覗くと、ロングヘアの女性がカウンターに座っていた。身に着けているネックレスとピアスはこの店で扱っているものだろうか。遠目でも作りの良いものだとわかる。

「何か御用ですか」

 不意に後ろから声をかけられる。アクセサリーショップを覗く不審な男、とでも思われたのだろうか。声色は威圧的だった。

 振り向くとまず最初に肩にかかる綺麗な紫がかった黒髪が目に入った。次いでつばを後ろ向きにして被っているキャップ。ところどころ汚れの付いたシャツと、腰で袖部分を無造作に縛った作業用のツナギ。腰に下げた道具とグローブから、技師であることがわかる。

「お答えいただけないなら保安員を呼びますけど」

 少女のような可愛らしい顔をしているが、どうやらこの街で働く少年技師らしい。若いまっすぐな瞳が灰次をにらみつける。

「怪しい者じゃないんだ。桐生院さんの所に用事があってね。呼び掛けたけど誰もいないみたいでどうしようか困っていたところだ」

 灰次はへらりと笑って言った。余計なところで保安を呼ばれては困る。


 保安員はハリロクの自警団のようなもので、騎士の代わりにこの街の治安維持を務めている集団である。

この街はジャッシュの中でもそういった独立した組織を多く持つ。『国に頼るな、一人で生き抜け』という古い職人たちの気質がそのまま残った地域だ。


「師匠に?」

「師匠?」

 少年の雰囲気が柔らかくなる。笑みを浮かべると帽子を取って頭を下げた。

「失礼しました。世界モンド師匠のお客様とは知らず、不躾な真似を。僕はハリロクのエルファと言います。ロイ・エルファ。師匠も他の者たちも今は出払っておりますので、よろしければ中へどうぞ」

 灰次の知っている技師というのはもっと荒っぽくて豪快な男たちばかりだ。十九郎にしても、そこにいる従業員たちにしても、皆、こんな挨拶はしない。

 桐生院の規律が厳しいのか、それともこの少年が元来持ち合わせている品格なのか。

いずれにせよ、ロイと名乗る少年の言動からはただの職人見習いとは思えない気品が見て取れた。

「いや、俺こそ誤解させてすまなかった。掃除屋の藤堂灰次。こっちはカラー。よろしく」

「掃除屋さんでしたか。あの、何かうちに問題があったとか、ではないですよね?」

「違う違う。ちょっと力になって欲しいことがあってね」

「そうですか。では、お話は中で伺いますね」

 ロイはほっとしたように笑うと工房の中へと灰次たちを通した。有名な職人の元には様々な客が来るのだろう。掃除屋という稼業に対して偏見はないようだった。


 工房内を通って奥の小さな客間へ向かう。

 油や金属の独特な匂いにカラーは鼻をひくりとさせ、わずかに眉をひそめた。鼻の利く彼には少々きつい匂いかもしれない。

「お茶、お持ちしますね。そちらの彼はミルクがいいのかな」

 応接ソファに腰掛けると、ロイはカラーに向き直って微笑んだ。突然自分に意識を向けられたことでカラーは目を丸くする。小さく頷くと、ロイはにこりと笑って一度部屋を出た。

「お前もお客様だってよ」

「びっくりした」

 光すら吸い込むような黒髪、不吉な赤目。初対面で異端な容姿の自分に笑いかけてくれるような人物は少ない。客人扱いされることにも慣れていないカラーは照れ臭そうに笑った。


 ロイはすぐ小さなトレーを持って戻ってきた。灰次の前に湯のみを、カラーの前にミルクの入ったグラスを置くと、自分もマグカップを持って向かいに座った。

 使い込んで汚れてはいるがなかなかに手の込んだ作りのマグカップに自然と灰次の視線が向く。

「それ、自分で作ったのか?」

 緩やかな曲線に細やかな彫り細工、透明感のある白。素材はガラスだろうか。

「僕が習作として作ったものです。稚拙でお恥ずかしい」

「ううん、すごい、きれいだよ」

 灰次が返事をする前に、カラーがそう告げた。自分から他人に話し掛けるなんて珍しい、と灰次は隣を見る。どうやらロイのことを気に入ったらしい。

「ありがとう」

 この笑い方といい、カップを持つ所作といい、やはりただの職人見習いには見えない。カラーの反応も良いし、悪い人物ではないのだろうが、どうにも引っかかる。

「ロイは、ここの出身なのか? それとも、別の街の?」

「……ずっと、ハリロクですよ」

 嘘ではないようだが、答える前に一瞬間があったのが気になった。だが、それを突っ込んで聞いていいものか。仕事でもないのにあまり他人のことを詮索するのは気が進まない。


 にわかに外が騒がしくなった。部屋に流れていた微妙な空気がかき消される。

どうやら、この工房の他の技師たちが帰ってきたようだった。工房から豪快に笑う声や工具を降ろすガチャガチャという音が聞こえてくる。

「皆が帰ってきたみたいです。師匠も戻っているかもしれないので、少し外します」

 ロイは立ち上がると部屋を出て行った。

 灰次はバッグからキャボンの箱を取り出す。桐生院世界に会って、この中身を知ることが出来れば、落胤調査は進むのか。その確証はないが、何かの手掛かりであって欲しいと切に願う。

「藤堂さん、すみません。師匠はまだ戻ってないみたいで」

 ロイが戻ってきて申し訳なさそうに告げる。その後ろにはロイと同じようにツナギや作業服を着た技師たちが見えた。目が合うとにこりと笑って会釈する。灰次はそれに軽く会釈して返すとロイに視線を戻した。

「いつ帰るかわかるか?」

「仲間たちに聞いてみたんですが、皆わからないとのことで。すみません、お急ぎなんですよね」

 確かに急ぎではあるが、本人が戻ってこないのであればどうしようもない。ここで待つか、居所を聞いて無理にでも押しかけるか。

「俺から出向くってのは?」

「それは」

 ロイが言葉を返そうとした時、カラーの肩がピクリと動いた。何かを察した、と灰次が理解した瞬間、大きな物音がした。

「保安を呼べ!」

 続いて聞こえた声に三人はほぼ同時に工房の方を見た。叫んだのは技師のひとりらしい。

「どうしたんですか!」

 慌ててロイが出て行く。追って、灰次とカラーも立ち上がる。

 工房には数人の技師たちと黒いマントに身を包み槍を構えた男たちがいた。

「嘘だろ」

 思わず声に出す。サンドグラシスが追ってきたというのか。ここまで嗅ぎ付けたと。

 しかしその槍の振り方を見てそうではないと灰次は理解した。昨夜戦った相手とは明らかに違う。大きな得物の使い方を心得ている。

「灰次」

「待て、カラー。ここじゃあいつらを巻き込む。目的は俺か、この箱だ。行くぞ」

 今にもとびかかりそうなカラーを制し、灰次は一歩前へ歩み出る。黒マントの中のひとりがこちらを見た。

「よう掃除屋。素直にこちらへ来ないとこの工房が潰れるぞ」

「とりあえず表に出ろ。ここの人たちは関係ない」

 黒マントたちは槍をこちらに向けて牽制しつつ外へ出て行く。

「ロイ、すまなかった。怪我人は?」

「大丈夫です。いくつか道具を落とされただけなので」

 灰次はロイに近付くと、そっと箱を渡した。そして耳打ちする。

「これをお前の師匠に渡してくれ。中身がわかったらこいつに預けてマラドに寄越して欲しい。報酬は足りなかったら後で払う」

 箱と一緒に金の入った袋を渡し、カラーに目配せする。

 カラーは小さく頷くと奥の部屋にそっと隠れた。

「掃除屋! 早くしろ!」

「あーはいはい」

 サングラス越しにではあるが、まっすぐにロイの目を見つめ、頼んだぞ、ともう一度告げると灰次は外へ出た。

「藤堂さん!」

「ロイ」

 追おうとしたロイをカラーが呼び止める。応接ソファの影から手招きしている姿が見えて、ロイはそちらへ向かった。

「ごめんね、ロイ。あぶないめにあわせて、ごめんね」

「僕らは大丈夫。でも、藤堂さんが」

「灰次はだいじょうぶ。ロイ、灰次のおねがい、きいてほしい」

 カラーがロイの手をぎゅっと握る。握られた手には灰次に渡された箱と袋。

 状況はわからないが、この少年と灰次のまっすぐな目を信じたいと思った。ロイは力強く頷くと、小さなその手を握り返した。


 灰次は黒マントに連れられ、ハリロクを出た。砂漠のどこかで処理するつもりなのか、マラドまで連れて行き何かしらの措置を取るのか。

 それはわからないが、このままでは灰次もシーザも危ないということはカラーにもよくわかっていた。

 カラーはたどたどしい言葉で、なんとかロイに事情を説明した。さすがに落胤の話は伏せておいたが、この箱がキャボンであること、これが国の問題に関わる大きな依頼であること。

 ロイはその話を聞くと、迷いつつも協力することを承諾した。

「ロイ」

 落とされた道具を片付けている中、技師のひとりが呼びかける。

 ロイはこの工房でも若い見習いで、周りの者たちは全員、桐生院の弟子であり、彼より年上で経験も豊富である。だが、幼い頃から世界を師と呼び慕ってきた。まだまだ見習いではあるが、その腕は仲間たちも認めている。

「よく状況はわからんが、さっきの兄さんとその黒い子、じーさんに頼みがあって来たんだろ?」

「はい」

「残念ながら、じーさんはしばらく戻れない。どうするんだ? じーさん呼び戻すか?」

 ロイは黙ってしまう。いち掃除屋にそこまでしてやる義理はない、と一蹴されるだろうか。カラーも不安げにロイを見つめた。

「なあ、あの兄さん、藤堂灰次だろ? 掃除屋の」

「どうしてしってる?」

「前にジャンクさんが話題に出したことがあってな。お節介で人の好い、腕利きの掃除屋の話」

 ジャンク、という言葉にカラーが反応する。

 十九郎はこの街で修行を積んだ経験があり、今でもこの街に来ることは少なくない。知り合いがいてもおかしくはないが、ここでその名を聞くことになろうとは。

「サングラスと、長い髪と、それと黒猫を連れてる、って言ってた。それに、愛車を大切にするイイ男だ、ってな」

 男はカラーに目配せした。大柄な男だが、優しい目をしている。

「まさかここで会うとは思わなかったが、ジャンクさんの言っていた人なら信用できる」

 すると、隣にいた細身の男も片付けの手を止め、眼鏡を直しながら振り向いた。

「どんな依頼なんだ? 俺たちで力になれるか? さっきの掃除屋とその子は信用できるかわからんが、ジャンクのことは信用してるからな」

 この街の職人たちは結束が強い。それを目の前で見せ付けられた、そんな気分だった。

 街の中にいる者たちだけではない。ここから外へ出て行った人間との信頼関係も強く、揺るぎない。

 それを感じ、カラーも彼らを信じてみたいと思った。

「ありがとう」

 カラーが笑うと、ロイもそれを見て笑った。


 簡単な仲間の紹介を済ませると、ロイはカラーから聞いたことを簡潔に仲間たちに話した。

 先程の大柄な男はミル。眼鏡の男はリャン。ロイからの紹介でなんとかカラーが覚えられたのはそのふたりだけだった。

「国王の命がそのキャボンの箱にねえ」

「それも、わからない。これは、てがかりじゃないかもしれない」

「おいおい、そんな曖昧な情報でここまで来たのか?」

「これしかない。なんにもわからないままじゃ、おうさま、たすけられない」

「そうか」

 灰次が連れて行かれて時間が経っている。モタモタと悩んでいる暇はない。

「開けるしかないか」

「時間がないんだろう? なあ、ロイ」

 キャボンの箱をまじまじと見つめて、ミルがロイを呼んだ。そのまま手にしていた箱を投げて寄越す。

「その子と一緒にマラドへ行け。まだ追いつける。それにお前だったらそれを開けられるだろう」

「えっ」

「キャボンの技術を誰よりも近くで見てきたのはお前だ。工具はここから持って行け。俺たちにはキャボンの扱いは難しいが、お前ならできるかもしれん」

 戸惑うロイを横目に、ミルとリャンは仲間たちと話を進めていく。

「バイクがあると言ってたな」

「リャンさん、待ってください!」

「この街の職人に動かせない機械はない。ロイがいれば問題ないさ」

「ミルさん!」

「そうとなれば急ごう。おいカラー、バイクはどこだ」

「僕の話も聞いてください!」

 話をどんどん進める仲間たちにロイが抗議する。

 カラーはどうしていいものかわからずオロオロしていたが、その頭をミルが大きな手のひらでなでた。カラーが顔を上げると、ミルはにっと笑う。

「カラー、任せろ。うちの一番の腕利きを貸してやる。国がダメになっちまったら俺たちだってどうしようもねえ」

 十九郎のことを信用しているから。ただそれだけで自分たちにここまでしてくれるミルたちの気持ちはカラーにはよくわからない。細かい話もしていないのに、国の危機だという話を信じてくれる理由も。

「わからないって顔してるな! はは、俺たちだってお前らを信用する理由なんざはっきりしてないさ!」

「ジャンクによろしく伝えてくれよ、カラー。ロイ」

 ロイはぐっと唇を噛み締めた。

 灰次とカラーのことはわからないが、ジャンクやロイを信じているから、彼らが信じる男たちを信用する。ここの職人たちが灰次に手を貸す理由はそれで充分だった。

「わかりました」

 ロイは一言返し、工房の二階にある自室へと足を向けた。旅の支度をするのだろう。仲間たちはそれを見送って小さく息を吐いた。

「カラー、すまんな。びっくりしたろう」

 ミルがまた、大きな手で頭をなでた。この男になでられるのは嫌ではない。大きなゴツゴツした手だが、優しさを感じる。

「あいつは腕が良い。それはじーさんも、俺たちも認めてる。だが、あいつは俺たち先輩に見せ場を全部譲ってくれるのさ」

「たまにはこうやって追い出してやらないとな」

 カラーは大きく頷いた。

 ロイと一緒にマラドへ向かおう。灰次を救うために。シーザを救うために。この国を守るために。この国に住む、この街に住む、優しい人たちを守るために。

 穏やかな赤い瞳に、ほの暗い炎が灯った。

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