四.砂漠の砂時計
砂漠の夜は寒い。
ジャッシュは砂漠の国と呼ばれ、国土の大半が砂と岩とでできている。
西方には外海に面した地域もありそこは砂漠地帯とは異なる風土であるが、国のほぼ中央に位置するマラドは、四方を砂漠に囲まれている。
ハリロク・タウンはジャッシュの北西にある街で、周囲は森だ。
この森は人工的なもので、今からずいぶん昔に、ハリロクに住む職人たちが植えたのだと言われている。
砂漠の果てに覆い茂る緑の木々はオアシスともまた違った不思議な光景で、一体この砂漠でどうしてあんなにも立派な木々が育つのかと誰しもが不思議に思うのだ。
昼間は干からびるような砂漠の暑さと日差しも、日が落ちると急激に冷え込み、砂漠を歩く者たちを襲う。
また、それを狙う輩や獣もいる。月明かりだけで進むには危険な場所である。
しかし冷たい月明かりの下、灰次はまだその砂漠のど真ん中にいた。暮れ前にマラドを発ち、夜になる前にさっさと森へ抜ける予定だったにも関わらず、である。
砂漠越えは何度もしてきた。夜の砂漠をひとりで駆けたこともある。それでも起こるのがイレギュラーであり、トラブルだ。
「どうしてこうなるかね」
砂に埋まった自分の愛車と荷物を見て、灰次はつぶやく。
「砂漠に落とし穴なんて、素人にできることじゃねえよなあ」
前輪ががくんと落ちた感覚がして、しまったと思った。そう思ったときにはすでに遅く、さらさらとした砂にバイクが埋まっていくのはあっというまであった。
自身も沈んでしまう前に跳ね上がって穴から抜け出したはいいが、愛車の半分以上は砂に埋もれてしまった。
こんなときにカラーがいれば、とため息をつくが、それは言っても仕方のないことだと灰次自身よくわかっている。
このまま歩いて砂漠を越えるか、一晩中バイクを砂から掘り起こす作業を続けるか。
いずれにせよ危険であるし、体力がもたないだろう。
まいった、とため息をついて、せめて荷物だけでも、と砂の中にかろうじて見えるカバンの紐と金具に手をかけた。
「……?」
不意に気配を感じ、反射的に灰次は身を低くする。
砂丘の先に、黒いマントの集団がいるのが目に入った。
シャリン、シャリン、と、砂の上を滑るように歩み寄ってくる。砂を踏みしめるような重い音は一切聞こえない。
「サンドグラシスか」
白光騎士団の中でも砂漠での護衛、戦闘を専門に行う集団、サンドグラシス。
背に負うのは砂時計のエンブレム、迅速かつ確実な任務をこなす砂地のスペシャリストである。
「シーザからの助っ人、ってわけじゃなさそうだな」
その独特な歩き方は、間違いなくサンドグラシスのものだ。
黒いマントで覆っているのは、恐らく彼らが騎士団の者であると気付かれないためであろう。
そうであれば、彼らは味方ではないと考えるのが妥当だ。
ここで仕掛けてくるということは、既に灰次が手掛かりを追って砂漠に入ったことまで知っている。思っていたより情報が早い。
恐らく彼らは自分に対し罠を仕掛け、立ち往生したところを襲おうと周到な計画をしていたということである。砂漠の落とし穴はやはり、素人の手によるものではなかった。
「やっぱり城の内部にいるってわけだ」
俺の情報もあっというまに筒抜けなんて笑っちゃうね。言いながら、灰次は両の手に短刀を構えた。
瞬間、集団の中からふたりが飛び出してきた。足場の悪いはずの砂地をものともせず、こちらとの間合いをあっという間に縮めてくる。
キン、と高い音がした。相手の槍を灰次が短刀でかろうじて受けた音だった。
続けてもうひとつ。ふたりめの攻撃をはじいて、横へ飛ぶ。砂はクッション代わりになるが身動きも封じられる。このままでは受け手に回るしかない。
しかし灰次はニヤリと笑った。相手の武器は槍。いける。
本来なら、サンドグラシスはサーベルを使っているはずだ。特別に作られた銀のサーベル。彼らの素早い動きには攻撃力は低いが軽くて丈夫なサーベルが向いている。
恐らくこの集団は自分たちの身元がばれないように敢えて槍を使っているのだろう。
「そんな重い得物じゃ、砂時計が何回ひっくり返っても終わらないって」
ひとり、ふたり。隙を突いて腕を狙う。慣れない槍を落としたところで足を切りつけ動きを奪う。命は取らない。不要な掃除はしない。
「いいから早く退きな。あんまりしつこいとお前らを掃除しなくちゃならなくなる」
砂の上で足場が悪いとは言え、灰次も腕利きの掃除屋であり、こうした戦闘は経験がある。相手がサンドグラシスであれ、重い槍に動きを制限されているならば、退かせることくらいはできる。
「ちょこちょこすんじゃねえ! 掃除屋ごときが!」
ひとりが銀のサーベルを抜いた。
「足がつくぞ。いいのか?」
「お前ひとりこの砂漠の真ん中で消したところで何の問題もないんだよ」
「悪役っぽいセリフだね」
軽口を叩きながらも内心で灰次は焦っていた。砂地のスペシャリストに本気を出されたら無傷でいられる自信はない。囲まれれば一瞬で勝負はついてしまう。
サーベルを構えた男が黒いマントを翻し、あっという間に目の前に詰めてくる。先程までとは比べ物にならないスピード。槍ですら追いきれない速さだったというのに、これでは受けることも避けることも難しい。
腕の一本くらいは犠牲にしても仕方ない、そう判断し利き腕ではない左腕を捨てることにした。
襲い来るであろう痛みを覚悟した、その時だった。
「うぐっ」
「ひっ」
低いうめき声と、短い悲鳴が聞こえた。同時に生ぬるいものが飛び散る。月明かりに照らされる赤い液体。彼らの絶命を知るには充分な量の血液だった。
「なんでお前がいるんだよ」
砂の上に倒れ込んだ灰次は、目の前に立つ影を見つめてため息をついた。
逆光に浮かぶ影は小さな体。振り向いた顔の表情は読めなかったが、真っ赤な瞳が燃えるように揺れている。
「ごめんね、灰次。おそうじしていい?」
カラーは灰次の返事を待たなかった。
続けて襲いかかってくる黒いマントに飛び掛かる。その速さは砂地のスペシャリストにも追いきれない。短い悲鳴が幾度か聞こえ、次々と鮮血が散り、いつのまにか砂漠は静寂を取り戻した。
「やめろ」
命を取られずに済んだ者たちが退いていく。それを追おうとしたカラーを、灰次は短い言葉で止めた。
カラーは素直に従うと、倒れ込んだままの灰次の横におとなしく座る。先程まで発していた殺気は、もうない。
「どうしてここにいるんだ」
「おうさま、めいれい」
「あのバカ」
この事態をまったく予想していなかったわけではないが、ここにはいない優しすぎる国王に、悪態をつかずにはいられなかった。何のためにカラーをマラドに残してきたというのか。
「ごめんなさい」
「いいよ。助かった」
大きな手がカラーの黒髪をくしゃくしゃとなでた。
「じゃあ、さっさとバイク掘り起こしてハリロクへ向かうか」
「うん」
「お前がやれよ。俺の言いつけを破った罰だ」
「うん」
カラーに任せておけば、砂に埋もれたバイクなどすぐに掘り出せるだろう。
灰次はゆっくりと起き上がって短刀を鞘に収めると、冷えた砂漠の空気を吸った。
「寒いな、ちくしょう」
「灰次、これ」
荷物の中から先に引っ張り出したのであろう。カラーの手には砂まみれの毛布があった。
「おう」
両手で毛布の砂を払うが、気休め程度にしかならない。
それでも寒いよりはマシだ、と灰次は砂まみれの毛布を被る。
「なんか言ってたか」
「いわない」
「そうか。トウカには会ったか」
「あわない」
「そうか。まあ、大丈夫だろ」
会話が途切れて、カラーが砂を掘る音だけが響く。
「全力でやれって」
「いいの?」
「いいよ、誰も見てない」
「わかった」
灰次の言葉にカラーはこくりと頷いて、作業の手を一旦止めた。
月明かりの下、カラーの瞳が赤く光る。
ザ、と音を立てて砂を踏んでから、カラーは砂の間から見えるバイクのサイドカー部分を勢いよく掴んで引いた。
「頼むぜ、カラー」
微かな血の匂いが、砂塵とともにどこかへ吹き抜けていった。
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