35.主役は遅れてやってくる

「でん……か……」


 いやいやいや。今日も今日とて輝かしい金髪が見えている気がするけど、皇子殿下は現在私用につきお出かけ中、都合良くこの場に現れたりするわけがないでしょう。


 そんな何度も人生の危機を同じ人に救われるなんて状況があるはずが……あったら割と、「えっこれって運命……?」みたいな変なときめき感じちゃうじゃないですか。皇子殿下は高嶺のお方。変な勘違いはいけませんよ、シャンナ。


 ああ、現実逃避が捗っている。天国への階段がこっちを手招きしているせいかな。白目になりそうだわ。というかたぶん今酸欠だから現実でも本当に白目剥いてますねははは。


 そんなこんなで混乱していると、侯爵閣下がわたくしをつかみ上げていた腕を少しだけ下げた。

 地面に足がつくという安心感。おかげで気絶一歩手前からうっかり意識が戻ってきてしまう。うう、少しはましになったと言え息が苦しい。そしてせっかく足の感覚がリターンしたのに全然ふりほどける気がしない。


「これは隣国の皇子殿下……私の屋敷で何をなさっておいでか?」


 侯爵閣下は落ち着いた大人らしい声音で話す。この音声部分だけ耳にしていれば、なるほど確かに余裕のある上位貴族の風情だ。マノンネタが絡むとどうしてああも豹変なされるのか……さすが誰とでも寝る女、本当に勘弁して。


 ……というか、あれ? これ、もしかして、もしかします?


 太陽がごとき輝きを放つ殿下の幻覚。と思っていたものの方に、どうやら侯爵も明確に顔を向け、そして話しかけている。


 わたくし達の間で幻覚が共有されているとかそういう高度な狂気状態じゃなければ、少なくともこの絶賛大ピンチに、第三者という救いの一手が差し挟まれた的な?


「この場は屋敷の外ですよ、侯爵。僕は用事があって近くを歩いていたような所です。それで、あなたこそ公道で一体何を?」

「何、と言われましても……盗られたものを、返してもらっているだけです」

「そうですか? 僕には婦女暴行の真っ最中に見えます。紳士の鑑と名高い侯爵にそぐわぬ行動かと」


 会話が続いていく……ということは、どうやら本格的に集団幻覚ではなく現実の模様。えっ本当に? 本当に今殿下来ちゃってます?


 どうなってんの、わたくしの運。母親のヤバい元カレに襲われるという、どう間違って生きたらそんな目に遭うの? っていう不幸と、その現場に天使殿下、じゃなかった皇子殿下が駆けつけてくださる幸運が同時に押し寄せるて。


 卒倒してもおかしくない情報量。まあさっき意識飛ばし損ねたのでたぶん無理ですが。我ながら頑丈だなあ、わたくしの体。主な構成要素菓子パンなのに。


「これは……普通に会話しているだけですよ? それに、とても親密な……そう、家族の問題なんです。よそ者に口を挟まないでいただきたい」

「そうですね、僕は厄介なお節介者だ。王国のルールを不必要に乱すのはよくないし、一家庭のいざこざにいちいち首を突っ込んでいるわけにもいかない」

「おわかりいただけたようで何よりです」

「――ただし。そんな建前は、目の前の理不尽を見逃していい言い訳にはならない。まずはその人を離してください、侯爵。それからゆっくり話をしましょう?」


 爽やかながら、はっきりきっぱりした物言いだった。


 そう、この人はそういう人だ。

 ルールを知り、空気を読んだ上で、それでも間違えているものは間違えていると主張できる人だ。


 そして穏やかで優しげな見た目をしている割に、結構好戦的なのである。


「それにね。今、あなたが締め上げている人、僕の大事な人なんです。だからまあ、割と僕もこの場の関係者って言えるんですよ」


 …………。あっ、えっと、その……あ、ありがとうございます。身に余る光栄……きっと深い意味はないのだろうけど、一瞬ドキッとしてしまう自分が憎い。


 そうですか、大事な人……そっかあ……へー……。


 しかし皇子殿下の言葉に、わたくしもわあーっと舞い上がってしまったわけだが、侯爵も似たようなものだったらしい。


 急に感覚がなくなって、わたくしはその場に崩れ落ち、咳き込む。手を離されたのだとわかったけど、安堵なんて全然できそうになかった。不穏な空気が辺りに立ちこめ、仁王立ちになった侯爵から明らかに危ない気配が漂いだす。


「――ああ、腹が立つ。そもそもそうだ、学園にお前が現れてから、マノンはおかしくなった」


 侯爵はブツブツと口の中で小さく何か言いながら、ゆっくりと殿下のいる方に歩み出す。


「そこにいるのはシャンナですよ。侯爵閣下ともあろう方が、人違いで乱暴を働くのはおよしなさい」

「違う。マノンだ。帰ってきた。帰ってくるはずだった。レオナールは馬鹿な息子だが、仮の夫にはちょうどいい。そう――お前さえいなければ、全て順調だったはずなのに」

「もし学園に僕がいなければ、彼女は階段から突き落とされていた。あの高さでは軽くても大怪我、最悪そのまま死んでいたでしょう。所有権とやらを持ち出すのなら、まずしっかり守るべきだったのでは? 貴方は息子に正確な指示を出せていなかったし、彼女のケアもできていなかった」

「……うるさい」

「それどころか、誰よりも先に彼女の希有な才能に気がついておきながら、黙殺した。いえ、隠匿しようとしましたね? おかげでシャンナは自分が他人と違う目を持っていることに、十年も気がつかなかった。非効率的かつ、不愉快なやり方だ」

「黙れ……」

「そもそも息子を巻き込んだのも、保身のためではないのかな。貴方は既に一度、マノン=ザンカーにフラれている。二度目は耐えられなかった。だからこんな、誰が見てもお粗末なやり方しかできなかったのでは?」


 ぶつん、と何かが切れた音が聞こえた気がした。


 いつになく攻撃的な殿下の口撃をハラハラ見守っていたら、火の玉ストレートを急所にぶち込んで大炎上させた感。


 侯爵がかっと血走った目を見開いた瞬間、彼を黒い影が取り巻き、そして殿下に向かって飛ぶ――というか、黒!? 見たことのない魔法の色。直感で駄目な奴――禁術の類いだってわかる。


「――殿下!」


 けれどしなやかな鞭のように伸びた影は殿下に届くことなく、その手前で弾かれて霧散した。


 ……あれ、そういえばこれも今更の発見ですけど、本日の装いはいつもの学園制服姿とは異なりますが、護衛ゼロのお一人様行脚は平常運転ですね? それなのにさっき、あんな挑発台詞連発してたの? いや、いつものことではあるけれど、もうちょっと御身を大事にして!?


「僕に精神汚染は効かないよ。これでも皇族の末席に連なる者だからね」


 皇子殿下は穏やかに微笑まれる。


 わあ……そうか、今のが精神操作系の魔法の色……?

 そんな危ないものを知っている上に使えることにもドン引きですが、それを皇子殿下にぶつけるとは、いよいよ侯爵閣下も追い詰められているらしい。


 いや、殿下、あの、その、この人ヤバいお方ですがそれなりのお立場の人でもあり、なんかこうもうちょっと穏便に済ませるルートってなかったのでしょうか。


 なかったね、あの顔ヤる気満々だ。前に食堂で見た。見た目はまごうことなき天使の微笑みだけど「絶対許さねえ今からボコボコにしてやるからな」って意思を宿した表情なんですよね、今改めて理解を深めました。やはり皇室で最も大人しい男(ただしあくまで皇室基準)ということなのでしょうね……。


「……なるほど。ならば殿下には、この世から消えていただくほかありますまい」


 けれどぶち切れていらっしゃるのはどうやら侯爵閣下も同じらしい。


「晩鐘に帳は落ち、星満ちて空は瞬く――」


 彼が不敵な笑みを浮かべて詠唱を始めると、にわかに空の雲行きが怪しくなる。

 周囲が暗くなり、ゴロゴロと不穏な音が鳴り出した。ポツポツ降り出す雨粒……。


 いや、正気かこの人。元々狂気だった。そんなことはどうでもいい。

 天候操作――大精霊級も飛び越えて神霊級魔法に手を出すとかバッカじゃないの!? それいかに魔力と才能に恵まれている貴族でも、一撃放てるかどうかも定かじゃないし、詠唱完了後に魔力系統に後遺症出ますよ? 「天を操ろうとするなかれ、成功しても廃人確定だからね」って魔法学の最初に習うのに!


 しかし殿下、既に迎撃準備中の模様。わあ、もう相殺詠唱始めてる……いえ、まあ、ほとんど同時に唱えないと間に合わないんですけどね、級が上の魔法の場合。


 …………?


 でも、なんだろう。この違和感。何か変だ。発生した雨風で顔にまとわりついてくる髪を指でどかしながら、わたくしは目を細める。


 天を操る魔法とは言え、雨を降らせるならば水、大気を操るならば風、雷を落とすなら光が該当する属性だったはず。大規模に嵐を起こそうとするならば、だからこれらの色が混ざり合った風になるはずで……いや、見えないわけじゃない。


 確かに青とか緑とか黄色の発光だって目に映ってはいる。


 だけど……一番濃い色は違う――黒だ。ならば侯爵の本当の狙いは――。


「天候操作はおとりです、殿下!」


 ――叫ぶ。殿下がこちらを向く。はっと気がついて、大きく見開かれる青い目。


 一瞬の出来事。


 わたくしはとっさに手で顔を覆ったが、おそらく本能的な防御反応だったのだろう。直視していたらちょっと目がどうなっていたのかわからない。まばゆい、両手で瞼を覆ってもちくりと痛みを感じるほどの閃光と、耳の奥がキーンとなる爆音。


 ……恐る恐る、辺りをうかがう。

 意外にも、雨風で多少酷い有様になってはいましたが、逆にそれ以外の被害は見当たらない。


 殿下も侯爵閣下も立ったままだ。


 ――いや。

 程なくして、侯爵閣下が膝から崩れ落ちた。


 皇子殿下がふーっと大きく息を吐き出し、前髪をかき上げる。


「神霊級魔法はブラフ、本命は意識の乗っ取りとはね……。僕もまだまだ修行不足みたいだ」


 彼が前髪をかきあげていつものように微笑んだのを見てようやく、わたくしは体から力が抜けるのを感じた。

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