278話「初日デート」
昼の三時前。
俺は約束通り、駅前のいつもの待ち合わせ場所へとやってきた。
しかし、時間的に俺でもギリギリだったため、女の子のしーちゃんは当然もっと時間がかかるのだろう。
待ち合わせ場所にはまだ姿はなかった。
ちょっと集合が早すぎたかなと思いつつも、まぁそれならそれでここで待っていればいいかと思った俺は、ベンチに腰掛け気長にしーちゃんが来るのを待つことにした。
「ごめんねたっくん!! お待たせ!!」
それから待つこと十分少々。
待ち合わせ場所へ小走りでやってきたしーちゃん。
白のショート丈のシャツに、黒のレースのロングスカート。
手にはデニム生地のミニバッグを持っており、夏らしくも同い年とは思えない大人っぽいコーディネートをしたしーちゃんの姿がそこにはあった。
ほんのりとお化粧までしてきてくれており、コーディネートだけでなく普段とは違う大人っぽさが感じられる。
「ごめんね、支度に時間かかっちゃって」
「いや、全然待ってないよ」
「そっか、ありがとね」
申し訳なさそうにしつつも、会えたことを喜ぶように微笑むしーちゃん。
こんな笑顔のためならば、俺はきっと何時間でも待ててしまうだろう。
もう付き合いだして一年近く経つが、未だにこんなにも可愛い女の子が自分の彼女だということが信じられなくなってくる。
かつては国民的アイドルとして日本中の注目を浴びていた、本来はこんなところにはいないはずの特別な存在――。
そんな彼女が、今目の前で満面の笑みを向けてくれている。
それだけで俺は、この笑顔のためならば何だってできる気がしてくる。
「どうかした?」
「いや、何でもないよ。行こっか」
「うん!」
差し出した手を、嬉しそうに両手で握ってくれるしーちゃん。
こうして確かに繋がれた手からは、しーちゃんが傍にいてくれているのだという実感となり、しっかりと伝わってくることが嬉しかった。
こうして俺達は、今日から始まる夏休みを一緒に楽しむのであった。
◇
しーちゃんとやってきたのは、駅から少し外れたところにあるバッティングセンター。
何となく駅周辺をブラブラしようという話になり、今日はしーちゃんが普段はあまり行かない方角へ向かって歩いてみることにした。
その結果、大きなグリーンのネットの存在に気付いたしーちゃんが、あそこに行ってみたいと指さすのでやってきたのがバッティングセンターだった。
俺自身、バッティングセンターに来たのは小学生ぶりだろうか。
野球なんてやったことのない俺は、まともに打ち返せた記憶がない。
しかし、ここへ来た以上は彼氏として、彼女の前でナイスバッティングを披露する場面だろう――。
別にしーちゃんが、俺のバッティングに期待しているわけではないのは分かっている。
しかし、これは男……いや、彼氏としてのちょっとした意地なのだ。
やっぱり男たるもの、好きな子の前ではカッコ良く在りたい。
正直自分の柄ではない考えだとは我ながら思うが、これも彼女がいてくれることによる変化なのだろう。
「たっくん、打つの?」
「うん、上手く打てるか分からないけど、せっかくだから」
そう言って俺は、お金を入れると貸し用のヘルメットとバットを手にして、バッターボックスへ立つ。
いざバッターボックスへ立ってみると、思ったよりも緊張してきてしまう。
バットぐらい振れるとは思うのだが、後ろのネットの向こう側でしーちゃんが見守ってくれているという状況が俺を緊張させているのだ。
――ここで、全球空振りは流石に不味いよな……。
今更になって、自分が背伸びし過ぎたかもしれないことを後悔してしまう。
だが、バッターボックスに立った以上、ここで引くわけにはいかない。
そう決心した俺は、バットを構える。
そして、思ったよりも速い速度で飛び出してくるボールに向かって、バットを振る――。
カンッ。
結果はファールボール。
しかも、ボールが前に飛ばず掠った程度のやつだ。
空振りではなかったが、ボールを前へはじき返せなかったという微妙過ぎる結果に、背中から変な汗が流れ落ちていく……。
「わぁ! すごいよたっくん! あんなに速いのに当たった!」
それでも、バットにボールが当たったことに大喜びしてくれるしーちゃん。
それは我ながらちょっと驚きではあったのだが、喜んでくれていることにほっとしている自分がいた。
しかし、こんな地方のバッティングセンターで、元国民的アイドルを大喜びさせている理由が、ただのファールボールというのも何とも情けないよな――。
だからここは、せめて一球ぐらいヒットを打ち返さないとなと俺は気合いを入れ直す。
そして二球目、今度はちゃんとバットの芯を捉えてボールを前へはじき返す。
しかしそれでも、ボールは所謂ゴロ。
これが野球の試合なら、内野選手に軽々とアウトにされる程度の弱い当たりだった。
「わぁ!! 前に飛んだ!!」
だがここでも、しーちゃんは大喜び。
後ろを向く余裕こそないが、ピョンピョンと飛び跳ねて喜んでくれている姿が想像できた。
そして俺は、今の一球で掴んだものがある。
小学生の頃と違い、高校生になった俺は孝之ほどではないが体格も大きくなっているのだ。
だから俺は、バットを少し短く持ち直す。
もう少しコンパクトなスイングで、上手く重心を乗せながらバットに当てることが出来れば、良い当たりも夢ではないかもしれないという実感が得られたのだ。
それから、空振りも含め十球目。
タイミングよく振り抜いたバットが、上手く芯でボールを捉える。
そしてそのままはじき返された打球は、高く弧を描き打ち上がると――、
ホームラン!!
なんとそのまま、ネットの上部にあるホームランの的へ奇跡的に命中したのであった。
「すごいすごい!! たっくん、ホームランだよ!!」
その声に振り向くと、そこには大喜びするしーちゃんと、ここバッティングセンターへ居合わせた人達の姿があった。
――え、野次馬!?
いやいや、野球素人の俺にどうして……と思ったが、どうやら俺ではなくこの場に居合わせているしーちゃんに気付いた人達が集まってしまっていたようだ。
それでも、まさかのホームランを打ち上げた俺に対して、野球少年から大人までみんなが拍手で讃えてくれていた。
恥ずかしくなった俺は、苦笑いとともに会釈して応えるのだが、しーちゃんだけはその目をキラキラと輝かせながらずっと大喜びしてくれているのであった。
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