〈第4章〉 イベント日記(2)前

2.魂のデッサン(前)


二人による、二人のための、二人だけのイベント日記〈その2〉

【10月1X日(火曜日)】


 私は今日も、いつもの快速電車に飛び乗った。10時08分発上野行き。


 今日はトワの横顔デッサンの初日、気まぐれな秋の天気も味方した。上野公園のいつもの指定席で待ち合わせをした。

 私は、お気に入りのベンチに腰掛けて、後から来るトワのことを待ちに待った。


 そして待つこと20分、なかなか彼女は現れない。さらに20分が過ぎても一向にトワの姿はない。

 その時、ズボンのポケットで携帯のバイブが震えた。画面を開くと、着信はトワからのメールだった。


  ショウさま こんにちは

  急用が入っちゃって、少し遅れます

  ごめんなさいm(__)m  トワ

    ----END----


 すでに40分も待たされたというのに、さらに遅れる連絡だった。

 しかし私は、少しも不満を感じることはなかった。それどころか、待っている時間は楽しみでもあった。

 約束の時刻に一時間も遅れるというのは、少しは苛立つのが常人だが。私は、そんな気持ちは微塵みじんも抱かなかった。


そして待つこと一時間――――

「ゴメンナサイ! かなり待たせちゃったわねぇ・・・・・・」

 ようやく現れたトワは、すまなそうに腰を引いた。


「いやぁ、ほんの一時間だよ」

 私はさり気なく答えた。


「そんなにぃ? ごめんなさいね! 急に仕事の電話が入って、対応していたの・・・・・・。すると今度は、タクシーが、なかなか捕まらなくて・・・・・・。今日のわたしったら、もう最悪。ホントごめんなさい!」

 トワは、息を切らしながらの弁明であった。


「大丈夫だよ! ご心配なく。俺は、最高のひと時を過ごしていたから。うん!」

「なぜ、喜んでるの? あたし、こんなに遅れたのよ! 内心は、怒ってるんでしょ?」

 トワは眉をひそめて、首を傾げた。


「いやぁ、ホント、そんなこと、なーいよ」

 私はにこやかに返した。


「だってぇ、最高のひと時って何よ? わざと逆の態度を取って、抗議しているの? ホント謝るから、素直に言って、待ちくたびれたって・・・・・・」

 トワは、しかめていた眉を下げながら訴えてきた。


「本当だよ! 君を待っている時間は、もう最高のひと時さ・・・・・・。これが、逆だったら最悪だけど・・・・・・」

「ホント?」


「大好きなひとを待つのは、とっても楽しいひと時だよ。だって、待っている間の・・・・・・。うーん、この期待感が、たまらなくいい」


「期待感って?」

「今日は、どんなファッションで来るのかな? 今日は、どんな髪型だろう? 今日は、どんな素敵なトワに会えるのかな? 今日は、どんなこと話そうかな? 色々想像したり、想いを巡らせたり。それはもう、最高級のコニャックをゆっくり味わう時みたいに、格別のひと時さ・・・・・・」


「えぇ? それ、本心で言ってるの?」

 トワの大きな瞳は、半分とろけて涙目になった。


「もちろん、本心だよ! 君は、ここにちゃんと現れたし、もうそれだけで、最高に幸せさ・・・・・・。『幸せだなぁ! 君に会えるだけで、僕は幸せなんだ』なんてね! ちと古い歌みたい?」


「ありがとう! ショウさまったら、優し過ぎ・・・・・・」

 トワは感涙しており、人目が無ければ私の懐に飛び込みそうな勢いだった。


 この後私たちは、いつものベンチに腰掛けて、暫らくの間デッサンに励んだ。

 トワの背後を飾る不忍池の水面は、花は殆んど終わったが、大きな蓮の葉が辺り一面埋め尽くし、まるで極楽浄土を想わせる。


 トワは、少しも動じず黙ってモデルに耐えてくれている。その姿を見つめながら、感謝の気持ちをたっぷり込めて絵筆を走らせた。


 トワの長く美しい黒髪は、爽やかな秋の微風そよかぜに揺れている。その揺れる黒髪は、私の恋心をより一層揺さぶるのだった。


 鮮やかな茜色に染まっていた西の空が色褪せたころ、デッサンを切り上げた。

「ありがとう! トワさん。今日はここまでだ・・・・・・」

 私は両腕を上げて、大きく背伸びをした。


「お疲れさま! ちょっと見せてぇ?」

 トワは、嬉しそうにキャンバスまで駆け寄ってきた。


「まだ、ほんの下絵だよ」

「まあー、とってもステキね!」

 トワは、大いに喜んでくれた。


「君こそ、ありがとう!」

「モノトーンの渋味というのか・・・・・・。頑張ったわね」

 トワは、疲れた顔一つ見せることもなく、私にねぎらいの言葉まで掛けてくれた。

 

      ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

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