北の嵐
1942年6月18日アリューシャン列島近海
白波沸き立つ波濤を蹴って、威勢よく進む駆逐隊はこの北方海域の少数派の海軍である。
堂々と、というには頼りないロシア海軍旗を翻らせ、艦尾に精一杯の自己主張たるキリル文字の艦名がたびたび波にのまれつつ未だ真新しい文字をかすめさせている。
<ボイキイ>と書かれたその船はここ数年で急いで実戦に備えて改修され、補修された。
忘れられた記憶の冷凍庫、アラスカでこのまま立ち枯れすることを望まれ‐‐ソ連太平洋艦隊以外から‐‐ているこの海軍は大騒ぎだ。
3年前に買った日本製の大型嚮導駆逐艦まで持ち出し”ロシア海軍”の大半が港を出ている。
「お寒い海軍とお寒い気温だ・・・」
見張り員のサルコフは赤い顔をしながら愚痴をこぼした。
なにせ彼はアメリカから、あのイカレた合衆国から逃げてきたのだ。
連中赤狩りとしてスラブ系を強制収容しだした、クソメキシコのクソトロツキーめ!お前のせいだぞ、まあアイツはユダヤだけど。
そんな気晴らしをしないとやってられない気分だ、我が海軍主力は要するに駆逐隊規模が精々なのに誰が演習などぶち上げた!
再度塗装して補修して送り出すためにどれだけかかったと思ってんだ、こいつらはアンカレッジの近くで水浴びしてりゃいいんだよ!
彼に冷や水を浴びせるように旗艦の<ブルヌイ>が駆け抜けていく。
まて、なんで<ブルヌイ>が追い抜かれてんだ!?
くそう、隊列なんてあったもんじゃねえや!
「ひでえや、これじゃヴァリャーグ時代のが良いんじゃねえか」
そう思いながら彼は艦首方向をみた、案外日本製の旗艦は早いらしい、ぐんぐん進んでいる。
<ブルヌイ>は日本製らしい連装砲塔の主砲が・・・無い。
慌てて双眼鏡を見る。
追い抜いていった駆逐艦は後部前部二基ずつの単装主砲塔で、星条旗を伴っていった。
「右舷合衆国駆逐艦、異常接近」
「あー、後方から大型反応・・・サイズ・・・おそらく巡洋艦。なお反応増大中・・・」
「合衆国駆逐艦から発光信号!”我が艦隊針路から退去せよ、艦隊主力間もなく通過”」
「面舵!喧嘩なんかできんぞ!ちくしょう」
艦長の嫌そうな命令が出た、全員安心している。
ここで「栄光あるロシア軍人は」とか抜かしたらぶっ殺されることを理解している。
少なくともアラスカまで逃げれた白系軍人ではあるらしい。
「戦艦だ・・・」
サルコフは唖然とした、それは排水量六万トン超えの合衆国海軍秘蔵のエーギル級戦艦の横姿であった。
18インチ主砲に16インチ副砲、両用砲の山々にトゲの如き機銃群が載った黒鉄の城は正しくマチズモの権化である。
魚雷があれば打撃になるだろうけど、そんなもん積んじゃあいない。
贅沢な海軍が通り抜けるのを横目にしながら、艦長はある手段に出ていた。
アッツ島の警備隊に、日本へ警戒情報を横流しさせたのである。
艦長にはこんなみみっちい海軍であっても、馬鹿にされて黙る気は無かった。
ー
1時間後、東京
海軍はあまりの報せにどうしたものか空を仰いでいた。
艦隊の大半は大宮島とサイパンで中部太平洋の制海権巡って殴り合いだ。
南部連合テキサス油田から届いてる石油は英領パナマ経由で豪州へ、そしてシンガポールから日本へ伸びている。
本来なら中東石油輸送路も加わりまさしく日本の大動脈であるはずだった、しかしエチオピアやソマリアを根拠地とした派遣アデン合衆国戦隊(日本海軍はア特戦と呼称)が、しつこく嫌がらせをして石油油槽船を臨検している。
そして、時々だがこの周辺の漁船は度々格安のイタリア製やアメリカ合衆国製機関砲を装備して海賊行為をしていた。
無論石油の補給線は英海軍が”中立パトロール”として護衛しているわけだが、流石に北は寝耳に水である、そりゃあなんも・・・ケレンスキーが狂気になろうと脅威にはならないからそうなのだが、考えられていない。
日本海北部と対潜警戒作戦以外北部海域の脅威を論じる者が居ないのが常識だったから仕方ない。
だがいつだって常識は覆されるためにある。
「いまこそ基地航空隊の総力を」
統合されて早数年の市ヶ谷の司令部会議室では幕僚たちが緊急対応案をひねり出す。
「出来るわけないだろパイロットも機体も無いよ!」
「やっぱ去年にかけて溶かし過ぎたよな」
陸攻隊は中部太平洋でやることが多すぎた、1式陸攻は全力生産された端から前線送りである。
艦攻と艦爆も再編中のただなかにあり、そうなってくると本気で打つ手がない。
取り敢えず慌てて魚雷艇や陸軍の航空隊を配置したり、警備隊に慌てて警戒配置を命じている。
「陸軍部隊の展開は大丈夫なんだろうな、皇国本土に敵の跳梁など」
海軍幕僚の不安げな意見に、服部卓四郎の鋭い視線が向く。
「襲撃であって上陸ではありませんよ」
兵站が維持できない上に包囲下に置かれる以上、意味が無いからだ。
特殊作戦部隊の侵入も論外、犠牲確実な作戦にゴーサインはよほど頭が茹だってないと通るわけない。
石原莞爾が入室し、議場は静まった。
「”臨時本土防衛部隊司令官”の石原だ」
陸軍幕僚の何人かが目頭を抑えてため息をついた。
ー
1942年6月25日、福島県沿岸
石原莞爾は眼前の光景に、何かをしくじったと思った。
機雷の空中散布による航路への抑止と沿岸へ押し付けるように誘導したのはうまくいったのだが、そこ以降がおかしくなった。
夕方から爆撃機を動員して焼夷弾ぶち込んだのはいいが、目の前の戦艦は効く訳もない。
「だめだだめだ、いくら炙ってもむりだな」
近隣の山から標的を見ながら、石原莞爾はつぶやいた。
流石の陸大でもこんなこと想定してない、仕方ないから要塞と考えてみることにしたが洒落にならん大要塞じゃないか!
<ニョルズ>による横須賀港湾への艦砲射撃による後方かく乱。
それについては妥当な計画だったのだが、なりふり構わず総動員した日本軍の総力攻撃が押し寄せた。
北海道近海で旧式駆逐艦何隻と魚雷艇集団を、陸軍北部方面航空部隊の総力を挙げて空海あげての総攻撃を敢行した。
しかしながら航空攻撃は陸軍が対艦攻撃を殆ど訓練どころか用法も知らない為、予定通り賑やかしレベルだったのだが、旧式駆逐艦を薄暮突撃した際に奇跡か事故かが起こった。
駆逐艦が命令を曲解し、事実上の腹切りと同意語と確信した。
結果石原が「数回は再補給させて適時魚雷ばら撒かせる」という計画は破綻し、飛び出した魚雷は殆ど外れた。
ただ二本、よりにもよって<ニョルズ>の左舷に刺さった以外は。
1発は刺さったせいで信管がひしゃげた為、不発だったが、もう一発は推進機軸の左2軸を消滅させた。
そのせいで<ニョルズ>は蛇行と迷走の寸前を努力しつつ、戦列から落伍しないよう必死に這い進んだ。
危機感の中の部隊では常に友情と敬愛が生まれる、いつしか作戦目的がすり替わる。
戦艦<ニョルズ>を東京へ!
作戦目的のための手段が目的へ昇進した。
悲壮感という天然の麻薬が戦略構想を破壊していく、合衆国海軍はこの作戦で戦力集中競争に勝利しようと企んでいたというのに!
よりにもよって、いや、だからこそかもしれないが、戦艦<ニョルズ>は非合理的理由で突入を図らんとしていた。
だが流石に6万トン超えの巨大戦艦を応急修理で動かせるわけがなく、しかも新型であるから猶更、破断界がきた。
ついに彼女は福島沿岸へ乗り上げた、一部若年兵と負傷兵が夜陰に紛れて友軍駆逐艦たちに連れて行かせたと言う知らせが入ると日本側は天を仰いだ。
奴ら絶対降伏しない、それは分かった。
次に陸軍が考えたのは"日干しにしちまえ"と言う案、どのみち自滅するだろうという判断である。
海軍から「北から来ている以上飯も燃料もたっぷり積んでるだろう、補給の機会も困難さも桁違いだし」と情報提供されるまで事態は明るく思えた。
次に海軍が思ったのは「別に放置しちゃダメか?」と言う意見、陸軍から「ゲリコマ化した連中が東北地方に散ったら目も当てられない」と資料出されて黙りこくる。
陸海揃って空仰ぎ、そして天から届くは「どうすんだ」の玉の声。
匙投げとばかしに陸軍が「化学兵器だめ?」と聞くが、この時期の海軍は各国で「危険物火災における有毒ガス」が研究論題に上がったせいでロシア海軍ですらマスクをつける世の中になっている、そもそもガスは民兵くらいにしか使い道がない事をイタリア人が明らかにしている。
次に石原莞爾は火炙りを試したが普通に一部しか燃えないし消されている、ただ単に炙っただけだ、イカ相手にしかうまく行かんだろう。
3日前の思いつきよりマシではあった、丘の裏から迫撃砲撃ったらその丘が弾け飛んでしまった。
砲兵も砲もえらい騒ぎになり、砲兵は「あんな大砲相手は勝負にならん」と悔し泣きである。
合衆国海軍がなんとかイ号潜水艦と入湯上陸打ち切られて全力出航した横須賀鎮守府総力による雷撃と砲撃、そして陸軍機の猛攻に対空弾薬が品切れし、艦隊随伴の油槽船を失い航続能力限界から撤退した事が尚更日本軍の気を重くさせていた。
疲れ切った指導部は、暴論を持ち出した。
あんなでかいのと殴り合えるような戦艦出しちまえ、未完?だからなに?
艤装未了の<武蔵>と慣熟してない<大和>を引き摺り出した日本海軍は、この歴史上の珍事を漸く解決策として奏上した。
工員を乗せてるどころか工員に砲の操作やら艦橋の細々としたアレコレをやらせて、正規の水兵のが少ないような暴挙に最初は全員鼻白んだ。
しかしながら会議室で「もう無いだろ他の手段!一体どんな策がある、ありはしませんよ!」とキレる参謀の怒声は対案がないことに気づいた全員を黙らせた。
それに、動かない標的への艦砲射撃なら確かに危険は少ないことにも。
確実にそれを実現するべく、それは夜半に始められた。
日本陸軍の貴重極まる電子車両を近くの山へと持ち込み、観測陣地を設営、観測機から三角測量して概ね正しい数字を出して、翌朝に距離3万から試射を開始した。
「計算出来ればユダヤも黒人も知らんから連れてこい」と彼我の数字を割り出すために学者まで戦艦に載せ、打ち出された砲弾は概ね六斉射目でついに近弾から夾叉へ変貌した。
三斉射目など誤射寸前であった、徹甲弾だから陸兵が弾け飛ぶ事はなかったが代わりにしばらく何十人かが数ヶ月ばかし平衡感覚を狂わされてしまった。
斉射すること八回目、完璧な弾道を描いた3発の砲弾が<ニョルズ>第四砲塔上部から後部艦橋へのラインへ飛び込んだ。
1発は第四砲塔にブッ刺さってなんとか不発、3発目は後部艦橋基部にめり込んだので派手ではあるがまだ軽傷と言うべき類い、問題は2発目である。
よりにもよって2発目が飛び込んだのは後部主砲塔二基を支える弾薬庫の一つ。
そしてこの2発目は信管が、きっちりとした工員によって正確に作られていた、飛び込んだ徹甲弾は、その破壊力を撒き散らし、副次効果の震動は衝撃波がそうであるように次々と波及した。
何故ならこの船は座礁して大地と触れ合い、海は衝撃波を吸ってくれなかったからである。
突き刺さった魚雷が信管を再起動させるに十分な衝撃波が及んだ。
そこからの<ニョルズ>は事態が実は二種類進行している事実を気付く前に大きな混乱が生まれていた。
何せ下層区域が事実上用無しとなって水兵は駆り出されていたし、彼らにとっては敵大型火砲の遠距離攻撃--彼らは恐らく日本軍列車砲と推測していた--による観測射撃を警戒して観測地点候補をしらみ潰ししていた。
効果はあった、観測地点2号はこれで跡形残らず消えてしまったし、1号も負傷多数の上機材を失った。
だが観測地点1号は撃たれる前に「座標そのまま効力射撃」を要請し、海軍はそれを「斉発やめ、各砲全力射撃」と伝えていた。
15発目の46サンチ砲弾が、遂に<ニョルズ>から戦闘能力を奪った。
戦闘能力喪失、戦闘続行の意義と能力がない事を観念した為、夜半に乗員たちは短艇を使い離脱を図ったが、その後海上自衛隊の海防艦に御用となって投降した。
皮肉な事に、彼らは合衆国海軍の捕虜としては最大限の待遇と呼ぶべき物で戦後を待つ事になる。
なお戦後数十年経ってこの事実を基にした戦争映画が上映されたが、戦後の前に<ニョルズ>は解体されてしまった。
いまは当時の事を物語る慰霊碑と、砲身と錨だけが其処に保存されている。
無論地元住民からは「あれのせいで油汚染がひどいんだ」とか「金属汚染が嫌なんだよね」だの「田畑に重金属撒きやがって!」とかなり嫌われているので、あるだけ感謝するべきなのだろう。
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