ケンタッキー・バージニア攻勢

我々は羊の群れ、牛の群れ、人々を導く。

私を導くか私に続くか、それが出来ないならそこを退け!

-ジョージ・S・パットン-


アトランタへの攻撃計画 電子百科事典


・アトランタへの前哨戦[編集]


5月3日から各戦線で探索攻撃を開始した合衆国軍ポトマック作戦集団は、コートニー・ホッジス司令官の連合国軍バージニア方面軍と交戦を開始した。

威力偵察と擾乱攻撃をしたのち、まず合衆国ポトマック作戦集団の構成軸は確保したリッチモンドを起点に前線を伸ばし始める。

ブルース・C・クラークの率いるポトマック作戦集団の機甲戦闘群パンツァー・カンプグルッペが大西洋へ進撃していく。

沿岸部まで打通して連合国軍の一部を包囲殲滅、それによって更なる兵力差を作り出そうと言う極めて常識的な作戦計画だった。

ホッジスはこれに対し、予備兵力を投入しつつ沿岸部からの一部後退を検討し始めた。

しかしバージニア州の森林地帯が敵機甲軍の跳梁をあまり許さないと言う点から後退は行き過ぎた判断だと見解が出た上に、前線の予備部隊が展開を間に合わせたことにより後退は取りやめた。


・連合国軍のアトランタ後退[編集]


この時点でバージニア前線の連合国軍の比率は危険な偏重を見せていた。

予備兵力の集中と、後退を断念したが為に、前線兵力割合は仮に総戦力を10とすると、これまで3・3・2の前線兵力に2の予備兵力だったがこれが3・2・4へ変容した。

ロバート・W・ハスブルック少将の率いる第7機甲師団を中心とする機甲戦力がブラッドレーの作戦計画に基づいて、膨大な火力集中をぶちかまして連合国軍の偏重した前線をぶち壊したのである。

合衆国軍にとって「作戦第一段階に釣られず敵が整然と後退したら楽ができる」、「釣られて現状陣地固守を判断すれば包囲撃滅を狙う」と言うどちらにせよ両得な作戦計画だったのだ。


ホッジスの隷下にあった戦車兵たちは合衆国軍のM4シャーマン戦車を「図体でかいストーブ」と呼んでいたが、今回は状況が変わった。

新型76mm長砲身を装備した"ロングノース"が現れたのである。

M3リー戦車はタングステンの不足という点(あまりに莫大な工業力の維持に回された)から、新型徹甲弾の配給が乏しく50mm弾は容易く傾斜した砲塔に弾かれていたので、距離を保ちつつ応戦する防御戦では連合国軍の戦車戦力の優位性は大きかった。

それが崩れたのである。

ドイツ製の長砲身は東部戦線で多数のT-34とKV戦車を吹き飛ばしていたし、弾道が垂れ辛い高初速を持っていた。

合衆国軍との戦車戦が普段よりキルレートで負け始めた事は前線将兵に圧倒され始め、前線の士気を揺るがし始めた。

さらに事態を揺るがしたのは、合衆国軍機甲戦力に混じった突撃砲の出現だった。

ドイツ軍向けに生産を代行していた突撃砲を試験的に合衆国軍が投入し始めたのである。

これを有機的に運用し、しかも車高の低さを活かして火力支援に徹するこれらは未知の敵であった。

クレイトン・エイブラムス大佐率いる装甲連隊は前線陣地を突撃砲で、連合国軍戦車隊を新型戦車で蹴散らし、二度反撃を挑んだ連合国軍を弾き返した。

二度目の反撃に際してはM3リー戦車15両を基幹とする反撃作戦が行われたが9両が撃破されて、むしろ追い立てられて前線がさらに崩れた。

こうなっては前線は維持できず、ついに連合国軍は戦線を大規模に縮小せざるを得なくなった。


・遅滞戦[編集]


前線が後退し始めた事でこれまで地上対空火力と邀撃戦闘機の脅威から動きが鈍っていた合衆国軍航空戦力は活動を再開した。

対空火力の傘から漏れ出た連合国軍の部隊は戦闘爆撃機の猛撃を受けて摩り下ろされ、後退途中にホッジス司令官以下幕僚団の段列に空爆を受けて一時的に指揮が破綻した。

後退は悲劇になり、惨劇に変容してしまい秩序だった後退が敗走になり、敗走が潰走へ変容した。

連合国軍総司令部はマシュー・リッジウェイを呼び出し、彼の空中機動展開部隊、即ち試験的に編成されていた空挺連隊2個をアトランタ防衛に投入した。

即座にニューオーリンズを出撃した連合国軍空挺旅団はアトランタ防衛の遅滞戦闘の為グライダー降下させ、対戦車砲などでノースカロライナ・サウスカロライナ州境に応急陣地を構築した。


連合国CNNConfederation NEWS Network製作ドキュメンタリー本 《あの戦争はなんだったのか。》製作1968年


【シャーロットの空挺隊】


取材に応じてくれた方には元合衆国兵もいた、今回取材に応じてくれたのはかつての合衆国陸軍戦車将校、そして当時の空挺隊の隊員の会談の場を作る事が出来た。

黒い大きなサングラスをかけ、肌は連日の畑の仕事で小麦色になっているが、筋肉や顔つきからかつて軍人だった事がよく分かる。

彼らは当時の事を懐かしげに語る、戦争があんな陰惨な出来事に至ると当時誰もが思わなかったのが、よくわかる。


「私の所属していた戦車中隊が君達の前衛と会敵し始めたのは、確か11時20分から40分だったな」

「えぇ、我々が降下展開した3時間後ですね」

「そう、重装備を載せたグライダーは既に偵察機が見つけていた。触接を保てなかったがね」

「確か撃墜されましたがイジェクトしてましたよ、パラシュートは開いてました」(1*)


正直言って取っ組み合いを始めなかったのは私にとって安心だった。

"米帝"ISAのシンパじゃないのは理解していたが、拗れすぎた南北対立が酷いものじゃないと誰が言えるだろう。


「シャーロットへ展開する以上街道線を確保せねばならない、これが絶対条件だった。

実の所、あの時点でシャーロットから先に行けるかはかなり希望的観測だと考えられていたんだ」


意外な事実を彼は暴露した。


「行軍における疲労かい?」

「その通り。」

「やっぱり」


行軍における疲労、人間が軍隊を構成する以上それは避けられない。

昨今の装甲戦闘補助装具パワーアーマーが前線に投入され始めても、いやそれ故に行軍の疲労はより重くのしかかっている。

よく歩く兵隊が最良の兵隊というナポレオンの認識は恐らく不変だろうと彼は語る。


「戦車の脱落もなんだが、一番困ったのは機械化歩兵が疲れ果てていた。

今もそうだと思うが、装甲車は何時間も乗りたいものじゃない。

尻は痛いし、酔うし、ハーフトラックは壊れやすい」

「あぁ全くその通り、現代も変わらずね」

「仕方ないからタンクデサントさせたが、暑いとブーたれるんだよ」

「無理もない、私はタンクデサントした際落ちかけた」


彼らは会敵地点の地図を見ながら、交戦について語ってくれた。


「偵察機の報告を聞いて抵抗線を観測した以上、我々は交戦するしかない。

ただあの時、連続出撃の限界が航空戦力に達していた。

全体的に攻勢の限界だったが、装備の軽装な軽歩兵ライトライフルメンならどうにかなると判断された。」

「だからあんなに最初は熱烈に格闘戦を挑んだのか」

「その通り、機械化歩兵で押し込めると判断されていた」


戦場で誤算と誤断が連続していた。

機械化歩兵は陣地に正面から強襲攻撃を挑んだが、結果は散々だった。

相手は空挺隊だったのだから。


「二度目の突撃が失敗に終わった際に、負傷兵の捕虜が後送された。

彼の肩章はなかったが、空挺の白いスカーフは一部が血で滲んでいたが残っていた。

誰が気付いたか分からないが、目敏い奴が即座に報告したらしい」


合衆国陸軍の第一波攻撃はシャーロット前面で一時停止した。


(1*:国防省記録によるとパイロット脱出に際して首の骨を折っていた)


【人的資源】


連合国人的資源委員会、1878年創設のこの委員会は事実上政府省庁を超える権限があると言われている。

人間の分配についての研究を常に考える部署で、軍と政府に意見を述べるのが仕事だ。


「あの時期の連合国軍は酷いものでした、即応予備役の第一次動員と予備役でかろうじて維持されていた」


かつての委員の一人である彼女は当時の人的資源の事を話してくれた。


「軍の中には動員予備部隊というのが幾つかあります、基幹の本部部隊だけ存在してるような連中です。

その動員予備部隊は殆ど使い果たされ、消滅しかかっていました。

予算削減でそう言った基幹部隊を縮小し暫時機械化兵団に予算を振り向けるというのが方針でしたがね、そんな良いもん出来やしなかった」


彼女はなんとも困った顔をして、ため息をついた。


「戦前に動員予備部隊縮小が進んでないと言ったら、軍は困った顔で"動員計画の修正が済んでないからまだ出来ない"って言うんですよ。

困った事に機械化部隊を進めていたアイゼンハウワー将軍はともかく、スタンレイ准将は国境紛争のゴタゴタがありましたし、ああいう動員予備部隊だと主戦派って珍しく無いので、したがって機械化閥を敵対視してました」


主戦派というのは複雑な意味を持つ。

地位向上のポストを増やすために軍拡を求める者、神の奇跡があると信じる者、世界を巻き込んで殴れば合衆国を蹴り殺せると考える者。

おおむねは一番最初の思考だ、軍隊は結局武装せる役所であり、役人が求めるのはいつだってポストだ。


「ただ遂に彼らも危機感を抱いたんでしょう、合衆国のケンタッキー・バージニア攻勢はその脆弱さを余りに見せつけました。

 大統領はそれを武器に、まず国内の極右や主戦派の連中を粛清しちゃったんです。

 ただまあ、これのせいで後々面倒が・・・ほら・・・スタンレイ将軍によるテロル狩りとかが・・・」


彼女は少し濁した。

連合国陸軍内部における主戦派や極右思想兵士による捕虜虐殺事件とその追求に於ける苛烈な取り締まりの事を言っている。

スタンレイ将軍は捕虜虐殺を調査し、何名かの主犯格を"吊るした"事件だ。

通常、軍事裁判法規では銃殺刑が死刑執行手段だがスタンレイ将軍が「善なるものには善法で報いるべきであり、悪人には悪法で報いられる」と簡潔に叩き切ってしまい、更に反対派を「この様な軍人が存在してはならない、まして彼は軍に服せず命令を無視したのだからテロリストと同義語だ」と言って見せた。

その為6名の奇妙な果実が実ったわけである。

最終的に1963年に機密指定解除で従軍記者が告発し、議会で公聴会が開かれたがスタンレイは淡々と語り、驚いた事に「正統な法執行を曲解して捏造した挙句名誉を毀損し、軍の活動を妨害したばかりが軍を退いた個人に対する誹謗中傷である」と誣告罪で逆告訴して勝利した。

当時インドシナ半島での武力紛争の時期であったから、マスコミは良い顔をしなかったがスタンレイにそれ以上何も言わなくなった、軍人がただ殴られてるだけでは無いと知って怖くなったのである。


「まあ、それはそれとして、これによって速やかな第二次動員を発令出来たのです。

我々の仕事はそこからが大変になります、職場から戦場に行った後の生産効率の観点を把握していかなきゃいけないんですから・・・」


それを言うと、彼女はふと思い出したかのように言った。


「そう言えば、合衆国の動員や人的資源の管理はどうなってたんでしょうね。

・・・ああいけない、話がまた逸れる」


記録証言者:アズテクCEO、オリスカニー氏

(当時人的資源委員会動員担当部委員)



合衆国は戦果に満足し、攻勢を一旦取りやめた。

既に敵軍の予備兵力が底が見えている事実を確認出来たし、今無理に突入を図って人命を損なうより今のうちに伸びた補給線や野戦病院の延伸をしなくてはならなかった。

彼らは現地土建企業を動員させ、現地インフラ復興を合衆国軍と占領市民の混在で行わせた。

これは軍政担当宣撫班による考えで、こうして双方の戦闘に関わりが薄い部門で顔を合わせておかせる事で敵という非人間的感性を薄める目的があった。

効果については論争が絶えないが、戦後連合国に於ける映画作品でこの時期を舞台にした所謂ロミオとジュリエット風の作品が多数生まれている。


しかしただ座して待つほど、合衆国軍は暇を楽しむつもりも無かった。

彼らは州軍中心のカンザス州方面などから圧迫をかけ続け始める。

その圧迫を援護するべく、ブラッドレー将軍は連合国の戦闘団の編成を模倣し、LR長距離侵攻型カンプグルッペを編成。

リッチモンド戦役での負傷が治り、作戦指揮も可能になったグラハム少佐をエイブラムス師団長から引き抜くと、彼にそのカンプグルッペの指揮を一任した。


合衆国軍は猟犬の率いる群れを敵地に送り込み、後方撹乱作戦を命令した。



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