The Best Year of Our Lives

トロツキーのいまいましい自伝を読んだ。

要するにこの本は、スターリンという悪人を槍玉に挙げて、自分の自慢話をするだけのものだと感じた。

私は若いころ、これと同じような論調を奴隷解放論者たちから散々聞かされていた。

-オリバー・W・ホームズJr.-


1937年4月9日午前6時30分、メーコン郊外


スタンレイとミナツキは郊外に転居し、ゆっくりと年金と手当から小さい牧場をしていた。

豊かでは無いが、貧困でも無かったし、貯金の蓄えは十分だった。

寡黙だが真面目な彼に近所の人間は不思議に感じていたが、彼の下で働いてる二人の従業員も雇い主をあまり悪く思ってなかった。

よく分からない人であるが、いい人ではあるんだろう。

午前9時から午後18時まで勤務すれば良い彼らは、少なくとも悪い職場では無い事に感謝していた。


「えへへ・・・」


寝息を立てて隣で寝ている小さな天使に、スタンレイは心の底から安心感と、自身の人間性の存在を実感出来た。

彼女は綺麗な肌も、くるんとした長い髪も、丸くゆるく感じる顔つきも好きだった。

自身にだけ愛の言葉を言ってくれる小さく可愛い唇も好きだった、自身の背中に抱きついてくれる掌も、スタンレイの胴体と比べるとあまりに小さい身体も好きだった。

自身の生きる価値、存在する価値がそこにあった。

スタンレイはかつて父の言う「命の優先価値」と言う意見が単なる差別主義的言い分か何かだったのか分からなかったが、今はどこか分かった。

要するに、主観的に言えば命の価値が平等なわけないと言う事だ。


「ふぁ〜・・・あれ、起きちゃいました?」


こくりと身体を起こして、登り出した朝日に彼女の上半身が照らされる。

小さな双丘と曲線が織りなすある種の芸術的シルエットを眺め、スタンレイもゆっくりと起き上がった。


「いや、その少し前からだ・・・ミナツキ、体調は大丈夫か?」


スタンレイが起き上がってシャツを着て、ミナツキに上着を渡す。

ここ2日、あんまり体調が良くないと彼女が言う。

それがスタンレイにとって唯一の不安材料だった。


「少し気だるい感じです、でも風邪じゃないと思います」


ミナツキの首が傾げられ、ふと思考を別のところに向けて考える。


「・・・そう言えば月のものが変です」

「そうかぁ・・・あ!?」


スタンレイは、合衆国軍の隙を見つけた時に負けないほどに声を上げた。

ミナツキが身体を「ひゃん」と声をあげて震わせ、スタンレイが破顔した。

一瞬遅れて、ミナツキも驚いた理由が分かった。

子供が出来た、スタンレイは不安も幾つかあったが、心から嬉しくあった。

自分が欠けている人間である恐怖心から、永遠に解放してくれるとすればこの小さな天使と、その子供しか居ないだろう。

彼はワクワクとした顔で、今日の仕事を一旦休みにした。

産婦人科の待合室で詳しい診断を待つ彼の耳に、第70帝国議会で濱田議員の答弁に対し寺内陸相が水掛け論的な答弁をして大荒れした事が問題視されて陸相解任と言う結果になった事も気にされなかった。

スタンレイの脳内で目下の課題は、子供を迎えるにあたっての計画だった。


37年5月12日


少し大きくなったミナツキのお腹に、スタンレイが子供の存在を実感している頃。

日本の新首相近衛文麿が勝手にドイツに接近する路線を勝手におっ始めていた。

当然外務省はふざけるなと批判し、議員達はいきなり無責任に何をやるんだと呆れていた。

元同盟国たるイギリスは怒りと呆れが入り混じった顔をするしかなく、ボールドウィン首相はこの暴走問題児に関わりたくなかった。

もう既に問題児たる国王、エドワード八世で十分堪能したから相手したくないのだ。


近衛文麿は自分の中では最高の戦略を持って好き勝手に暴走し始め、ついにはフィンランドやポーランド・トルコ地域への介入を開始する。

トルコはついにラク飲み過ぎから臨終したケマルの遺言から欧州の戦に関わる事になると丁重に断ったが、問題はフィンランドとポーランドだった。

シベリア出兵の孤児救出とダダイストたるポーランド人数学者達に日本陸軍は大きな貸し借りの関係が存在し、フィンランドは内戦の影響もあって軍事支援を求めていた。

大量の旧式アリサカが払い下げされ、取扱に関する技術者が送り込まれたがこれに対してドイツが憤慨した。

近衛文麿は自分が何をしているか全くわかってなかった、ドイツの盟主としてのメンツを潰した上に勝手にアレコレ進めて文句を言われないわけがない。

近衛文麿はなんで自分が就任して以来英独からどんどん白眼視されてるのか、全く理解できなかった。

彼の中ではソ蒙相互援助協定による蒙古への軍事支援に関しての牽制の政策のつもりでしかなかった、そんな文句を言われるはずがない、そう言うはずだった。


1937年7月28日、合衆国


ペンシルバニア州の山岳の地下に新しく国防総省指揮所、通称レイヴンロックを建設開始し、優秀船舶助成制度による高性能商船を推奨し始めていた。

1937年6月、遂に王位から強引に退場する事になったエドワード8世から王弟アルバート、現在ではジョージ6世の記念観艦式は全て合わせて60隻程度に終わり、一応の賓客として参加したドイツやイタリア艦艇も参加している。

これに危機感を抱いた合衆国は、ヴィンソン計画の本命、すなわち海軍大軍拡を開始した。

新型戦艦のテストヘッド兼実現可能性を模索する改コロラド級標準戦艦が着工され、50口径16インチ三連装主砲を搭載する新設計戦艦も進んでいた。

先の武力衝突の失敗を「対連合自衛紛争」と自称し、あくまで連合の陰謀と信じ込ませ、更なる武力闘争路線を行う。


しかし、海軍作戦部の悩みは尽きなかった。

本来ならモンタナかアイオワと名付けられるはずだった戦艦は、ペリー大統領らファシストの横槍でエイギル級として改名されたり、32年軍拡で作ったヨークタウン級発展型空母のエセックス級と呼ぶはずの新型空母はラズーリ級に変更させられた。

ファシストに対して軍部内で最も冷ややかなアメリカ合衆国海軍は、予算が増えたが余計な口出しして煩いアイツらと政府を見ていたのだ。

その内戦艦<アドルフ>だのに載せられるのかと悲観主義者が嘆く中、一部の将官達は不可思議な疑問も持っていた。

なんでかリンドバーグが海軍空母について大きく支援し、海軍航空戦力の後ろ盾になってくれていた。

何故飛行家であっても航空戦力の素人たる彼が、航空戦力の必要性を支援してくれるか全くわからなかった。


リンドバーグは日本の艦隊に対抗するには航空戦力こそが要点になるだろうと、作戦部の戦略をよく理解していた。

或いは航空パイロットとしての功績から来るセクショナリズムの一形態か、彼の友人ゲーリングが艦載機も空軍管轄にする口実作りに利用されているだけかも知れないが、海軍艦載機の開発は大きく進んでいった。

まずブルースター社のバッファローとグラマン社のワイルドキャットの選定がワイルドキャットの全面採用となったが、36年のスペイン内戦などでドイツが得た空戦の情報を元にしてさらに改良させ、折り畳み翼採用と火器の量を増やしたF4F-4に更新していった。

リンドバーグはロールアウトされた新型機のテストに参加して、試験パイロット達の話も含めて12.7mm二丁と7mm二丁の計四丁に設計を変更させた。

当初の12.7mm四丁は機体反動から当たりづらい上に、携行弾数が減ったと言う点から確実性を選んだのである。

スペイン内戦に於けるスペイン共和派のI-16モスカとの空戦経験の資料も彼の意見に現実味と妥当さを与えた事で、彼の意見は軍部の反感を感じさせなかった。

後々ワイルドキャットは名機として歴史に名を残していく事になるが、それは後々の話である。


このリンドバーグの介入は艦上攻撃機などにも及んだ、その大きな理由は仮想敵国日本の様子であった。

人種差別思想より現実性を見れる一部の人間たちにとって日本海軍は、アメリカに脅威を及ぼせる数少ない存在であった。

イギリス海洋政策によりスペインから剥ぎ取られた英連邦直轄のパナマ自治州の運河は、オルタナティブ・プランによってインドすら首輪をつけたとはいえ事実上独立させているイギリスが絶対手を離さない土地の一つであった。

フォークランド・パナマ・セイロン・シンガポール・香港を絶対に、絶対に、絶対に、渡さない。

それが海洋覇権国の政策である、当然日本と戦争をやると言う事はイギリスを巻き込み兼ねない事を意味するが、幸い日本の政治状況は不透明極まっている。

しかしそれでも太平洋艦隊だけで、帝国海軍と戦をすると言うのはリスクがある。

合衆国海軍がこの時期作成した戦争計画では日本海軍と沿岸航空基地などから総力で航空攻撃を行い、順次漸減して邀撃し戦艦と決戦する計画だったのだ。

だがその根幹を担うはずのテヴァステーター雷撃機に拡張性が乏しいのもあって、将来的艦上攻撃機製作計画を命令。

結果1940年11月までかかったものの、TBFアヴェンジャーが完成した。

ちなみにアヴェンジャーの由来は合衆国を世界の片隅に追いやった世界への復讐と言うプロパガンダ的理由も大きいと言われているが、軍縮条約の怨みだとも言われている。


どちらにせよ、アメリカ海軍の中にも怨みがある人間は大勢いるのである。


1937年8月22日


スタンレイはだんだんと大きくなる妻の腹部に、不思議な気分を感じていた。

待ち遠しくもあり、怖くもあり、嬉しくもあり、疑問もあった。

あのお腹に本当に子供がいるのかなあとふと思ったりしたりもした、陣地の向こうに敵がいるのは知っているが、お腹の中の子がどんな子か分からないなんて不思議極まる話だ、やはり世の中は不可思議に出来ていると心底思った。

それでも、彼は嬉しかった。

この頃になると彼の牧畜も良く育っており、数名の従業員たちも特に苦労する事もなかった、無論それは楽という訳ではない、日頃の管理が物を言うのはその通りだ。


「名前何にしようか」


彼の昨今の悩みはそれだった。

家庭における指導的役割はミナツキにあると言うのはそうだが、せめてこれに関しては自身の主張をしたくなる。

しかしながらいいものが思いつかないので、お互いどうしようか悩んでいる。

そもそも和名にするかどうかから始める必要が出てくるわけだ。


「どうしましょうかねぇ・・・」


ミナツキは最近よく辞書を読んでいる、当然理由は名前をどうするかである、それを終えればこの辞書はきっと本棚で埃を被るだろう。

昼食のコーンスープを飲みながら、スタンレイもどうしたものかと頭を悩ませている。

従業員のひとりのマイクと言う少し肥満気味の白人の男性が、笑って言った。


「ははは、将軍でも戦場じゃ悩まないのに子供の名前には手も足も出ないと言う訳ですか」

「まったくだ、戦場じゃ押す引く攻める守るの4択で良いからな」


スタンレイは言われてみれば馬鹿らしいと苦笑した。

従業員は皆スタンレイのことを将軍と呼んだ、スタンレイは最初の数週間で「准将だ」と訂正するのを諦めた、抵抗を断念したのだ。

この若干頭の弱い気があるマイクから言われた「准将と将軍、何が違うんでェ・・・」と言う言葉でアホらしくなった。


「でもまあ良い事ですよ!きっと女の子なら美人だ、男の子だったら将軍に似ます」

「なんてこった」


やれやれとスタンレイは呟き、遠くから聞こえるレシプロエンジンに気づいた。


「聞かないエンジン音だな、新型機か?」


彼の牧場から1.6キロほどいった場所に最近、農場を3つほど買い取って大きな飛行場が出来た。

そのため良く音が聞こえるのだ、従業員のシンと言う中華系の男は「あれが出来てから牛の様子が変わって困る」と嫌そうにしている。

そうは言っても国防上必要なんだから仕方ないとのもスタンレイは分かっていたが。


「あっ、多分スーパーマリンのスターフィッシュですよ!」


マイクが声を上げて、少し口調が速くなる。

彼は何故か軍属じゃないのに兵器などに詳しい、スタンレイより各国の兵器をよく知っている。


「スーパーマリン社の双発迎撃機を試験購入してるって話をこの前聞いたんすよ、多分それじゃないっすかね?

 爆撃機迎撃を主軸に置いてるって話で今年納入したホーカーのハリケーンと一緒に連合国空軍の邀撃戦力として運用する計画らしいんで」

「毎度思うが何処から聞いたんだそれ・・・」

「航空雑誌すよ、購読してます」


スタンレイは人間の熱意って凄いなあと感心しつつ、音がでかいのに気づいて言った。


「双発って事はデカイのに、迎撃に使うのか?前に見たブレニムとかはたしかに早かったが」

「あれは高速爆撃っすからね、何でも新型戦闘機のデザインとかを上手く使ってすごいらしいっすよ、こんな感じで」


そういうと彼は鉛筆と適当な紙で、サラッと絵を描いてみせた。

胴体は長めで、機首はボーファイターの機首を少し伸ばしたようで丸っこく愛嬌があり、尾翼はソ連のペシュカのようなH字型をしている。

エンジン配置は翼に積んだ二基のエンジンが、妙にでかい吸気口をつけている、まるでデカイ顎のようだ。


「大きな口してますね」


ミナツキがなんとも気の抜ける事をいうと、マイクが笑って言う。


「あぁ、要するにこれだけデカくないと冷却とかが追いつかないって事なんだと思いますよ、もしくは高い性能を活かす都合なんでしょうね」

「何にしてもあのデカイ音はもう少しなんとかならんのかねぇ」

「あれもあれで味があると思うんですけどねぇ・・・」


マイクはハインケル博士たちが進めているとかいうロケット推進機とか言う、新世代の航空機に採用されるだろうエンジンが気に食わなかった。


1938年2月14日、メーコン中央病院産婦人科


スタンレイはその日の大半を不安、焦燥、恐怖、そして期待をもって過ごしていた。

妻の陣痛が始まった時、彼は戦地にいるより果敢と迅速さを発揮させ、恐怖と戦っていた。

もし子供が、妻が、その両方が失われたら、彼は彼としての存在の証明を全て失う事を意味するのだ。

だから彼の耳にはフィンランドにソ連軍が武力行使を開始し、その結果近衛のアホの導火線が起爆してジューコフの率いるソ連極東軍が満州侵攻を開始した事も無視されていた。

ポーランドがヴィスワ川を境に再びその東岸を永久に失陥した先月の事も、バルト連合がソ連空軍機の首都侵入と旋回飛行により無条件降伏したことも、大して気にしなかった。

まあスタンレイ自身、大国同士の戦争が泥沼の長期戦だろうと予想していたのでさほど驚かなかったが。

ともかく、病院の待合室でただ寡黙に座り、目に殺気と狂気と憎悪に近い物を宿らせて座っている彼は、看護師にとっても恐ろしい存在であった。

外を出歩けば警察官たちが拳銃に手をかけてもおかしくはないだろう、実際、彼が呼び止めたタクシー運転手は生命の危険を感じ続けた。

彼が悪いんじゃない、顔が悪い。

だからこそ、恐がった新人看護師の頼みで師長が伝えに行くことになった。

この病院の師長は第一次大戦の塹壕戦を経験した日本人看護師隊の一人だった。


「ジョセフ・スタンレイさん?」

「はい?」


彼は緊張と恐怖を感じつつ、尋ねた。

戦争では全てを放棄する選択肢が常に存在する、全てが崩壊した場合であろうと司令官は降伏と逃亡という選択肢だけは残される。

だがこれにその選択肢はない、死神はいつだって聞き入れない。

そして、皺と経験した修羅場の数が多い師長は言った。


「終わりましたよ、お部屋に入られます?」

「無事なんですね?」


彼は縋る様に言った。

師長は少しキョトンとして、呆れて言う。


「今日日新生幼児死亡率なんて早々無いですよ、ワイマール共和国じゃあるまいし」


スタンレイは即座に、席を立って妻のところへ向かった。

心臓が高鳴り、軍楽隊の合唱の様に晴れやかに響き渡る。

Dixieの騒々しい歌声だろうと、今なら聖歌の様に聞こえる。

彼は病室の扉を嬉々として開けた。

ベッドには看護師や助産師と共に笑う妻と、その胸に抱かれた赤子がいた。

彼の久しく稼働していない顔の筋肉が、稼働する。


「生まれたんだな!」

「大きい声出しちゃダメですよ!」

「あっすまん」


ミナツキにそう言われて慌ててスタンレイは謝る。

彼の最高の財産がそこにあった、ミナツキの手に抱かれた赤子、彼のはじめての子供は娘だった。

名前は決まっている。


アルベマール。


スタンレイ・アルベマール。


私の髪色をした、妻に似た黒い瞳の赤子。

彼は、この日、自己の未来を始めて希望と展望を持って、見ることが出来る。

彼はこの子の未来を護らなくてはならない事を自覚し、強く、それを誇りに思った。

この世は素晴らしい、戦う価値がある。

この世界が好きだ、滅んでほしく無い。




私は生まれてきた、きみを知るために、きみの名前を呼ぶために、自由と。

-ポール・エリュアール制作、"自由''-

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