紅蓮の騎士対赤き竜妃
「…そうか、乗り越えてくれたか……」
対峙するヴェルハルトを前に、リカルドは何処か安堵したような表情を浮かべながら呟いていた。マルクが炎を纏う創魔を創喚したという事実は、彼が恐れていた炎を克服したということに他ならない。
それも、自分が守られるばかりの存在ではないと示すために。リカルドは感極まって涙腺が熱くなる感覚を覚えたが、溢れる前に素早く目尻を拭った。
出来る事ならば、すぐにでも戦いを終わらせて奮起したマルクを祝福したかったが、国王に彼を貴族として認めさせるための戦いで手を抜くことは許されない。むしろ、マルクが貴族として相応しい力を持っているという価値を最大限引き出さなければならない責務があった。
「ならば、マルク君の覚悟、この目で見届けさせてもらおう。シャクティ!」
リカルドの声に応え、シャクティが巨大な翼を羽ばたかせながら地を蹴った。舞台上に小規模な嵐を巻き起こしながらその巨体からは考えられないほどの機敏な動作で宙を舞い、一気にヴェルハルトへと距離を詰める。
「ヴェルハルトさん、来ます!」
とっさにマルクがそう言葉を発した時には、既にシャクティはその腕を振り上げていた。備えた鋭利な爪は赤熱して炎を帯び、四本の紅蓮の軌跡を描きながら鋼を引き裂く一撃が振り下ろされる。
並の創魔ならば、この一撃で致命傷は免れないだろう。だが、マルクの覚悟を乗せて創喚されたヴェルハルトが並の存在であるはずもなかった。
「おおおおッ!!」
気合いと共に掲げられたヴェルハルトの大楯が規格外のシャクティの一撃を受け止める。衝突の瞬間に火花が散り、突き抜けた衝撃によってヴェルハルトの足が舞台の石床を踏み抜いた。
だが、ヴェルハルトは倒れない。この圧倒的な体格差でありながら、難なくシャクティの一撃を受け止めてみせたのだ。
「おい、そこのキミ」
「は、はいっ!?」
その時、シャクティの腕を受け止めたまま、ヴェルハルトがマルクへと振り返る。その兜の中には、その壮年な声色に相応しい初老の一歩手前といった精悍な男性の顔があった。
「目覚めたばかりで全く事態が把握出来ないのだが……これは一体どういう状況だ?」
「す、すみません、突然でしたよね!ですが、今は説明している暇が……!」
「ああ、どうやらそうらしい。では、この場を乗り切った後でゆっくり聞かせてもらうとするか……!」
ヴェルハルトが埋没した右足を踏み込んだ瞬間、シャクティの巨体が後方へと押し返された。あれだけの一撃を受けていながら、大楯には僅かな歪みや傷も見受けられず、ヴェルハルトに疲弊した様子もない。
押し返されたことによって二歩、三歩と後退りしたシャクティは、すぐに体勢を立て直してヴェルハルトへと向き直った。
「これは驚いた。シャクティを真っ向から受け止めるとは。巨人族すら吹き飛ばすだけの衝撃はあったはずだが」
「ああ、それだけの威力は感じたとも。だが、私の盾は少々特別なのでな」
「はっはっはっ、さすがはマルク君の創魔だ。一筋縄ではいかないらしい。だが……私のシャクティも負けてはおらんよ」
直後、襲い掛かるシャクティとヴェルハルトによる壮絶な攻防が繰り広げられる。時雨のように降り注ぐ一撃必殺の爪牙をヴェルハルトは巧みに大楯で受け止め、受け流す。たった一度の攻撃も受けずに真っ向から立ち向かうその勇姿は冒険譚に出てくる勇者のように見えたが、戦いを見守るレティシアは歯痒そうに拳を握りしめる。
「何をしているのだアレは!先程から全く攻勢に移らんではないか……!」
レティシアの言う通り、シャクティの激しい攻撃を前にヴェルハルトは防戦一方であった。彼が手にしている大楯も用途は身を守るものであって攻撃には不向きだろう。
これはかなりの長期戦が予想される。レティシアがそう思ったその時、打ち下ろされるシャクティの腕によって僅かに体勢を崩したヴェルハルトの隙を突くように、シャクティの尻尾が薙ぎ払われる。
「ふん……っ!」
すぐに対応に、巨大な丸太のような尻尾の一撃を全身で受け止めるヴェルハルト。普通ならば吹き飛ばされてもおかしくない衝撃だったはずだが、彼は難なく受け止めーーー
「おおっ!?」
「ヴェルハルトさんっ!」
その時、ぐるりとシャクティの尻尾が蛇のようにヴェルハルトの身体に巻き付いた。鎧ごとヴェルハルトの身体をギチギチと締め上げる尻尾は彼の身体を軽々と持ち上げ、シャクティの眼前へと引き寄せる。
「ええい、何をしているのだ!油断しおって、あの老いぼれめ……!」
「レティシア君でも手を焼くシャクティの炎から、キミならばどう堪えるかね?さぁ……見せておくれ」
リカルドの言葉の終わりと共に、大きく開かれた真っ赤な口蓋の奥底から身動きの取れないヴェルハルトに向かって至近距離から紅蓮の業火が吐き出された。全ての存在を無へと帰す炎に呑まれ、ヴェルハルトの姿は一瞬にして見えなくなった。
まともに受ければ魂魄すら焼き払うほどの火炎。あまりにも呆気ない新参者の最期に、レティシアは苛立ちを隠しきれずに拳を地面に叩き付ける。
「ちっ……役不足だったか。やはり、ここは我が……っ」
マルクの奮起によって一度は希望を見出せたが、やはり守護者の一人に数えられるリカルドは生半可な相手ではないらしい。これはヴェルハルトが悪いと言うよりは相手が悪かったと言わざるを得ない。
もはや自分が戦線復帰する他ないと力の入らない身体に鞭打って立ち上がろうとしたレティシアだったが、それを制するようにマルクが彼女の肩に手を乗せた。
「なんだ、マルク。我の心配ならば不要だ。少し休めた。あれしきの相手、多少身体が動かずとも……」
「大丈夫ですよ、レティシアさん」
レティシアを見つめ、ハッキリとそう言い放つマルクの瞳はまだ諦めてはいなかった。状況は明らかに最悪のはずなのだが、今の彼からは微塵も不安は伝わってはこなかった。
「何が大丈夫だ。どう見ても終わりだろうが。多少期待出来るかと思ったが、まったくもって拍子抜けだ」
レティシアの言う通り、もはや彼の生存は絶望的。この戦いを見守る誰もがそう確信したことだろうーーーマルクとリカルドを覗いて。
「おおっ!?」
その時、炎を切り裂き飛来した大楯がシャクティの鼻先を直撃。甲高い金属音を響かせながら予想だにしない反撃を受けたシャクティが堪らず頭を庇うと同時に尻尾の締め付けが弛み、捕らわれていたヴェルハルトが地面に着地した。
「あれは……」
ヴェルハルトの姿を前に、レティシアが呟く。彼の生還に驚いているわけではない。彼の身に訪れた変化に思わず洩れたものであった。
ヴェルハルトの鎧はまるで赤熱したかのように真紅の光を帯び、鎧の表面に灯された炎がその規模を増して激しく燃え盛っていた。その様相は、まるで炎の翼を得たかのよう。天高く掲げたヴェルハルトの右腕は、まるで在るべき場所へ収まるように落下してきた大楯を受け止めた。
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