そして一人と一冊は

「あっ、よく聞こえませんでしたか?ですから、もしもレティシアさんがその魔導書から解放されたら僕の友達になってーーー」


『待て待て、聞こえなかったわけではない。貴様、脳内お花畑か?今の質素な生活を一変させることの出来る絶好の機会が目の前に転がっているのだぞ?それにも関わらず、何故そのようなふざけたことを願う?』


「僕としては、ふざけたお願いをしているつもりは無いんですけどね……」


『貴様はそうでなくとも、極めて不可解と言わざるを得ない。我はかつて、今の貴様と同様に我を手にしたヒトに対し同じことを問い掛けたが、誰もが己の欲望を露にさらなる繁栄を求めていたぞ』


あまりにもドライなレティシアの反応に苦笑いを浮かべるマルク。だが、それは彼女に限らず誰もがそう思ったことだろう。先ほどのマルクの願いは、まさに絶好の機会を溝に捨てるようなものだったからだ。


「おばあちゃんは今の生活を凄く気に入ってますし、僕も裕福になって王都で暮らしたいとも思いません。偉くなりたいとも思っていません。でも、ずっと友達が欲しいって思ってたんです。この村って僕と同世代くらいの子って一人もいないんですよ」


マルクくらいの年齢になる頃には、村の若者は王都や港町に出稼ぎに出てしまう。身体の弱いマルクはそれも叶わず、村に留まって祖母の手伝いをしているが、村人のほとんどとはかなり年が離れており、気楽に話せる間柄ではなかった。


新しい人生で家族は得られたが、変わらず友人は一人も出来ない。それがマルクの大きな悩みであった。


『友……友か……ううむ……』


「やっぱりダメ……ですか?」


『いや、良い悪いの問題ではない。仮に貴様と我が友になったとしよう。だが……友とは一体何をすればいいのだ?』


孤独歴で言えばマルクを遥かに越えるレティシアは、そもそも友人という概念自体が希薄であったらしい。


「そうですね……僕も想像でしかないのですが、一緒にお話ししたり、お出掛けしたり……かな?」


『ずいぶん抽象的だな。もっと具体的に説明をしろ。友になれば何について議論をし、何処へ行けばいい?』


「何でもいいんですよ。その時の気分でぶらぶら歩き回ったり、難しいことを考えずにくだらない事を話したり。そんな感じでいいんです」


『理解に苦しむ……ヒトとは本当に不可解な生物なのだな。いや、貴様が特殊なだけやもしれん……』


レティシアは困惑しているようだが、マルクは本気で真剣だった。再び沈黙するレティシアと、固唾を飲んで返答を待つマルク。


そして、彼女の出した結論はーーー


『…いいだろう。貴様が我の願いを叶えた暁には、貴様の友となってやる』


「ほ、本当ですか!?絶対、絶対ですよ!?僕、頑張って描きますから!」


『わかったわかった。まったく……仕方のない奴め』


椅子から飛び上がらん勢いで満面の笑みを浮かべながら喜ぶマルク。そんな彼を、目は無いがレティシアは冷ややかな眼差しを向けていた。


正直なところ、レティシアはマルクの言葉を信用していなかった。ここまで欲の無い人間などいるはずがない。今は無垢で穢れなき綺麗事を口にしているが、いずれ化けの皮が剥がれるだろう。


そもそも、絵描きとはいえまだ年若いマルクに自分の願いを叶えることが出来るのだろうか。あまり期待はしていないが、時が来たらその浅はかさを嘲りながらおもいっきり罵倒してくれる。レティシアは胸中の奥底でほくそ笑んだ。


「じゃあ、早速描きましょう!まずは簡単に女の人の絵を描きますから、そこからレティシアさんの意見を取り入れていきますね」


『話が早いな。だが、我の願いを簡単に叶えられると思ったら大間違いだ。これまでに何人もの者達が自らに残された時を大いに浪費しながら挫折していったのだ。それを貴様が一朝一夕で出来るはずーーー』


「とりあえず出来ました」


『本当に早いなッ!?』


思わず変な驚き方をしてしまったレティシアだったが、マルクの宣言通り既に彼女のページの一枚には女性の姿が描かれていた。


年齢は二十代の半ばといったところか、腰下ほどまで伸びた髪がアダルティックな印象を演出しながらも少女のようなあどけなさを感じさせる美女である。


まずはレティシアの好みを探る段階ということもあって服は着せられていないが、そのスレンダーなボディラインは芸術的なまでの完成度を誇っていた。


だが、レティシアはその完成度に驚いているわけではなかった。早いと一言で言い表すにはあまりにも足りないマルクの筆の早さは、レティシアのこれまでの記憶の中でも類を見ないものであった。


この者ならば、もしや。レティシアは存在するはずのない背筋が歓喜に震えるような感覚を覚えた。


「どうですか?レティシアさんの声のイメージから想像して描いてみたんですけど……」


『む、う、うむ。なるほど、伊達に絵描きではないということか。そこそこ期待が持てそうだが、どれどれ……』


自身に描かれた絵を観賞するかのように、レティシアは沈黙。これまで描きたいものばかりを描いていたマルクもこうして誰かから依頼を受けて絵を描くのはずいぶんと久しぶりだったせいか、彼女の感想を待ちわびるように落ち着かない様子で身体を揺らす。


だが、そんなマルクに返ってきたのは、まるで小馬鹿にするかのようなレティシアの嘲笑だった。


『はっ、自信満々にどんなものを描くのかと思いきや、とんだ期待外れだ。いくら画力に優れていようが、貴様の想像力は所詮年相応ということか』


「うーん……じゃあ、何処が気に入らないんですか?」


『まず、何だこの貧相は身体は。女の武器とは一も二もなく美しさよ。それが、こんなもので男を誘惑など出来るか』


「あー……そっちの方が良かったんですね……」


「当然だ。それにまだ肩が広い。頬ももっと膨らみをつけろ。それとーーー」


マルクとしてはあまり露骨に女性らしさを強調すると変な意味に捉えられる恐れを考えて控えめにしたのだが、どうやら今回ばかりはそれが裏目に出てしまったようだ。


それに、やたら細かい注文が多い。今までレティシアに関わった人間が彼女の願いを成就させることの出来なかった理由は、レティシアの細かすぎる拘りにあったのかもしれないと思うマルクだった。


『まったくもってつまらんな。女らしさの欠片も感じられん。無難も無難。筆遣いに女に対する不安と遠慮が滲み出ている。貴様、さては童貞か?』


「い、今はそんなこと関係ないじゃないですか!」


レティシアの言葉に、マルクは顔を真っ赤にしながら言い返す。まだ十代半ばのマルクが気にすることではないと思われたが、単純計算で渚として生きていた前世の年齢を合算するとマルクの精神は三十年生きていることになる。


まだまだ酸いも甘いも知らぬ人生経験に疎い未熟な彼の精神は肉体と同じ十代半ば程度であり、今まで生と絵に執心してきたマルクが異性に興味を持ったことはほとんど無いと言えば嘘になるのだが、若者のいないこの村では異性と接する機会が極めて少ない。


そんな事情もあり、異性に対する苦手意識があるのは当然とも言えた。


『ほほう、その態度は図星か。いや、気にすることはない。貴様は若い上に絵描きは独り身が多いと聞く。そうだ、我が肉体を得た暁には礼に貴様の筆下ろしをしてやってもいいぞ。絵描きだけにな。ふははははっ!』


「さ、最低だこの人……!」


気分良さげにセクハラトークをぶちこんでくるレティシアにマルクはドン引き。その仕返しとばかりに、マルクは再び炭を握った。


「そうですか、これじゃ物足りないって言うんですね。それなら……これでどうですか?」


『どれどれ……って、あ、阿呆!これは極端すぎるだろう!これでは乳と尻の化け物ではないか!』


マルクの手によって素早く訂正を加えられた絵は、上半身とほぼ同じサイズの乳房、そして下半身とほぼ同じサイズの臀部を備えていた。


これだけのアンバランスにも関わらず不自然さをあまり感じられないのはマルクの類稀な画力に依るものか。とはいえ、こんなものは前世の世界でそこら中に溢れる成人誌でもお目に掛かれないだろう。


そして、二人の攻防はさらに過激さを増していくことになる。


「おかしいなぁ、レティシアさんの意見を反映させただけなんですけど……じゃあ、ちょっと形を直して……これならどうです?」


『いや待て、何だこの逆三角形ボディは!?脂肪を筋肉に変えただけではないか!』


「でも、こういうのが好きな男の人もいるかもしれませんよ?」


『趣味が特殊過ぎるわ!こういうのではなくてな、もっと肉食獣のような野生的な美というものをーーー』


「野生の美……ああ、そっか。それならこうして……」


『ふむ、これは確かに野生的な体毛に耳と尾……おい、これでは獣人ではないか!確かにヒトには違いないのだが、もっとスタンダードにだな、そして貴様は我の言葉の意味をそのまま捉えるな!我の真意を読み取って……おい聞け!』


「注文が多いですね。ああ、そういえば武器が大事って言ってましたね。それなら……」


『おい、待て。確かに言ったが、我は武装的なものではなく概念的な意味合いで……お、おい、待て!もっと我の話をーーー』


「これは自信作ですよ!頭頂高六十メートル、装甲はミスリルとオリハルコンの魔法反射特殊合金で最高速度マッハ十!両腕にアダマンチウムブレードと両手には荷電粒子砲を搭載して、ウイング型ターボジェットと連結装甲型テイルブレードの先端に高出力レーザー砲をーーー」


『もはやヒトではないではないかッ!!せめて生物のラインを越えるでない!』


レティシアの新しい身体を巡る一人と一冊による極めて短いスパンでの破壊の創造はマルクの祖母が夕食を報せるまで続けられ、就寝するベッドの中でも嵐のような終わりなき意見交換は、朝日を迎えるまで繰り広げられることとなったのだったーーー

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