第76話 涙と怒りと再び涙
冷たくなったまま動かない師匠の側で膝を抱えて座り込んでから、どのくらいの時間が経ったのか?
また騙されたな! なんて言って師匠が起き上がってくる事も無く、どこからか光に包まれた神を名乗る人物が現れ、師匠を蘇生してくれるイベントも発生しなかった。死んだ人間を蘇生する葉っぱも持ってないし、不死鳥の尻尾も持っていない。
そんな物そもそも、この世界には存在しないけど。
師匠は死んだ。朝霧巌と言う男の命は最後の時を迎えてしまった。
抱き抱えている僕の膝は目から流れてくる汗でビチョビチョに濡れてしまっている。
「今日は暑いな。汗が止まらないや」
視界はぼやけてしまい、何も見えていない。
「こんなに汗が止まらないんだ。今日の気温は57度は有りそうだなぁ」
(ゴン! そんな訳あるか! この馬鹿弟子が!)
なんて事が起こるはずもなく、僕の呟きが虚しく響く。
師匠の遺体をマジックバッグへ仕舞い込んだ。そして、その事が師匠の死を確定させた。
生きている者は絶対にバッグには入らない。
「師匠……どうしたら良いのか、僕には分かりませんよ。まだまだ教えて貰いたい事が沢山あったんですからね? 未熟な弟子を導くのが師匠の役目でしょう? 本当に勘弁して下さいよ……」
(春人よ、自分の事は自分で決めるんだよ。やりたい様にやれば良いのさ)
師匠はいつでも好き勝手に行動していた。僕はそれにいつも振り回されていた。
後始末は弟子の役目。
酒を飲んだ後の空き缶とツマミの空の袋の片付け。
稽古終了後の脱ぎ散らかした道着の洗濯。
一度だけ師匠が浮気をした時の鬼神アイリの怒りを鎮める為の土下座。
全部大変だった。だけどそれはもう、しなくても良くなった。
自由奔放な師匠はもう何かをしでかす事がないのだから。
「あの時は全くちっともやりたく無かったけど、今はそれをやりたくてしょうがありませんよ。師匠」
課せられた修行で死ぬ様な思いをした事も懐かしく感じてしまう。
六十階の高層ビルの屋上から飛び降りて受け身を取れって言われた時は流石に死を覚悟したよなぁ……
「柔道の受け身でどうしろって言うんですか!」
なんて反論はしたけど、朝霧流に不可能は無い! しか言ってくれなかったからな。
タイミングを誤ったらプチュンだからなぁ。地面を叩く瞬間だけに集中してなんとかなったけど、失敗していたらただの飛び降り自殺だよ。
そんな無茶苦茶を言ってくる師匠は上から飛び降りて来て普通に着地して、やれば出来るじゃねぇか。なんて言って僕の肩を叩いて来たんだよな。
本当に変わった人だったなぁ。
「アイリさんか……ちゃんと伝えないと」
怒るかな? それとも僕と同じ様に目から大量の汗をかくかな? 風香は? 萃香は?
気分が落ち込んできた。いや、それは最初からだ。
帝都はどうなったかな?
帝都? 帝都! すっかり忘れていた。魔物の大群が接近しているんだった。すぐに向かわないと。
転移!
帝都の近くまで転移してみるとそこは魔物の墓場と化していた。
あちこちに魔物の死体が転がっている。
僕が転移したのは南側。激しい戦闘が行われた様で魔物の死体だけでなく、人間の死体も多く見られた。
「酷いな……だけど、帝都は無事みたいだ」
あれ? 北の方からも煙が上がっている。あっちでも戦闘があったのか?
転移!
転移してみると、北側はまだ戦闘が継続していた。
「おらおらおらぁ!!!」
「だっしゃー!」
「レイピア旋風脚!」
あれは……《ああ、傭兵団》?
そうか! 残していった面々が前線から引き返しながら戦い、魔物の数を減らしてくれていたのか。
「レイピア……インフェルノ!」
グリーンだな? 顔から出る炎で弱った魔物を一気に火葬している。
相変わらずレイピアの存在意義が全くないけどね。
よし、僕も参戦するか!
今は体を動かしていないと心が押し潰されそうだ。
「朝霧流格闘術総帥、内藤春人! 助太刀します!」
魔物の集団の中央部へ飛び込み、数匹を沈める。
「君は確か……」
「助太刀感謝する!」
「彼奴は? 倒したのか?」
すぐに《ああ、傭兵団》の面々がやって来る。
「シドルファスは僕の師匠が倒した! 後はここに残る雑魚連中だけだ!」
「おい、聞いたか! シドルファスは倒されたぞ!」
「ざまぁみやがれ! 人間をなめんじゃねぇ!」
敵の首魁が倒された。その事を宣言すると、その事実が口々に伝わり周りへと広がって行く。
その時、突如法螺貝の音が鳴り響き、帝国騎士団が馬に乗って突撃を開始した。
「けっ、自分達は後ろでのうのうとしてた癖によ!」
「勝ちが確定してから出てきても遅ぇっての!」
だが、馬に乗った騎士団は確かに強かった。機動力に加えて威力の高い武器を存分に振るい、魔物の群れを蹂躙していった。
「これで、帝都は大丈夫そうだな。僕らの出番もこれで終了だ」
自分が倒した魔物の死体を回収しながら帝都の方向へと向かって歩き出す。
「そこの者待て!」
僕を呼び止めたのは鎧を身に付けた帝国騎士のようだ。
「何か?」
「貴様は今、魔物の死体を回収しただろう!」
自分で倒したんだから当たり前だよな? 僕達はギルドに所属している。無償で戦いをするほど裕福では無いのだから回収するのは当たり前だ。
「それがどうかしましたか?」
「魔物の死体は素材として高値で売れる」
知ってるよ。
「帝都を守ったのは帝国騎士団である! 故にこの場に残された物は全て騎士団が徴収する! すぐに全てを返却せよ!」
「はぁ? わけわかんない事言ってんなよ!」
今は師匠の死でただでさえ気分が落ち込んでいるんだ。まだまだ暴れたい気分なんだが?
「徴収に従わないなら、貴様を捕縛するぞ!」
へぇ? 捕縛ねぇ? ふぅん?
「出来るならやってみろよ? 手加減なんか今は出来ないからね?」
「貴様ぁ!」
ピィィィィィ!
甲高い笛の音が響き渡り、周りの騎士達が集まって来た。
「どうした!」
「何事だ!」
「この者が我が騎士団に反抗している。すぐに捕縛するんだ!」
「ふざけんな! テメェらなんかただのコソ泥じゃねぇか!」
「なっ、捕縛! 捕縛しろー!!」
僕の周りをぐるりと囲み込み、槍を向けて威嚇している。
「たかがこの人数で僕をどうにか出来るとでも? 甘く見られた物だね!」
正面の騎士にダッシュで近づき、持っていた槍をヒョイと奪い取る。
「い、いつの間に……」
奪った槍を横に払い、騎士の横っ面をぶっ叩く。
「ぐぁ!」
良かったね。兜を被ってて。
ひしゃげた兜を蹴飛ばす。カランカランと乾いた音を立てて兜だけが転がっていった。
地面には血を流している騎士だけが意識を失って倒れていた。
「次は誰だい?」
ひと睨みすると、先程までいきがっていた騎士達が後退りながら顔を左右に振っていた。
「何だ? もう終わり? だったら最初から大人しくしてなよ」
「何事だ!」
やれやれ、今度は誰よ?
「貴様、何をしておるか!」
「別に、ただ、帝国騎士の名を借りた盗賊を一人叩きのめしただけですよ」
「貴様の足元に倒れているのは帝国の騎士だ!」
「じゃあ帝国盗賊団なんでしょうよ」
「帝国騎士団を愚弄するか!」
ええい! 鬱陶しいな。
「やめんか! この馬鹿共が!」
次から次へと何なんだ?
「何だアンタかよ?」
最後に出て来たのは帝国のナンバー2。大賢者ギン。
「ウチの馬鹿が迷惑を掛けたみたいだな」
「あはは、アンタ程では無いですよ」
「ふん、相変わらず口が悪いな」
「大きなお世話ですね。もう、行っても?」
「ああ、済まなかった」
「じゃあ、お互いにもう合わないことを祈って」
下らない事で時間を取られてしまった。大方自分達の懐を潤す為に僕らから搾取しようと言う魂胆なのだろう。
帝国は僕が思っているよりも腐り始めているのかも知れない。
だが、帝国皇帝の周囲に枯葉が増えていると言う噂は流れてきていない。これ程までに腐敗が進んでいると言うのに不思議な感じだ。
帝都北門を潜り中へと入る。城壁付近にも魔物は入り込んでいたようで、周囲の建物は破壊の跡がみられ、所々煙が上がっていた。
「結構危なかったみたいだな。みんな無事なんだろうか?」
自然と早足になり、僕らの住処であるレヴィの家へと急いだ。
中央部には魔物が入り込んだ様子は無く、皆少し怯えている風だが、いつも通りの生活をしている。
トントン。
何故だかドアをノックしてしまった。いつも通り入っていけば良いのに……
「はぁーい、どなた?」
レヴィの声だ。無事だった事に安心して涙腺が緩んでしまった。
「あの、ハルトです……」
「ハルト? どうしたのよ?」
ガチャリと開いたドアからレヴィが顔を出す。
「ええっ? 何で泣いてるのよ!」
「何でも無い……」
「何でも無くないでしょ! いいから早く入って」
レヴィに背後から押されて否応なしにソファへと座らされる。
「酷い顔……」
レヴィ……その言い方は傷付くよ?
「ハルト、何があったのか言って」
「みんなは何処? 誰か怪我とかしてない?」
「全員無事よ。おかしいのはハルトだけ。さぁ、ちゃんと全部話して」
「うん、話はする。ただし全員揃ってからだね」
「分かった。少し休んでいて、呼んでくるから」
部屋を出て行こうとしたレヴィの腕を取り、抱き寄せる。
「わっ、何よ急に?」
そのままレヴィの胸に顔を埋める。
「んー? 甘えたくなったの?」
そうじゃない。ただ我慢出来なくなっただけ……
「ハルト、泣いてる?」
顔を左右に振った。
「そう、しばらくこのままにしてる?」
今度は縦に振る。
「…………………………」
レヴィはやっぱり最高だ。何も言わずただ僕の頭をゆっくりと撫でてくれている。
ささくれ立った感情がレヴィの優しさのお陰でかなり癒されてきた。
これなら取り乱す事なく報告出来るかな?
「ただいまー」
「ただいま戻りました」
シャルとレスリーの声。
「あー! ハルトお帰りー」
レヴィに抱きついている後ろからさらにシャルが抱きついてきた。これが男子の夢、オッパイサンドウィッチだ。
ここに風香が加わる事で最強の布陣でシックス乳サンドが出来上がる。
ダメだ。自分でも何を言っているのか分からなくなって来た。
「ただいま……ハルト?」
「あらあら、いいわねー。風香もやって来たら?」
「母様……私はいい。甘えん坊の春人ちゃんの面倒は二人に任せるわ」
風香と……アイリさん。
「ハルト!? どうしたの?」
「何でこんなに震えているの? ちょっとハルト? しっかりしてよ」
ダメだ。言えない。師匠が僕のせいで死んでしまったなんてとてもじゃないが話せない。
僕はこんなにも臆病な奴だったか?
今はアイリさんの顔を見る事が、怖くて仕方ない。
「春人君? あの人に何かあったのね?」
完全にバレてますやん! 不自然な関西弁まで飛び出すほどに動揺している自分を叱咤して、アイリさんに向き直る。
「すいませんでしたー!」
師匠直伝、天空土下座返し!!
失敗したよ………
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