第28話 仕事前のひととき

 早朝、窓を開けると帝都は一面、霧に包まれていた。


 まだ日が登る前に一人で帝都の散策を開始する。朝の気温が上がる前の、この雰囲気が好きで早朝のジョギングは結構頻繁にやっている。


 やがて日が登り始め、かすかに明るくなってきた。


 軽く伸びをしてからランニングを開始する。まだ誰もいない道を軽やかに走る。


 帝都を一周すると、レヴィの家に到着するまで約一時間程掛かり身体をほぐすのにちょうど良い距離だ。


 家に近づいてくるとラストスパートで全力で走る。


 レヴィの家の近くにぼんやりと人影が見えていた。


「こんな時間に人に会うなんて珍しいな」


 今まで誰かに会った事なんて一度も無かった為、少しだけ驚いた。


 近づくと人影がハッキリし始め、そのシルエットからどうやら女性のように見える。


 一瞬レヴィかと思ったが髪の長さと色が違う。その人影は薄い緑色の長い髪を後ろで軽く纏めている。


「おはようございます」


 挨拶は大事だからね?


「うん、おはよう」


 返事をしてくれた。軽く会釈をして家に入ろうとした時にその子から声をかけられた。


「ねえ君、何か困っている事はない?」

「えっ? いや、特にありませんけど」


 宗教の勧誘か?


「本当に? 強くなりたいとか無い?」

「いえ別に。自分で修行して強くなるんで」

「その腕を治すとかは?」

「今のところ何の支障もないので大丈夫」

「そっかー」


 その子はなんだか凄く悲しそうな顔をしている。何もしていないのに罪悪感が込み上げてきた。


「あ、そうだ!」


 その子は突然パンと音を立てて両手を合わせニッコリと笑っている。


「おまじない」

「えっ?」

「おまじない、してあげる」

「いや、別にいらないです」

「あー、信じてないでしょ。私のおまじないはね、効果抜群なんだよ。ほら、じっとしてて」


 そんな事を言いながら僕の頭を引き寄せてくる。彼女の顔がどんどん近づいてくる。


 え? え?


 彼女の顔が目の前まできて、おでこをくっつけられた。目を閉じてブツブツと何かを呟いている。


 数秒後、おでこを離してニッコリと微笑んでいる。


「はい、おしまい」


 少しだけドキドキしてしまった。


「じゃあね。バイバイ」


 手を振りながらどこかへ立ち去って行く。突然あんな事をされても嫌な感じは全く無い。


 不思議な雰囲気の子だったな。


「誰よあれ?」

「うわっ!」


 背後にいつの間にかレヴィが立っていた。


「ハルト? 誰なの?」

「知らない、初めて会ったんだ」

「へー、初めて会った人と、あんな事をするんだ?」

「突然だったから、どうしたらいいか分からなかっただけだよ」

「ふーん」


 あ、これ機嫌悪いな。


「もう出発する時間?」

「そうよ。だから探しに来たのに、お邪魔してごめんなさいねぇ」

「邪魔なんて思ってないよ」

「へー、本当かしらねぇ」

「本当だって! それよりも遅れたらまずいよ。早く行こう」


 少しだけわだかまりを残したまま、僕たちは南門へと向かった。


「全員揃ったようだな。それでは出発する」


 馬車は二台用意されていて、一台にラッセル=オールディス率いる無双の傷跡の面々と猿顔達、もう一台が、沈黙の魔道士率いる鮮血の鉄壁と僕たち二人という面子だ。


 正直、あの猿と顔を合わせなくて済んで一安心している。ラッセルは案外気が回るみたいだな。


 道中は何事も起こる事なく順調に進み、目的地まで六時間ほど掛かって到着した。


「あれが目的のダンジョンだな。よし、しばらく休憩としよう」


 馬車での長時間の旅はやはり尻にくる。馬車の揺れがお尻にダイレクトアタックしてくるからな。


「案外遠かったわね」

「そうだね、お尻が二つに割れちゃったよ」

「それは、元からでしょ!」


 朝は少しだけギスギスしていたけど、時間が経ったからかレヴィの機嫌は悪くは無いようだ。


「すぐに調査に入るのかな?」

「どうかしら? 今から入ると夜間に調査する事になるから、多分今日はここで野営をして明朝からじゃないかな?」

「夜に入ると何か問題でもあるの?」

「魔物はね、夜になると活発に活動するのよ。それはダンジョンでも同じなの」


 へぇ、そうなんだ。知らなかったな。


「全員集まってくれ!」


 リーダーのラッセルが呼んでいる。


「今日は時間も中途半端だからここで野営を行い、明朝からダンジョンに入る。異論がある者は?」

「それで良い」

「こっちも賛成だ」

「僕たちも構いません」

「そうか、では各々野営の準備を開始! 夜間の見張りは交代で行う。最初はハルト、君達からやって貰う。続いて鮮血の鉄壁。次が我々だ。最後が狂気なる深紅の順だ。いいな?」


 誰からも異論は上がらない。全員黙々と野営の準備に入る。


 まあ、準備と言っても僕たちは大した事をする訳でもなく、ただテントをバッグから出して終わり。後は食事をするだけだ。


 この貰い物のマジックバッグは実はかなりの優れもので、入れた物はそのまま出てくる。つまりバッグの中では時間が経過しない。


 今出した食事も出来立てほやほやで熱々のまま美味しくいただけるという事だ。


 レヴィと二人で食事をしていると沈黙の魔道士さんが近づいてくる。


「なあ、それ美味そうだな」

「ええ、美味しいですよ」

「あー、もし良かったらなんだがな」

「はい?」

「なんだその、余裕があるんなら少し分けてはもらえないだろうか? ウチのメンバーにも美味い物を食べさせてやりたいんだが」


 ふむ、結構良い人なのかな?


「いいですけど、お金取りますよ?」

「金は無い」

「お金になりそうな物と交換でもいいですけど?」

「正直な話な、少しポカをやらかしてな。ウチのパーティーは全く金が無いんだ」

「そうですか。残念ですね」

「アイツらは俺の大切な、にくか……仲間だからな。せめて美味い物を食べさせてやりたい」

「今、肉壁って言いかけましたよね?」


 魔道士さんは短い髪の頭をガシガシ掻き始める。


「まあ、やっている事はその通りだな。アイツらが敵の攻撃を体を張って止める。そして俺の魔法でとどめを刺す。これがウチのスタイルだからな。いつも過酷な仕事をさせている自覚はあるさ。こんな場所では暖かい食事が何よりの贅沢だから、食わせてやりたいんだよ。なっ? 頼むよ」


 僕を見ながら真摯に頭を下げて頼み込んでいる。これを無視出来る程、僕の心は強くない。


「分かりましたよ。だけど貸し一つですよ?」

「有難い! おい! みんなこっちに来い」

「ハルト良いの?」

「うん、食料には余裕があるから。でもこの大人数だからな、バーベキューでもするか。レヴィ手伝って」


 バッグから包丁とまな板、それに食材と大量の鉄串を取り出してレヴィに捌いて貰う。


 その間に特注のバーベキュー用コンロを取り出して炭で火を起こす。


「ここで自分で焼いて食べてください。このタレを付けて食べると美味しいですよ。僕たちは周囲を警戒していますから後はご自由にどうぞ!」


 鮮血の鉄壁のメンバーがわらわらと寄ってきて凄い勢いで食べ散らかして行く。


 時間にして約十分程で食材は全て無くなっていた。


「もう無いのか?」

「食べすぎですよ! この後の見張りも残っているんだからそれ以上はだめです」

「あと少しだけ、なっ?」

「仕方ないですね、一人二本までですよ?」

「お前中々話せるじゃないか!」


 止めろ! 僕の背中をバンバン叩くんじゃない!


 追加の食材でやっと満足したのか鮮血の鉄壁のメンバーは皆お腹をさすり満足気な顔で地面に横になっている。


「ふぃー。久しぶりに美味い物を食ったぜ。ありがとうな、小僧」

「有難いと思っているならせめて名前で呼んで下さいよ。あと貸し一つ忘れないで下さい」

「分かったよ。覚えておく。おいみんな! ハルトにお礼だ」

「「「ありがとうごさいます!」」」


 結構な量の肉と野菜を出したつもりだったけど、まさか足りなくなるとは思わなかったよ。底無しの胃袋だな。


 そんな事をしている間に辺りは暗くなり始め、僕とレヴィは最初の見張り番に着いた。


「よく食べたわね。あの人達」

「ホントだよ! 三日分の食材が無くなったくらいだからね」

「大丈夫なの? あんなに出して」

「量的には全然平気だから心配要らないよ。レヴィも少しくらい持ってるでしょ?」

「うん、一人だったら二、三日は持つくらいはあるわよ?」


 雑談を交わしながら何も起きない退屈な時間がゆっくりと過ぎて行く。


 見張りの交代まで後少しという時にほんのりと甘い香りが漂って来た。


「何だ? この匂い」

「多分魔物避けのお香じゃない? ほらあそこで焚いているわよ?」


 猿顔のパーティーがいる周辺で焚かれた火の周りで何人かが動いている。


「さっさと寝てしまえば良いのにね」

「視界に入るだけで目障りなんだよなー」


 視線を送っていると、猿顔とメンバー達は何処かへと行ってしまった。


「どこに行くのかな?」

「あっちは確かダンジョンの方向ね」

「こんな時間にダンジョンに行くのか。何を考えているんだか」

「本当よね。危ないのに」

「それにしても、交代はまだこないのかな?」

「そう言えば遅いわね? 寝坊かしら?」

「あれだけ食べたんだから、そりゃあグッスリ眠るよね」

「そうね」


 それからは他に変化はなく、魔物が近くに来る事も無い平和な時間が流れて行く。


 交代の時間にはとっくに過ぎているが、誰かが来る気配すら感じられない。


「何で誰も来ないのかな?」

「寝てるんでしょ?」

「でも、時間過ぎてるよね?」

「そうよね」


 真夜中は過ぎて行き、空が白み始めた頃になり、やっと何かがおかしいと感じ始めた。


 レヴィは疲れからか、僕の膝に頭を乗せてスヤスヤと寝息を立てている。


「レヴィ! 起きて!」

「うーんむにゃむにゃ、後二時間……」

「いやいやいや、起きて! 何かおかしいよ!」


 レヴィはそれでも起きようとしない。やむなく顔を何度か軽く叩く。


「もう、何よ?」

「朝になったんだよ!」

「え? 見張りの交代は?」

「誰も来なかった」

「何でよ?」

「分からないよ。取り敢えず起こしに行こう」


 全員を起こし、昨夜会った事を報告する。


 猿顔達が焚き火をしていた場所に全員が集合する。


「やられたな、これを見てみろ。ほとんど燃えちまっているがこれは乾燥させたモルス草だ。コイツは集中力の低下効果、それにこの葉っぱはインライン草と言って軽い催眠の効果がある。この草はこの辺りに生えている物じゃ無い。つまり誰かが意図的に入れたという事だな」

「どういう事だ?」

「ラッセルよ。お前さんは案外ニブイな。恐らくは抜け駆けだろうよ。俺たちは嵌められたってわけだな」


 犯人は確定している。この場に居ないただ一つのパーティー、狂気なる深紅。


「まさか! あいつらが裏切るなんてありえない」

「そうか? いかにもやりそうな奴らだったぜ? 多分、抜け駆けをして、他のパーティーは探索に何の貢献もしていない、そんな奴らに報奨金を渡す必要は無い。俺たちが全て頂く! と、いった感じかな?」


 うん。やりそうだね。


「だが計画が杜撰すぎだな。ここに明確な証拠を残して行った。ハルト、この燃えかすを保存しておいてくれ。ギルドに提出する」

「了解」

「さて、それでこの後の行動だが……あんたらはどうするんだ? リーダーさんよ」

「当然すぐにダンジョンへ向かう! あんな少人数では危険だろう、救出に行くぞ!」

「救出ね……お前たちはどうする?」


 あんな奴等を助ける理由があるだろうか?


 いや、無いな。抜け駆けをしていった様な奴らに何かをしてやる義理も無いしな。それなら僕たちの行動は……


「僕たちがやる事はいくつかあると思います」

「お前達のリーダーはそっちの嬢ちゃんだろ? どうするつもりだ?」


 あれ? そうなの? いつの間にかリーダーになっていたんだ。やるなレヴィ。


「ウチのリーダーはハルトよ」

「ええっ! そうなの? 聞いてないよ?」

「言ってないもん。でもいつもハルトの指示に従ってたでしょ?」


 そう言えばそうだよな。


「リーダーのハルトです」 キリッ!

「ハルト……お願いだから普通にして」

「これが僕の普通だ」 キリッ!

「ハルト、一回殴ろうか?」

「ごめんなさい」

「お前らいいね。この非常事態に中々面白いじゃないか」

「そんなに褒めてくれなくてもいいですよ」

「褒めてねぇ!」


 あ、そうなの?


「それで何でしたっけ?」

「お前らがどうしたいか聞いてるんだよ!」

「そうですね、二手に分かれて救出に向かうパーティーと帝都へ報告へ行くパーティーに別れる……のはダメですね」

「論外だな。ダンジョンの危険度が分からない。中に入るなら全員で向かうべきだな」

「そうですね。それなら取れる選択肢は一つですか」

「何だ? 言ってみろ」

「何か動きがあるまで待機」

「それしかねぇな」


 しかしその発言に反対する者が居る。


「それは認められない。全員で救出に行くんだ!」


 うーん。この人はいつまでリーダー面してるんだろうね? 今のところ何の役にも立ってないのに。


「さあ、早く準備をしろ!」

「何の準備だ?」

「救出だと言っているだろう!」


 沈黙さんと二人で顔を見合わせてしまった。


「なあハルトよ。アイツは耳が悪いのか、頭が悪いのかどっちだと思うよ?」

「両方じゃないですかね?」

「おい! 聞いているのか?」


 えっ? アンタが言うの?


 僕らの話を聞いていないアンタが言うの?


「無双の。俺達の結論は出ている。待機だ!」

「ダメだ! 全員で向かう。これはリーダーの指示だ。大人しく従って貰う」


 ダメだこの人、現状把握出来てないよ。


「えーと、青い焔さんでしたっけ? 僕たちは貴方の指示に従うつもりはありません。危険だからです。この仕事がこの人数で行っている理由を考えてみてくださいよ」

「理由だと?」

「そうですよ。恐らくは二つのパーティーがアタッカーで一つがサポート、残る一つが地上で待機して、何か起こったときの連絡要員。これがギルドが考えていた人員配置でしょうね」

「それは……そうだろうな」

「しかし現状は抜け駆けを行った馬鹿が現れたばっかりに、それはもう破綻している。戦力不足でしょう。このままダンジョンに入るのは自殺行為だと思いませんか?」

「それなら尚更救出に向かうべきだろう!」

「勝手に抜け駆けして行った様な輩を? 自分達の判断でダンジョンに入って行ったんだ。自分達で何とかするでしょう?」

「ぐぬぬ」


 はい、論破。


 もう放っておいていいや。待機待機と。


「お前達にはもう頼まん! 無双の傷跡、集合! 直ちに救出に向かう。準備をしろ!」


 ええー! 嘘だろ? 無双の傷跡のメンバーの顔を良く見ろよ、全員死んだ魚みたいな目をしているよ?


「何を考えているんだかな」

「さっぱり分かりませんね」

「で? どうする?」

「変わりませんよ。待機です。出来たら全滅してくれた方が楽ですね。誰もダンジョンから出て来ずに明日の朝を迎えるのが理想ですかね?」

「朝になったら?」

「帝都に帰って報告です。二つのパーティーが勝手な行動を起こしてダンジョンへ入って帰って来ない、戦力不足の為帰還しましたってね」

「お前結構えげつないな」

「他に何か良い案、あります?」

「ねえよ。それが最善だとおもうぜ」


 無双の傷跡がダンジョンに入って行き、何もする事が無くなった僕たちはのんびりとした時間を過ごしていた。


「帰りてぇ」


 草原に寝転び呟いてみる。真上にある太陽が眩しくて仕方がない。もう昼になってしまった。


 何もできない時間は苦痛だ。


 変化が欲しい。


「おい! 誰か出てきたぞ!」


 ダンジョンの入り口から酷い怪我をした人物が出てきていた。


 はぁぁ、嫌な予感。面倒な事になりそうだ。

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