死の風、血の雨

「まずは情報だな、シェンさん。不知名ななしってんじゃ話にならねえ。まがりなりにも殺す相手を知らねえのはうまくない」


 回転中華テーブルの上には、クリスが平らげた後の料理皿が並んでいた。鉄腕はぐいと食後のジャスミン茶を飲み干した。

 シェンは無表情にチャイナドレスを着込んだウエイトレスを呼び出しながら、鉄腕の疑問に頷いた。ここは、シェンの居た店の隣にある、高級中華料理店。三合会のシノギの一つだ。


「至極尤もな疑問です。……しかし、我々三合会のネットワークをもってしても『彼女』の正体は掴めていないのです」


「女なのはわかってるんじゃない」


 信じがたい事に、クリスは運ばれていく皿をまだ物欲しげに見つめながら言った。


「それなら見たことがある人がいるってことでしょ。幽霊じゃないんだから」


「耳が痛いことです。韓国系のドンゴン会、ヤクザのタケガワ組、ベトナム系のエパチャイ・シンジケートとも連携を取っていますが、今のところ有力な手掛かりはありません」


 シェンはため息混じりに言う。その様子に、鉄腕は無言の疲労を見る。理由はすぐにわかる。


「連携をしたとしても、有力な手がかりをみすみす相手に渡すことはない。──そういう理屈か?」


 三合会はあくまで顔役だ。それは多様な人種と文化を内包するアジアンストリートを統括・支配するという事実とイコールではない。

 つまり各組織の思惑は、思った以上に別の場所にあるということになる。


「長老は争いを好みません。完成した都市に巣食う我々は、あくまでも日陰者。この小さなストリートには、カタギの人間も山ほど住んでいます。ここを戦場にすることはできないと、少なくとも我々はそう考えています」


「三合会以外はそうでないってか。嫌だねえ、回りくどいのは……」


 瀟洒な中華風椅子から立ち上がると、鉄腕はシェンの肩へ手を置いた。ここらではっきりさせねばなるまい。あとで何か言われるのも、面倒だ。


「今回のビズ、アタシは不知名とやらを探し出して殺す。誰にも邪魔だてさせねえ。アンタも、そのために努力をしてくれる。そういうことでいいんだな?」


「……そういうことになります。ただし、鉄腕さん。今回のビズにはさらに問題があるのです」


 シェンは丸メガネを押し上げながら、人民服のポケットから写真を一枚取り出し、テーブルに置いた。スーツを着た、メガネをかけた女。アジア人のように見える。いい女だ。少々年上に見えなくもないが──鉄腕は食後の葉巻を咥えながら、なんとはなしにそう考える。


「タケガワ組が雇ったボディ・ガードです。……お世辞にも態度が良いとは言えません。すでに、ドンゴン会やアパチャイ・シンジケートに対してもいらぬ争いを何度も起こしています。……タケガワ組は、どうもこの事態を逆手に取るつもりのようです」


 シェンはため息混じりにそう言った。すでに今回の事件から、ドンゴン会やアパチャイ・シンジケートは手を引いた。本来ならば、タケガワ組に対して報復を仕掛けそうなものだが、アジアン・ストリートのために争いを避けなければと、三合会か尽力し、カネで解決したのだという。


「我々も指を咥えて見ている気はありません。このボディ・ガードがいる限り、ここが荒れ続けることは明白です。この女も立ち上がれぬくらい痛めつけて下さい。そうすれば、タケガワ組も身の程を知るでしょう。……しかし、一度は不知名すら退けた尋常ならぬ相手ですから、油断なさらぬよう」


 シェンの話が事実ならば、タケガワ組は不知名に匹敵する戦力を保有していることになる。調子に乗っている。慢心している。

 小さなストリート。巣食う正体不明の敵。荒らし回るヤクザ達──。


「なるほど、状況はわかったよ。ただ、ストリートがどうなるかは保証できねえ。ただ確実なのは、アタシは不知名を始末するってことさ」


 クリスもようやく料理を諦めたのか、ゆっくりと椅子から立ち上がった。次は和食を食べにいくことになるのだろう。不知名を目撃し、生還した女に会いに行くには、ヤクザとお友達になる他ないのだ。



 二階のVIPルームを出て、シェンと共に一階に降りる。一般客用のテーブルが数卓。その全てに、目つきの悪い黒スーツの男達が座っていた。

 異様な光景である。

 従業員達は一見落ち着いているが、気が気ではあるまい。一番奥には、サングラスをかけ、鼻柱を横断するようにクロス十字の傷が入った金髪に派手な赤いスーツの男が、手づかみで鳥の丸焼きをかじっていた。


「ここの鶏はぶちうまいのう。シェンさん、すまんがお邪魔しとるで」


 男はポケットからやたら白いハンカチーフを取り出すと、おざなりに口元を拭き、手を組んだ。


「誰だい、あの派手なのは」


「タケガワ組の若頭──サトーという男です」


「あれがか。アタシはてっきりコメディアンかなにかかと」


 シェンはうんざりした様子で鉄腕に耳打ちした。


「手の早い男です。例のボディ・ガードを日本から呼び寄せたのも、彼だと聞いています」


 サトーが満足げに立ち上がると、周りのスーツ男全員が一斉に立ち上がり、まるで練度の高い軍隊のように、サトーの前に道を作るように、左右に一列に並んだ。威圧的だ。普通の人間であれば、尻尾を巻いたかもしれない。しかし鉄腕は違う。


「だれか思うたら、そっちの姉さん……たしか『鉄腕アイアンナックル』とかいう方じゃないんか? シェンさん、あんたもやれ争いは嫌いじゃとか理屈をよお捏ねよるが、結局は暴れもんを雇わんとやっとられんいうことかいや」


 露骨なサトーの挑発に、薄い笑みを浮かべながらシェンは答えた。


「彼女は三合会の構成員ではありません。ましてやあなたの組やドンゴン会、アパチャイ・シンジケートの構成員でもありません。ただ、不知名は彼女が仕留める──それだけです」


「ほうかいの。ほいじゃ、わしらが仕留めたらあんたら三合会にストリートの顔、なんちゅうことを言わせんで済むわけかいの」


 鉄腕はシェンを押しのけ、サトーの目の前に立った。渡りに船。ヤクザだかなんだか知らないが、とにかく今は情報がほしい。瞳孔が開きかけているサトーの眼光は、まるでそのまま鉄腕を刺し殺しそうなほど鋭かった。


「なんじゃ、姉さん。ワシになんか用かいや」


「いや、アンタには用はねえ。アンタんとこのボディ・ガード、なんでも不知名を一度は退けたそうじゃないか。ぜひお友達になりたくてね」


 がちり。銃を構える音。ヤクザ共が一斉に懐からトカレフを取り出すと、鉄腕の頭に銃口を向けたのだ。それに呼応するように、シェンを始めとした中華料理屋の面々が、ショットガンやアサルトライフルといった重火器を取り出し構えた。一触即発だ。

 鉄腕はそんな状況下であるにも関わらず、優雅に葉巻をくゆらせ、紫煙をサトーに吐きかけた。彼は煙にむせる様子もなく、サングラス越しにも明らかな、瞳孔の開いた目でやはりこちらを睨み続けていた。


「姉さん、残念じゃが、わしゃあ他人にペラペラ情報流すほどアホと違うんでの」


「大した口の固さだ。尊敬するね──しかし、こういう状況だ。あんまり人の威を借りるってのは好きじゃないが、有利不利くらいは理解すべきじゃないか?」


「そっくりそのままお返しせにゃならんの」


 サトーは獰猛に笑う。中華料理店の入り口に、ゆらりと女が現れたのに、サトー以外の誰も気が付かなかった。地味なグレーのスーツの女。ひっつめた髪。縁無しオーバルフレームの眼鏡。

 サトーは叫んだ。まさしくそれは助けを呼ぶ者の態度であった。そこに奢りもなく、自尊心も存在しなかった。純粋な、助けを求めるものの叫びであった。


「助けてくれーッ!」


 何を馬鹿な。鉄腕は思わず笑った。そうしてしかるべきのシェンや、ヤクザ共は笑わなかった。彼らはその言葉が何を呼び寄せるのかを知っていた。

 そしてそれは現れた。ガラス扉を叩き割り、蹴破って。


「マジカル・ステッキ!」


 長さにして1メートル程度、ピンク色のハートに羽のモチーフをあしらった悪趣味なステッキを振るい、突然女が一人入ってきた。大きな音に反応し、中華料理屋の店員が思わずM16のトリガーを引き、赤い絨毯を、窓ガラスを、古風な花瓶を銃弾が砕く。

 女もそれらの調度品と共に蜂の巣になったかと思われたが、なんと彼女はステッキを高速回転させ、発射された銃弾を弾き飛ばし無傷。信じられない運動能力だ。


「助けを呼びましたか」


「シューコ! こんガキ、魔獣の手先じゃ! 三合会ももう気なんか使わんでええわい! 店のもん全員、タマったらんかい!」


「わかりました。……あなた、鉄腕さんとおっしゃいましたね」


 秀子と呼ばれた女の左手が揺らぐ。何かを察知し、鉄腕は自身の鉄の右手を顔の前にかざした。風を切り、金属音と共に、小さなカードが鉄の掌に突き刺さっている。『魔法係長桜井秀子まほうかかりちょうさくらいしゅうこ』と印刷された鋼鉄製の名刺であった。鉄腕が自身の名刺を見たのを確認してから、秀子は深々と彼女にお辞儀をした。


「桜井秀子と申します。魔法少女で係長──今はタケガワ組幹部警備係係長をしております」


 厨房の奥から、銃声でしびれを切らした料理人たちが包丁や拳銃を両手に秀子へと殺到する。

 すかさずマジカルステッキを投擲すると、先頭の料理人の頭蓋をやすやすと砕いた。ようやくサトーを先頭にヤクザたちが撤退を始め、秀子の後ろからストリートへと抜けていく。


「魔銃トカレフ!」


 秀子は叫び、スーツの裏ポケットからなんの変哲もないトカレフを取り出す。


「魔銃ベレッタ!」


 秀子は叫び、スーツの裏ポケットからなんの変哲もないベレッタM92を取り出す。何が起こるかを察し、鉄腕はクリスとシェンの首根っこを引っ掴み、中華回転テーブルを引き倒すと、その裏に隠れた。

 次の瞬間、まるで嵐のような銃弾が店を飛び交った。撃ち抜かれ倒れ伏して行く店員たち。割れるガラスに調度品。一瞬の時間が、まるで永遠のように感じられる。空薬莢の落ちる音と、ガラスを踏み抜く音だけがあたりに響き──何も音がしなくなった。

 嵐は去ったのだ。料理人の頭蓋を砕いたマジカルステッキさえも、そこには残っていなかった。


「……鉄腕さん、事態は思った以上に深刻です」


 シェンは死体と瓦礫だけが残る店を見渡し、命を落とした仲間たちの亡骸を抱き起こしながら言った。涙は見せていなかった。それでもその胸に抱く悲しみは、聞かずともわかる。


「タケガワ組の行為は、明確な宣戦布告です。不知名がいる中で、優先すべきことが何かは分かっています。……しかし私は、彼らの横暴と、仲間たちの無念を忘れられそうにありません」


「分かってる」


 鉄腕は静かに言った。このストリートを戦場にしたくないという、三合会の想いは無駄になってしまった。

 このストリートには、もうすぐ嵐が来る。降るのは血の雨、吹くのは死の風。そしておそらくそれは、不知名が死んだとてもはや止むことはない。


続く

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