第40話 我が指にくすぐれぬ者は無し(変態はどんなことも快楽にしてくるから手に負えない)

「紗夜の新しい挑戦を見届けたい気持ちはあるんだけども」


 モノクロになった視界で、店長が何か言っているけど……。

 聞こえなかった。聞く気も無かった。

 興味はなかった。


「――――変即突」


 伸ばした左手で狙いを定め、曲げた右手を【気】をもって【硬】と成す。


 日出腕ひだりうでは弦なり、見限腕みぎうでは矢なり。

 幾多の脇を抉りて、不曲まがらず

 故に、この羞恥に意味はなく。

 我が身は只放たれた弓矢雷火であった。


「指とぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおつ!!!!」


 ずっきゅぅうううううううううううううううううううん‼‼‼ と、私の指先が店長の脇を穿ち抜く。


「あふぅん」

 悶え喘ぐ、崩れ落ちる店長が、スローモーションに映る。


 モノクロの世界の中で、私は店長の背後に回る。


 瞬間、決まるネクタイ首締めチョーク‼‼ 

 落とす‼


 でも寸前で隙間に指が入り込んで、店長の首を絞められなかった。


「待ってぇえぇぇぇぇぇえええ‼ おちっ、おちつぅうぃぃてぇえええーーーーー‼‼」   

「ぉ願ぃ……落ちて? ぃたくしなぃから……ねぇ落ちてぇ?」


 ぽろぽろと、ぽろぽろと。

 私は泣きじゃくりながら、ギチチチと腕の力を強める。


 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい落ちて? 気失って? 


 き     え      て ぇ?


「だぃじょおぶぅ……昇天おくってあげるだけだから」

「ヒェーーーーーーーーーーーーーー‼ 泣きながらりに来てる! たまりにきてるぅううううううううううう‼」


 濡れた頬をエへへと緩める。

 私は最期に正直な想いを、耳元でささやく。


「てんちょお。わたしずっとおぼえてるからね。きもちわるかったけど、仕事はちゃんとしてたしだから――――ありがとう、さようなら」

「イヤぁあああああーーーーーーーー‼ こんなASMR嫌ぁぁぁぁああああ‼」


「安心してェ? 遺灰呑むから……私の中でてんちょおは残り続けるからァ」

「メンヘラ適正が天元突破ァァアアーーーーーー‼」


 ひっくひっくぐすんぐすん。

 後から後から溢れる涙を拭きながら、店長(土下座の姿)の話をゆっくり聞いた。


 バラす気なんて更々無いこと。

 Vtuber活動を最優先で良いから、バイトに戻ってきてほしいこと。


「頼む! シフト減らして良いし、早退しても良いし、週一でも良いから戻ってきてくください!」

「私が言うのもなんですが、あんなことされてよく言えますね⁉」


 とにかく店長は誰にも言ってないし言う気もないらしいけど……私はジトッと身を引く。伽夜ちゃんにメールは送ったからもうじき来るだろう。


「……後始末だったら警察より頼りになるし」

「ウン聞こえてるからねそれ? どういう方面での頼りそれ⁉」


「近づかないで! くすぐりますよォ⁉」


 シャー‼ と手を前に出して身構える。

 指の一本一本に神経と力を込めて、わきわき動かす。


 指先一つで悶えさせる自信が、私にはあるぞぉ!


 でも店長は土下座のまま動かない。

 幾らでも悪いことできるのにしてないし……ちょっとは信じてもいいの、かな……。


「お願いします。謹んでお願いします。どうか。

 店長だけの娘でいてくれる時間をくだ」


 私は後頭部を踏みつけた。

 成人男性の、年上の頭を踏みつけてるのに何でだろう、何も感じない。


「アアアアアア、なんか扉開きそう! 紗夜の足で蹴り開かれ」

「呼び捨てほんっとにやめてくれます?」 


 感情が、表情がどんどん無くなっていく。

 なのに、この変態せいぶつはどこまでも全力中年だった。


「あぁぁあ嫌な顔されながらのパパ呼びも悪くなぃぃああああ‼」

「もぉやだぁ、こういう人ぉ! 苦痛が罰にならないんだもん!」


 私は心底呆れながら、足をどかす。

 でも踏みつけこれで分かったけど、本当に店長は私を無理にどうこうする気はないっぽい。


 私はしゃがんで、店長に自分の正直な想いを話す。


「無理です。私はもう他に頑張りたいことができました。

 だから、ここには戻れません。それに――――妾はもう、眷属みんなの娘であるからの」

 

 ……眷属の娘ってどういう意味? 

 自分の言ったことに疑問を感じながら、堕天使わたしは立ち上がる。

 すると店長は神々しいものと相対したように悠然と五体投地し……きりっと顔を上げた。


「じゃあ、あの挨拶を生で聞かせてくださいな」


「この流れでリクエストとか、業が深すぎるぞ貴様ァァアアアアアアアアーーーーーーー‼‼‼」

「あべすぃっ‼」


 指先一つでばたばたと悶える下等生物を見下ろす。

 苦渋に歪みながらも、サムズアップで店長は言い訳ざれごとをのたまう。


「いや単純な興味だって! あのおとなしいさ……姫宮があの挨拶してるところ想像できなさすぎて! どうやってやってるのあれ?」

「普通にセリフの通りに言ってるだけですよ‼」


「え、言ってみて言ってみて。そしたらもうほんとに辞める。どんな人にもパパ呼び強制しないぜったい宵月レヴィアを全力で推す」

「それが当たり前なんですよ! 『もうこれで終わってもいい』って顔するなぁ!」


 むぐぐぐぐ、と怒りが募る。

 でも日和ちゃんのぴよぴよ泣き顔を思い出す。

 私が……挨拶言うだけなら……。


 覚悟を決める。

 配信画面の前で、バッとポーズを取って、高らかに名乗り上げる。

 

「ふぁーはっはっは! 待たせたな眷属達! さぁ、邂逅を告げし鬨の声を上げようぞ! こんレ」


 ガチャリ


「叔父さんおつかれーす。三波シフト入りまーーす」


 ――――じゅわと、脇から汗が噴き出した。

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