Raison d'être
吉田 慎二
第1話
自分の動悸がうるさい。
そんな毎日がつづいてもう半年になっていた。
クライアントとの資料づくりのために起き、歯も磨かずにパソコンに向かう。4時間前の作業に戻るだけなので身体は勝手に動く。
開いたままのファイルの内容を軽く確認し、タイピングを始める。まだ若干焦点があっていない。
20分ほど作業をしてタバコに火をつける。灰皿には昨日の夜の吸い殻が溜まっている。
作業を終えて、寝巻きを脱ぎ捨てる。そういえば昨日の夜は結局シャワーを浴びていなかった。おそらくそうだろう。髪がベタついている。
ため息をついてシャワー室に入る。
頭髪を洗い、手についた石鹸でそのまま顔を洗う。
歯磨きと髭剃りも一緒にやってしまう。
鏡に映る自分の顔はとても25歳とは思えない。
くまを隠すためにファンデーションでもしようか、と思い、ため息をつく。
浴室から出て、くしゃくしゃのシャツを着る。カバンの中身は昨日とほぼ同じだ。机のノートパソコンと充電器をカバンに詰め込み玄関へ急ぐ。黒い革靴には白い砂だか、泥だかが少しついているがそんなことは気にしていられない。今日は9時からクライアントとの打ち合わせだ。それまでに明日の準備も少しはしておきたい。
家を出る。朝日が眩しい。
ファンデーション、結局していないな、と思いながらまたため息をつく。
コンビニで750mlのミネラルウォーターと2つのおにぎりを購入する。歩きながらおにぎりの封を開け、1個を約30秒で食べ切る。具の味はなんだかわからない。食べられれば同じだ。こんな食生活をしているから下腹も出てきている。下腹をさすりながらまたため息をつく。
8時に会社につく。
9時からの打ち合わせまで時間があるので明日の資料の準備を始める。8時45分になり一区切りつける。コーヒーを取りに行くために立ち上がると視界がぐにゃっと歪む。立ちくらみだ。ここのところ3時間睡眠がつづいているからしょうがない。ため息をつく。
コーヒーをコップ半分のみ、zoomを立ち上げる。自分の顔が映る。外面補正をしていてもくまが目立つ。無理矢理口角を上げてみるが、どうも笑っているようには見えない。唇を揉み、気づけばまた、ため息をついている。クライアントには元気な顔を見せないといけない。声のトーンを上げて発声してみる。
12時に打ち合わせが終わる。今日は病院に行かなければならない。健康診断で再診の診断が出たからだ。財布とタバコだけポケットにいれて会社の近くの病院にいく。
「適応障害ですね。」
適応障害?
なんだそれは。
ついに障害者になったのか?
白髪混じりの医者に告げられる。50代後半といったところだろうか。医者の後ろでは看護師がパソコンにむかってなにやらたくさん打ち込んでいる。
そもそも俺は医者が嫌いだ。取ってつけたような同情顔で俺をみるんじゃない。
「あ…適応障害?ってなんでしょうか。」
なんとか口角を上げて目の前の白髪混じりの医者に聞き直す。
「ストレス原因がはっきりとしたうつ病のようなものですね。とにかく休養が必要かと思います。まずは一ヶ月ほどとにかく休みましょう。休職の診断書を書いておきますから。」
休職?
「本当に、大変でしたね。しっかりと休息をとって一緒に直していきましょう。」
俺は突然に、休暇を手に入れた。
10日間だっただろうか。
とにかく泥のように眠った。
体が重かったし何にもしたくなかった。
12時には寝て8時に起きる。くしゃくしゃの髪で換気扇前に行きタバコを吸う。レトルトカレーを温めて食べる。Amazon primeでドラマを2時間ほどみて気が向けば自慰をする。そのまま眠り気づけば夕方になっている。タバコを吸い、既に読み終わっている雑誌をなんとなく読む。コンビニに出かけ、発泡酒を6本とカップ麺とつまみを買う。雑誌を読みながら飲む。気が向けば自慰をして寝る。
ふと涙が出る瞬間がある。
ざわざわした音階のない音楽がなりつづけている。
考えることが難しい。俺は結構優秀と言われてきた。社会にでてそんなものはすべて偽物だと知った。俺は演繹的に過ぎる。こういった類の人間は進学校を出て有名大学に入った者に多い。基本的に受験勉強というものは演繹的に考えればいいからだ。こんなものは社会でクソほど役に立たない。そもそも会社で必要とされることの9割は考えなくても済む。他の1割は運だ。
久しぶりに小説を読んだ。
俺にはなにも解決するべきことはない。
昔読んだ小説を読み返すくらいしかやることがないのだ。
久しぶりに読んだ小説はほとんどはじめて読んだのと同じくらいの新鮮さがあった。今まで俺は小説すらも読めていなかったことに気づいた。小説の中は相変わらず登場人物たちが苦悩や喜びや悲しみに振り回されていた。全然面白くないのに俺は笑った。
俺たちに必要とされていることは虚無から一を作り出すことだ。
俺たちは3次元の世界に住み、3次元の世界で満足をしている。実際にはこの世界は3次元ではないのにだ。こんなことは300年前から知られている。
誰かがN次元の世界で俺たちを操っているのだ。それをどう否定する?小説の中の登場人物が自分たちが操られていないと思っているように俺たちも操られているのだ。そこから抜け出すためには頭を使え。「我思う、ゆえに我あり。」中学生で習うことだ。
そんなことを考えて俺はまた眠った。
Raison d'être 吉田 慎二 @idadai
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