裏側戦争

ヒペリ

裏側戦争

「ゲームしようよ?」

 オレンジ色に染まる彼女は、にたりと笑った。


 ここは中一のとあるクラス。

「はぁい、配布物を配りまぁす」

 可愛いボブヘア天然っ子の安藤さん。

「あら、私も手伝いますよ?」

 にこやかに笑いかける、おとなしい美少女、池上さん。

「なー、涼、あそぼーぜ!」

 大勢の男子に囲まれた、イケメンで明るい人気者、海。

「うるさい、勉強の邪魔」

 堅物優等生、涼。

 今日もクラスは騒がしい。


「はあ……」

 疲れた。そもそも、学校なんていう集団生活は嫌いだ。

 中学にあがり、少しは楽しめるかと思ったのに。

 クラスの人が積極的すぎて、おいつかない。

 いつも通っている道を素通りし、細いわき道に入る。

 ほんの、気まぐれだった。

「へえ~」

 こんな道もあるのか。ずいぶん細いな……。迷わないだろうか……。

「あれぇ、紺野くんじゃん」

「⁉」

 驚いて顔をあげると、行き止まりになっていて、塀の上に誰か座っている。

「あっ、池上さん?」

 勉強もでき、クラスからの人気もある池上さんは、俺とは、縁のない人。

「ははっ。今気づいた? 行き止まりだよぉ~」

 ん? 池上さん、キャラ違くない?

 教室では、もっとおしとやかで、敬語で……。

 動揺する俺の心をよんだように、池上さんは笑った。

「あー、君はこっち側の人間じゃないかぁ。……そうだね」

 いったん区切ると、池上さんは漆黒の長い髪をゆらし、ぴょんっと塀を飛び降りた。

「ねえ――ゲームしようよ?」

 にたり。怪しげな笑みを浮かべる優等生の影は、いつのまにかのびていた。

「ゲ、ゲーム?」

 突然なにを言い出すんだこの人は。

 怖くなり、少し後ずさりする。

「そ、ゲーム。あっち側の世界で、生き残れたら君の勝ち。もし、生き残れなかったら、私の勝ち。どっちでもなかったら、まあ引き分けってことで」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! いったい何を……!」

 池上さんはちょこんと首をかしげた。

「あれ? 話についていけない? じゃあ、実際に見た方が早いかなあ」

 池上さんは、その場でおいでおいで、と手招きした。

 すいよせられるように、足が進む。

 何も無かった塀の真ん中に、真っ黒にゆがんだ空間ができている。

 ――気づいたら、そこに入っていた。


「わあっ」

 目の前に広がっていたのは、さっきと同じ光景。

「ね、ねえ池上さん。これ、どういうこと?」

 ふり返って聞くと、そこには誰もいなかった。

「こっちだよ~」

 ひらひらと手を振る池上さんは、いつの間にか先に立っていた。

 言われるがままついていくと、本当に全く一緒の世界だとわかった。

 建物や、その位置。家具の配置までも。

 けど、人がいない。どこにもいないのだ。

「あの、池上さん」

「あー、凛でいいよ。どうせ、人がいない理由でしょ? 人ならいるよ、今からいくところに」

 今から行くところ? どこだろう……。

 で、ついたところが……。

「ここって、学校か⁉」

 俺はぎょっと目をむいた。

 オレの通っている中学だ。

「そ。じゃあ、ここの説明をしようか」

 リンは、地面を指さした。

「ここは、『異世界』とかじゃないんだ。ちょっと難しいかもしれないけど……。要するに、一つの世界を少し切って、空間がねじまがっただけで、同じ世界ってこと」

「ごめん。ちょっと何言ってるのかわからない」

 頭が、?マークでうめつくされてます。

「ううーんと、じゃあ、、横長の一つの長方形を思い浮かべてよ。そんで、それにハサミで切れ込みを入れるの。で、切れ目からどんどん紙が裂けていくでしょ? そのゆいいつ残った行き来の方法があのねじまがった黒い穴。もとは、一つの世界だったってこと」

 あー、うん。なんとなくわかった。

「それで? この学校と何か関係あるの?」

 リンはにやっと笑った。

「学校の生徒しかここには入ってこれない。それと――」

 今度は自分を指さす。

「ここではみんな、裏の性格。つまり、本性をだしている」

 ほ、本性? いつも見ている同級生が、本性をだしてないって言いたいのか?

「見てればわかるよ。君の本性もすぐわかるさ」

 そう言って、リンは校舎に入って行った――。


「あぁ~! 凛、やっときた!」

 教室に入り、一番に声をあげたのは安藤さん。あの、ゆるふわ女子だ。

「遅い! ったく、凛ちいないとここまとまらないよ。てか、誰そいつ」

 ちょ、安藤さん? お言葉づかいが悪いのではないでしょうか……?

「花梨、覚えてない? 紺野柊くん。同じクラスだよ?」

「えっ。連れてきて良かったの⁉」

 目を丸くして、安藤さんはこっちを見た。

「いいの、いいの――っと」

 リンはいきなり後ろを蹴った。

「ちょ、なにしてるんだよ! ……あ」

 リンの後ろを見ると、なにやらお札のようなものをもった男子生徒が、倒れている。

「ここは、いわば戦場。相手の本性がわかると、札はられておわる」

 リンは、男子生徒の背中にペタッとお札をはった。

 男子生徒が、消えていく。

 おわるってどういうことだ? 死ぬって意味か?

 あらぬことを想像して、身ぶるいした。

「あははっ。なんの想像してんだか知らないけど、そんな怖いことじゃないよ」

 ポンとオレの肩に手をおいた安藤さんは、ニカッと笑った。

「ただね、本性がだせなくなるだけ」

「そう。『仮面の札』この札はられると、本性。つまり、本物の自分がいなくなる。ずっと仮面を貼り付けたまんまになるけどね」

「じゃあ、ずっと自分がだせなくなるのか⁉」

 そっちの方がヤバイじゃないか!

「そうだよ。一生、他人で生きていくんだ」

 そう言ったリンが怖くて、俺の足は後ろへ動いた。

「ここは、そんなリスクが大好物な奴らしかいないよ? 正常な人間なんて、一人もいやしない」

 リンは両手を広げ、にたあっと笑った。

「言ったろう? ゲームしようって。ここで札をはられず、生き残れたら君の勝ち」

「ちなみに、お札をはられないように逃げ回るだけじゃダメだよ。お札をはらなきゃ」

 はるって……。人殺ししろと言われているようなものだ。

「……だ」

「ん?」

 リンと安藤さん。それから今までことの流れを見ていた生徒が、一斉に俺の方を向いた。

「嫌だっつってんだよ! んなゲーム、誰がするかっ!」

 荒げた声を、ぶちまけた。息が苦しい。

「……ねえ、シュウ。君のおかれた状況、わかってる?」

「え……?」

 顔をあげたリンは、ぞっとするほど冷たい目をしていた。

「う……うああああっ!!」

 バタバタと上に人がおおいかぶさってくる。

 視界が、消えた。


 ここは学校の保健室。ベッドに横たわっているのはシュウで、それをリン、カリン、それからカイとリョウが囲んでいる。

「さー、じゃあコレを使いますか」

 カリンが取り出したのは、教室で見たお札とはちがう、七色のお札。

「貸せ。オレがやる」

 そう言ったのは、カイ。彼は、本当は一人でいる方が好きだし、静かな性格だ。

「気を付けなよー」

 ニヤニヤその場を見守る、リン。

「本当にやるの?」

 目をキラキラさせているのは、リョウ。真面目そうな顔をしているが、本当は明るい方だ。

 カイがお札を、シュウのおでこにはった。

 シュウの体が、お札と同じ色に輝く。

「ふふっ。『内側の札』。いったい、どんなものを見せてくれるんだろうねぇ」

 笑った全員は、心底楽しそうな顔だった。


「うわああああっ!!」

 勢いよく、起き上がった。

 ここは……保健室のベッドの上か。

「おはよう!」

「わっ。リョ、リョウ?」

 こんな明るかったか……?

 まあ、ここで何があってもそんな驚くことじゃないよな。

 ぼうっとしていると、ドヤドアと入って来た。

「おきたかい?」「おはよぉ~」「……」

「リン、安藤さん、カイも!」

 じいっとみんな俺の顔をのぞきこんだ。

「な、なに……?」

「ねえ、なんか変わった? こいつ」

「うぅーん。変わってなきゃおかしいんだけど」

「変わってねんじゃね」

「き、きかなかった⁉」

 ぐいぐいつめるみんなの輪から、俺はサッと抜け出した。

 ブツブツ言ってるので、とりあえずほっておこう。

 周りを警戒しながら、廊下を歩く。

「ちょっと待ってよ!」

 走ってきたのは、リンだ。

「何」

「君、本性ないの?」

 いぶかしげに、何度も聞いてくるリンを、うっとしそうにはらった。

「あのなぁ、何したのか知らないけど。誰でもお前らみたいに全部かくしてるわけじゃないんだ。少し周りに合わせてるとかあるだろ」

「そういうもんかなぁ……」

 リンは、うーんとうなった。

「まあ、いいやっ。細かいことは気にしない主義だからね。そろそろ、ゲームの始まりだし」

「は? ゲームって、もう始まってるん」

『ビー!! ビー!!』

 俺の言葉をさえぎって、耳をつんざくような音が聞こえてきたのは、校内放送からだ。

『これより、〝授業〟を始めます。三時間、生き残ってください』

「はっ? はあっ?」

 頭が混乱している俺の肩を、リンがたたいた。

「これがゲームだ。札は、願えばでてくるから、気にするな」

「そういう問題じゃない!」

 これは、本当の『戦い』だ。

 俺はサアッと青ざめた。

 少し先を歩いたリンがふり返る。

 美しい口元がきれいに弧をえがいた。


「さあ――『裏側戦争』の始まりだ」


 気づけばリンは消えていた。

「スキありぃっ!」

「うわああああっ!!」

 こんな会話があちらこちらから聞こえてくる。

 まさに、阿鼻叫喚。

「あ、ああ……」

 もう、嫌だ。

 俺って、意外と臆病なんだな。

 こんなときまで、どうでもいいことを考えてしまう自分がいた。

 もう叫ぶ気力もなく、よろよろとその場を離れた。

 少し歩いて、校舎裏に座る。

「はあぁぁ……」

「よっ!」

「わあっ⁉」

 音もなく、現れたのは安藤さん。

 びっくりしたぁ……。

「あははっ。開始一分でおわり? つまんねー」

「う、うるさいなっ。俺はお前らみたいに、強くない」

 ふいっと顔をそらした俺を、安藤さんはじいっと見つめた。

「……アタシらは、強いわけじゃないよ。特に、リンはね」

「はあ? 逆だろ、逆。リンほど強くて自由人なやつ、いないよ」

 いぶかしげに言う俺に、安藤さんはゆっくりと首をふった。

「ちがう。リンの家柄は知ってるだろ? お金持ちなくせに、昔風のやり方にとらわれてる。敬語とか、作法とかにはとにかく厳しいんだ」

 家がお金持ちなのは知ってたけど……。

 厳しいなんて、知らなかった。

「リンは、本当はあんな自由人なんだよ。アタシら幼なじみだし、まあよく遊んでた」

 安藤さんははあっと息をはいた。

「それこそ、泥だらけになってもね。でも、それをリンの母親が知っちまって」

「そ、それから?」

「リンは部屋に一人閉じ込められちまった。次会ったときは、小さいころの面影なんてどこにもなかった」

 それを聞いて、俺は改めて考えた。

 一人、誰にも会えずに家族のあやつり人形にされて。

 どんなに苦しいだろう。どんなに、孤独を感じるだろう。

「そっか……。俺、リンのことなにも知らなかったな」

「リンの苦しさ、わかってたけど。なにもできなかった……」

 唇をかみしめている安藤さんを横に、立ち上がった。

「こんなことで話してても意味ないよな」

「どこ行くんだい?」

「札をはればいいんだろう? 簡単だ」

 怖いけど……。

 安藤さんは、興味なさそうにつぶやいた。

「怖がってたくせに……。言っとくが、アタシはどうしようもないクズだけど、リンはちがう」

「そうか? 安藤さんも、いいところあるじゃないか。あんまり知らない俺が言えることがないけど……」

「は? アタシのどこにそんなとこあるって言うんだい」

 震える足を隠しながら、俺はよわよわしく笑った。

「あるじゃないか。人のことをちゃんと見れる。そんで、自分のことみたいに考えられる。これって、すごいことだろ?」

 ポカンと安藤さんは固まった。

「えっ、あれっ? 俺、なんか変なこと言った⁉」

「い、いや。べ、別になんでもない」

「ならいいけど……。じゃあ俺行くな! ありがとう」

 安藤さんを背に、俺は走り出した。

「……なんだ、いいとこあんじゃん。本性、めっけ」

 つぶやいた安藤さんを知らずに。


 怖いよ。正直。

 まあ俺は本性と仮面?みたいなのがよくわからないから、支障はないんだろうけど。

 でもさ、楽しいことは嫌いじゃない。

 ゲームだ、これは。現実世界に影響するけど。それも、楽しさの一つなんじゃないか?

「あー、俺も狂気になってきたかなぁ」

 そう、楽しめばいい。他人なんて、関係ないんだ。

 そこにあるのはただ、純粋で、無邪気な。

 楽しいという気持ち。

「いいぜ、やってやる。裏側戦争だ」

 ニヤリと笑った俺は、心底楽しいそうな無邪気な顔をしていた。


「ふう……」

 ざっと、二十人か。

 札をはった人数。少ないな。

 屋上で一人、オレはため息をついた。

「だいたい、なんなんだよ。シュウなんか連れてきやがって……」

 オレは別に、嫌なわけじゃない。

 ただ、シュウの気持ちはどうなる。あいつはそれで納得しているのか?

 自分が納得してないのに、押し切られる人間は何回も見てきた。

 そんな奴に、同情するときも、イラつくこともあった。

 オレは元々、コミュニケーション力は高いと思う。

 けどそのせいで、周りの顔ばっか気にしてきた。

 自分が苦しくても、周りに好かれればそれでよかった。

「そんなんじゃ、つまんないよ! 俺になんでも言ってよ!」

 その仮面を壊したのは、シュウだった――。


 あれは、小二の時だったかな。

 いつものように、周りにあわせて笑ってたんだ。

「なあ、カイ。あいつ、いつも寝てんだ。そんで先生に怒られてんの」

「笑えるよなー!」

 ギャハハハ。

 クラスの男子たちが大声で笑う。

「そうだなー!」

 オレも、同調して笑った。

 なにが楽しい。人を小バカにして。

 寝ていたそいつは、ゆっくりと体をおこして笑った。

「あれー? みんな何で笑ってんの?」

 フワッとした雰囲気に、クラスの笑いがとまった。

 オレは、思わずこけそうになった。

 状況わかんねぇのか!

「なんだよ、あいつ……」

「おれたち、バカにしてたのに」

「こわっ……」

 そそくさと、男子たちが離れていく。

 オレはただ、ポカンと固まっていた。

(変なやつ……)

 それがあいつの、紺野柊の、第一印象だった。

「ねえねえ、カイ。あのゲーム、やってるんでしょ? 俺とやろうよ!」

 それからあいつはちょくちょく話しかけてきた。なんでだか知らんが。

 しかも、呼び捨てかよ。

 キラッキラな瞳で見つめられ、思わず了承してしまった。

「やったあー!」

「こらー、紺野。うるさいぞ。その元気を授業でも使ってくれー」

 先生の言葉に、教室中がどっと笑った。

 当の本人は、ニコニコとしている。

「バカか……」

 それからシュウとは、何度か遊んだ。

 オレはペラペラとしゃべって、シュウはいつも、きちんと聴いてくれた。

 ある日のことだ。

「んでさ――」

「ねえ、カイ。なんか、無理してない?」

「は? 何言ってんの。んなわけないじゃんー」

「でも、無理してるって顔にかいてある。本音、隠してない?」

 内心、オレはあせった。なんでこいつ、そんな分かるんだ。

 思わず、にらみつけた。

「――お前に言って、なんになる」

 言ってから、後悔した。

 ほら見ろ、シュウのやつ固まってんじゃん。

 あーあ。オレの評価、明日からがたおちだな。

「できるよっ!」

 急に両手をとられた。

 見上げたときのシュウの顔は、真面目そのものだった。

「俺が色々聞くよ! ぐちってもいいよ!」

 思わず、その手をはらった。

「お前に分かるわけないだろっ――!」

 人の目も気にしない、お前なんか……!

 シュウは、能天気そうに唇をとがらせた。

「でもさぁ、そんなんじゃつまんないよ?」

「……本当のオレを知ったら、お前は拒絶するだろ」

 周りの目ばっかり気にして、自分を隠してるオレなんて。

「拒絶しないよっ。カイの本音、教えてよ。それに俺は、どっちも本当のカイだと思ってるよ?」

 なんでもないことのように言うシュウに、驚いた。

 そのとき、かすかな期待がうまれたんだ。


 それから、シュウとは親友のようになった。シュウはぶきらっぽうになってしまったけど、素直なところは相変わらずだ。

「まあ、いいか。気長にいこう」

 つぶやくと、立ち上がった。

 不器用な親友を心配しながら。


「あぁ……。やってしまった……」

 罪悪感と後悔がハンパない。

 いくら「楽しもう」とは思ったものの、申し訳なくて……!

 今札をはった人数は、十五人。

(どうしようどうしよう)

 これで本当にあっているのか? このまま続けていいのか?

「スキありぃっ!」

「ごめんなさっい!!」

 飛び込んできた相手に、あやまりながら札をはる。

 もう、疲れた。

「はぁぁぁぁぁ」

 しゃがんだ廊下は、ひんやりしている。

『残り、一時間です』

 校内放送が、流れた。

「一時間。まだそんなあるの……?」

 やっぱり無理だ、俺には。

 ここにいる人たちは、みんな笑っている。心から。

 それだけ、楽しいのだ。

 そうなのか? 楽しいのか? こんな、『戦争』が。

「楽しまなきゃ、おわりなんだ、ここは」


「楽しまなきゃ、おわりだろ? ここは」

 今いるのは、校庭。学校の敷地内なら、どこでも移動は可能だ。

 私は一人でここに立っている。

 ゲーム前は五十人以上、人がいた。

 なんでいなくなったのかって?

 答えは簡単だ。

 私が消したから。五十人、一人も残らず。

 運動神経は良いほうだよ。ふふっ。それに何事も、楽しまなきゃ。

「みんなは、大丈夫かなあ」

 特に、シュウ君。あの子、はじめて来たみたいだから。

 ……正直、ああいう子は苦手だ。まっすぐで、ぶれなさそうな子。

 自分とは全然ちがう。私はいつも、ぶれてばっかりだ。

「あなたは、池上家の人間です。いつも礼儀正しくいなければなりません」

 厳しい母の目。

「お前のような者は、池上家の人間ではない」

 冷たい父の目。

 カリンも知らない。私は、拾われてきた人間だということを。

 池上家は長男、次男、三男。

 女子の跡取りがいないので、孤児だった私を池上家がひきとった。

 兄たちの目は私を人として見ていなかった。床の隅に落ちている、ごみのような。 

 まるで、物語みたいだけど、私のような人間は他にもいると思う。

「ああっ、もう。調子狂うな……」

 私はこんな情をかける人間ではない。関係ない他人は、オモチャだ。

 でも、気まぐれで連れて来たあの子。あの子は、なんというか……。

(心配させるような顔してんだよ……!!)

 そう。やたら反応が大きい。少しのことに、驚いてばかりだ。それに、なんだろう……。

 あの子は、なんだか他の人間とはちがう気がする。

「残り、四十五分。みんな、どんな劇を見せてくれるのかな?」

 そう言って、少し不安そうに笑った。


「ほっ、と」

 スタッ。わりとキレイに着地できたと思う。

 ここは、三階、理科室前。天井裏を移動して、上からお札をはったんだ。すごいでしょ!

「これで二十三人目。あと二人たおせば、二十五人だ!」

 頭はいいんだよ? 運動神経は、そこそこかなぁ。

 なんで、表では堅物優等生、演じてるかって?

 簡単なことだよ。大人受けがいいから。

 昔、うーん。小一のときだな。

 実は……。


「なんであんたは、言う通りにできないの⁉」

「先生、涼が正直すぎて困ってるって言ってたぞ」

 はじめは、何を言ってるのかわからなかった。

 だって僕、なにも悪いことしてないもの。

 先生、ボタン取れかかってたから、恥かいちゃうって思って、こっそり言っただけだよ?

 由美子ちゃん、シュウくんのこと、嫌いって言ってた。悲しくて、シュウくんに話したんだ。そしたら、なんでか由美子ちゃん泣き出したの。

「由美子、紺野君のこと、好きだったんだよ」

「ひどーい!」

 なんて、言われた。由美子ちゃんが泣き出したのも、全部僕のせいにされた。

「嘘はいけません」って言うのに、なんで正直に話したら怒られんだろう。

 それだけじゃ、ないんだ。

 お母さんとお父さん、口をきいてくれなくなった。

 ご飯も食べさせてもらえないときもあった。なんでかなぁ。

 小二に入ると、僕が体調不良でたおれた。

 そのとき、お母さん、お父さんとカイのお母さん、お父さんがケンカしてたの。

「子どもにこんなこと……!」

「あなたたちには、関係ないでしょう⁉」

 なにを話しているのかは、よくわからなかった。でも、怖かった。

 それから、両親とは会うことがなくなった。カイの家で、暮らしている。カイの両親は、僕の両親のようなものだ。


 それから、僕は人と関わるのをやめようと思った。もう誰も、傷つけてしまわないように。

 それから、極力大人に気に入られるよう、動くようになった。

 そうすれば、ご飯を食べさせてもらえなくなることもないでしょう?

 自分のためだもの。苦しくたって、別にいい。

「無理は、するなって言われてもしなくちゃいけないときが、あるんだって」

 シュウくんは、つまらなそうにほおづえついて言ってた。

 今のクラスでは、シュウくんが目の前の席だ。

「ふーん。それが、なに?」

「いや……。勉強してばっかじゃ、疲れるだろ? 無理してんなら、少しは休めよ」

 思考が停止した。

 だって、無理するなって言う人、頭いいとか言う人、たくさんいた。

 みんなわかってない。表面上だけだ。それが気にくわなくて、いつも生返事してた。

 でも、シュウくんはちがった。僕のことちゃんと見て、少し遠慮がちに注意してくれた。それが、嬉しかった。

「うーん。大丈夫かな、シュウくん」

 やっぱり、ここにくるのは初めてだからなぁ。なれないこともあるだろうし……。

「無理しないでね」

 どこかで駆け回っているシュウに、リョウはそっとつぶやいた。


『残り、十五分です』

「やっとか!」

 もうへとへとだ。

 ここは、旧校舎二階。図工室前。

 今までたおした人数は、十九人。

 あんなに怖がっていたのに、と自分でも思った。

 最初は、無理だと思った。自分なんかに、人を消せるわけがない。

 でも、案外やってみるとちがうものだ。なんだか――、

 楽しい。

「ついに、気が狂ったか……」

 そう言って、苦笑する。この気持ちを知ってしまった限り、もうもとには戻れないだろう。

「残り十五分、全力で楽しんでやる」

 そう言って、シュウはニヤリと笑った。

 もうそこに、不安や迷いはなかった。


「はあー、これで三十二人目! 少ないぃ!」

 じたばたと地団太を踏む。

 いつもなら、五十人くらいいけるんだけどなあ。

 てか、みんな気にならんの? こんな倒して、大丈夫なのかって。いくら、学校生徒が多くても無限じゃないし。

 紺野には言ってないんだけど、実は『仮面の札』の期限、二週間なんだよね。

 だから、はられてもそんな問題なし。

 でも、言わないとまずかったかなあ。

 本当の、を覚えちゃうと、さすがに危険なんだ。

 将来的にも、ね。

 シュウ、大丈夫かねぇ。

 まあ、温和そうだったし、平気だろうけど。

 さっき、思わず固まったけど……。人の優しさにふれたの、久しぶりだったんだ。


 トランスジェンダーって、知ってる?

 体と心の性が一致していない人のことを言うんだ。

 アタシは、そのたぐいでね。男子かって? ちがうちがう。

 今は、乱暴な言葉づかいはなおってないけど、前よりは女子っぽくなってるよ。

 昔はけっこうひどくてね。少し、聞いてくれるかい?

 小一のころだったかなあ――。


「おーい! さっさと行かねえと、校庭とられちまうよー」

「あー、今行く! カリンはせっかちだなあ」

 わあわあと小突き合いながら、校庭へ出ていく。

 小一のときは、本当に男子だった。一人称なんて、「おれ」だったし、関わるのも男子だった。

 小二に入ると、両親からとやかく言われるようになった。

「花梨ちゃん。あなたは、女の子なのよ? その言葉づかいをやめて」

「花梨、父さん、花梨のことが心配だ」

 なにが「心配」だ。

 自分たちだって、人の目気にしてるだけのくせに。

 苦しい。なんで、こんな目、さげすむような目されなきゃいけないの。

 でも……。

「うん、わかった」

 無理やり、ニッと笑った。

 リンだって、きっと今頑張ってる。おれが頑張らなくってどうする。

 それから、家族や人前では一人称を「アタシ」とし、可愛い服を着た。もっとも、フリルのついたようなものではないけれど。

 関わっていた男子たち、先生やクラスメイトまでが心配した。

 嬉しかった。心配してくれたということが。ありのままの自分を受け止めてくれたということが。

 でも、癖が残ってしまって、中学までこうして「可愛いキャラ」を演じてきた。

 そんなとき、ここを知った。で、自由に動き回ったわけ。

 とりわけ、ここが好きというわけでもないけど、唯一自由な時間だったし、嫌いでもなかった。


「ふぅー。残り十分。シュウは平気かなあ」

 アイツは、どこかちがう。なんというか……どことなく、似ている。アタシたちと。上手く人間社会にとけこんでいるが、どことなく闇がある。

 不思議なやつだ。

「まあ、こっちも集中しますか」

 深く息をはいて、立ち上がった。


『残り五分です』

 今たおした人数は、三十人。体育館に行ったら、意外とたくさんいたから、いっぱいたおした。

「おっし。じゃあ、次移動するか」

 ふう、と息をはいて、歩き出す。

 思えば、色々あった。聞いてくれる? 俺の話――。


 俺、小さいころは今みたいに、ぶきらっぽうじゃなかったんだ。

 好奇心旺盛で、どっちかっていうと、マイペースかな(笑)

 変わったのは、小六のとき。

 兄ちゃんの、浪人がきっかけだった。

 大学受験で、おちて。家の空気があれた。

 そのころから、どっちかっていうと両親のことが嫌いだったんだ。

 そりゃ、なに不自由なく暮らさせてくれているのは、両親だ。

 でも、やっぱり嫌いだったんだ。

「家族だから理解してる」とか、「私はあなたの味方よ」っていう親、たくさんいると思う。口に出さないだけで、みんなきっと思ってる。

 それは悪いことじゃなくて。俺たち子どもにとって、そう言って理解してくれる大人が必要なんだ。

 でもな、俺にはそれがつらかった。

 身近にいるから、見えなくなっちゃうものが増えるんだな。

「わかってる」とか言って、なにもわかっていなかった。

 言葉にしない俺も悪いけど、苦しさが、恐怖が、わかってもらえないことがつらかった。

 俺が、

「母さん、父さん……」

 って不安そうに言うと、二人は

「大丈夫だよ」

 と言って笑う。それが、怖かった。

 子どもは、敏感なんだ。とくに俺みたいな年頃は。

 不安と恐怖がまじりあって、ネットの世界に逃げた。

 そこで、たくさんの人とふれあって。たくさんの人を好きになって。

 楽しかった。灰色だった世界が、虹色に変わった。

 でも、どこにでもあるもんだよ。壁ってのは。

「ネットは危ない」とか「あなたのためよ」とか言われた。

 人生くらい、好きにさせてくれよ……!

 本当に俺のためだってことは、わかってる。家族だし。

 でも、自由にしちゃいけないのか? 俺は幸せになっちゃいけないのか?

 それから、いちいち反応するのも、友達と関わるのも、めんどくさくなって。

 気づいたら、こんな性格になってたわけ。笑えるだろ?


「ははっ」

 なんだ、むなしくなってきた。

 あ、人がいる。

「よっ、と」

「うわあああっ!!」

 足音を極力立てずに、移動して札をはる。

「うるさ」

 楽しい。自分より、不幸な人間を見るのが。

『授業、これにて終了です』

 これまでより、ひときわ大きな音で校内放送が流れた。

「……はっ」

 なんだ……? 頭が痛い。

 俺は、今なにを考えてた?

「あ、あああ……」

 シュウは、苦しそうに胸をおさえてうずくまった。


「あー、おわりか。シュウ君は平気かな」

 真実を知る、お遊びな目。


「ふうー! おつかれい!」

 心底楽しんだ後の、すっきりした目。


「疲れた」

 少し無邪気な、落ち着いた目。


「ふふ、みんな無事かなあ」

 自由を謳歌おうかした後の、楽しそうな目。


 子どもたちは、今日もあがく。

 誰にも気づかれない、裏側で――。


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