神様の未来法則
早瀬史田
魔獣食堂襲撃事件
騒動から始まる
ユウケイ
学舎が破壊され、崩壊する音。
次いで生徒たちの悲鳴や怒号。驚愕、焦燥混じりの声。
全部聞き慣れたものだ。ユウケイは目もくれず、手元の小論を硬筆の尻で叩いた。
「だから。ロアン師が言う「最も有効な手段を考えろ」ってのは、確かにお前の言う通り、倫理的な是非は問わないって意図で合ってはいるんですよ。けど残虐な手段が最も有効かって言うと必ずしもそうじゃないでしょって。ロアン師が小論の参考に、って勧める本ありますよね。読みました? あの本の中の「ティハに顕現する悪夢」って項目読んでれば、敵を半死者化すれば戦力増強にもなって~とかド安直過ぎて言えませんよ? 多忙極まる俺に聞く前にまず、教師の勧める本を読みなさいって。おい、聞いてます?」
「……代表、放って置いていいのか?」
水かきのある手が廊下の先を指す。つられてちらと、ユウケイは音の聞こえた方へ目を向けた。
慌てて逃げて来る生徒も、好奇心に目を輝かせて向かって行く生徒も、徐々に増えて来ていた。
すぐに、再び小論に目を落とす。指摘した箇所以外にも、気になる箇所がいくつもあった。ロアン師の授業の単位を落とすのが二度目という後輩は、このままでは三度目の試験でも間違いなく単位を落とす。ロアン師も老眼で目が見えにくくなっていると言うのに、出来の悪い小論を何度も読まされて、さぞかし辟易としていることだろう。頼られたからには、単位を落とさせる訳にはいかない。
よって、騒動に関わる暇はない。
「いいんです。大丈夫でしょう」
「何か、素っ気ないなぁ」
「素っ気ない?」
カチンと来て、間違ってもこのまま提出出来ないよう、紙面に赤で大きくバツ印を書いてやる。アッと残念そうに声を上げた後輩に小論を突き返し、硬筆を指で回しつつ問いかける。
「お前は俺を何だと思ってるんです?」
「えー……何でも解決してくれる超優秀無敵の生徒代表ユウケイ君」
建物全体が揺れた拍子に、天井付近で、何かを祝うような調子を持ったのんきな喇叭の合奏が始まる。誰かが大声を出した時などに鳴るはずの仕掛けが、音と振動に反応して、場違いに鳴り始めてしまったのだろう。この手の悪戯は学舎内に、呆れる程仕掛けられている。ますます苛立ったユウケイは舌打ちした。
「余計な枕詞をつけない。単なる生徒代表ですよ。本来は式典の時にちょっと呼ばれて前出て喋ったりするだけの役割。しかも、魔術師でもない、ただの人間。破壊音が聞こえるような荒事、俺が出てったってどうにもなりません。それとも、もしかして言外に死にに行けって言ってます?」
「おう、おう……はい。ごめんて。俺が悪かった」
言葉の勢いを抑え込もうとするかのように目の前に広げられた水かきを見て、ユウケイは我に返った。自分の役割――「生徒代表」という任についての話となると、不平不満を抱え込み過ぎているせいで、どうも頭に血が上る嫌いがあった。
「こちらこそ言い過ぎました。すみません」
そう返しながらもユウケイは、思い切り眉を寄せて、人の流れに目をやった。
「俺が出なくても、学生講が何とかするでしょ。俺も半年後には卒業なんだから、むしろそうでなけりゃ」
「代表!」
「こま、る……」
流れの中から飛び出しユウケイに駆け寄って来たのは、入学して間もない生徒にしか見られない、澄んだ目をしている生徒である。
「あの、初めまして。突然すみません」
「学生講の講員の方ですね。騒ぎの件ですか?」
講員は目を丸くした。
「僕のこと知ってるんですか?」
学生講とは、学舎で起きる様々な問題を解決したり、問題点を自ら見つけ出して、生徒全体の学生生活がより良くなるように務める、生徒による自治組織である。何やかやと関わることが多いため、学生講を運営する部長たちは無論のこと、末端で手足のように働く講員の顔も、出来る限り覚えるようにしていた。
「着任式でお見かけしただけです。それより、急ぎでしょう。手短に用件をどうぞ」
講員は目を白黒させていたが、すぐに調子を取り戻して表情を整えた。
「食堂に魔獣が侵入して来ました。その場にいた人員で抑えようとしたんですが、混乱が激しくて対処し切れません。助太刀していただけませんか?」
小論指導をしていた後輩と同時に、げ、と声を上げた。
「よりにもよって今時の食堂かよ。大混乱必至だな」
「これから飯食いに行くつもりだったんですが……」
「軽食もらいに行けば?」
「軽食には二度と手を出さないと決めてます」
「あー……。でもじゃあ、昼食抜き?」
講員が控えめに口を挟んだ。
「あの……僕個人の所見ですが、魔獣が侵入した際に壁などが破壊されていたので、事態の収束に時間がかかれば、明日の朝食まで抜きになるかも知れません」
さすがに朝食まではないだろう、と思いたかったが、ユウケイは経験上、この学舎で起きることは何事も、良くも悪くも予想を上回ると知っていた。朝食まで抜きになるとマトモな誰かが予想したなら、現実には明日の夕食までもが失われる。
「学生講はどうしてるんですか?」
尋ねている時点で既に、答えはどことなく想像がついていた。
「個々人で事態に当たってはいるようなんですが、人が多過ぎて、全く連携が取れていません。むしろ、部長たちの指示がバラバラであることが、さらに混乱を引き起こしています……」
まさに、混沌の申し子が集うと言われた魔術研究院附属第一学舎の、学生講である。最早苛立ちもしない。
「そんなの俺にだってどうにも出来ませんよ」
先程言ったのと同じ理由である。しかし、講員はきっぱりと首を振った。
「代表になら出来ると信じています。お願いします。助けてください」
のらりくらりかわすのも躊躇われるような、確信のこもった目をしている。
ため息を吐いた。
嘆いても、駄々をこねても、無視しても、事態は収束しない。誰かがやらねばならない。
それに実のところ、直接助けを求められたら、断ることなんて自分には出来ない。
「分かりました。行きます」
「よっ、生徒代表! 頑張れよー」
小論の束を振って見送る後輩をにらんで、その頭を指差す。
「お前こそ。次にロアン師の単位落としたら、頭の皿乾かしてやりますから」
「それは勘弁」
小論の提出日はまだ先だ。参考文献を読む時間も、小論を書く時間も充分にある。次に助言を求めて来たとしても、今よりはもっと良いものになっているだろう。ユウケイに意見を求めるだけの向上心はあるのだから。
軽く笑い合って別れた。
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